ザシャ・アダルベルトと言う男
「やあドラゴ君。今日はどうしたんだい」
アダルベルト家当主、ザシャ・アダルベルトは穏やかな表情でドラゴへと訪ねた。
いつも何を考えているのかおくびにも出さずに穏やかな表情で佇んでいる男を、ドラゴは元々気味が悪いと思っていた。そこに更にトレヴィル迄の道中で、アメリー婦人から過去の所業を聞いた為に、今や得体のしれない化け物と言う認識である。
知らぬ間に背中から噴出した汗が流れる感覚を感じながら、ドラゴはザシャの眼前に麻袋を掲げた。
「それは?」
「手土産だ」
そう言ってゆっくりと袋から中身を取り出す、乾いた血液が零れ落ちない様に、更に中身に巻かれた麻布も半分程剥がしてから突き出した。
「依頼達成の証拠だ。まあ別に俺はあんたから依頼を受けた訳じゃ無いから金は要らない。その代わり、ユスティーナの事は絶対に大事にしろ」
「ふむ……悪いがそれは袋に戻してくれないか。目のやり場に困る。……ああ、それで良い。要は見えなければ良いんだ。
それにしても、
で? 何が望みなのかな。まさかユスティーナ嬢を大切にして欲しいってだけでは無いだろう? ユスティーナ嬢想いの君ならあり得るかもしれないけれど」
クスクスと笑いながらザシャは促す。感謝をするとは言ったが、依頼云々には触れて来ない。やはり簡単に言質を取らせてくれる相手では無いらしい。
「あいつを……男爵をどうするつもりだ?」
「どうするとは? つつがなくユスティーナ嬢を息子のお嫁さんに迎えられれば約束通り融資をする予定だけれど」
「……
それに、ユスティーナの才能を見ようともしない。その点、あんたは別にユスティーナを才能のある商人として迎え入れたいだけだろう。まあ、優秀な後継ぎが欲しいから嫁として、と言うのもあるだろうが。でもそれは、ユスティーナの”仕事をしたい”と言う願いとも一致するだろうし、俺は何も言わない」
「なるほど、男爵を懲らしめて欲しいって訳か。
何、君が言った通り迎え入れたかったのはユスティーナ嬢であって貴族との縁談はあくまで口実、男爵は別に捨ておいて構わないよ、君がそう望むのなら。
だけどねえ……融資をしようがしまいが、多分何も変わらないよ? 今は取引先が潰れた事によって連鎖的に潰れかけているけれど、元々彼はあそこ迄事業を大きくしたんだ、商才がある。僕が融資をしなくても、放っておけばまた復興するさ。
復興した男爵に、”あの時は良くも約束を破ってくれたなー”なんて恨まれたくないから、僕としては余りやりたくないかなあ」
ザシャはあくまで
「そう言いつつ、最初から融資する気なんて無かったんじゃないのか? 男爵家に出入りする冒険者に金を握らせてアメリー婦人の殺害を依頼したのも、証拠をでっちあげて男爵の独断で行った様に見せかける為だろう。
あんたはユスティーナ欲しさに男爵家の取引相手に手を回して事業を潰した。そうする事によってじわじわと男爵家の事業も苦しくなるように仕向け、そこに融資と言う救いの手を差し伸べた。首が回らなくなっていた男爵に選択肢は無い。縁談は受け入れられた。
そもそも、当の本人であるヴィクトールがアメリー婦人に懸想していて結婚する気が無い事を、あんたは知ってた筈だ。
だから、あんたは縁談話を持ち掛ける時からこう考えていた。”焦った男爵が自分の家に出入りする冒険者に命じてアメリー婦人を亡き者にし、娘を確実に嫁がせようとした。”そう言う筋書きにして、男爵を裁判にかける。目障りな姪が消える上に、男爵は良くて爵位はく奪、悪ければ流刑か死刑。どっちに転んでも事業の再興は無理だ。融資をする必要は無い。一石二鳥どころの話じゃないだろう」
「なるほど、よく考えたね。でも、それがもし仮に事実だったとして、結局君は何が言いたいの?」
机に指を打ち付けながら問うてくる様子を尻目に、ドラゴはここが正念場だと自分に言い聞かせて続ける。
「別に。ただ……あんたも知ってる通り、俺は男爵の手ごまじゃない。ユスティーナの右腕であり、兄貴分だ。
可愛い妹分を、平気で犯罪に手を染める様な連中に嫁がせる訳が無いだろう? だからただの確認だよ」
「なるほど、本当にユスティーナ嬢を溺愛してる訳だ。でもさあ、別に証拠は無いよね? ここで僕が違うって否定したら終わる話だよね? それとも愛しのユスティーナ嬢に今の話をするかい? 証拠も無いのに? 君と違って彼女は父親を大事にしてるだろう。もし仮に今の話が事実で、証拠もあったとしたとしても、彼女は父親の為にこの話を受けるんじゃないかなあ。こんな話、時間の無駄でしょう」
「事実ならば縁談は解消する、とユスティーナから確約は貰っている。だから今俺が確認しに来てるんだ」
「……へえ、そう」
室温が急激に下がった感覚に、ドラゴは思わず身震いをしたくなった。しかし、ここで震えては相手の思うつぼだ。せっかく、普段の穏やかな無表情が剥がれ、口数が多く、敵意むき出しの状態に持ち込んだのだ。相手が失言するまで粘り強く挑発しなければならない。
「ああ……ちょっと取り乱しちゃったね。よくよく考えたら、最初から嫁がせる気が無いのに、君があんな手土産を持ってくる訳が無いね……。もしかして偽物かな? ねえちょっとそこの君、彼が持って来た物に怪しい所が無いか確認してみてよ」
ザシャの命令に、ドラゴの後ろに控えていた男が動く。ドラゴが持っていたお手製生首を取り上げると、じっくりと観察をし始めた。
焦りの余り身体の制御が間に合わず、ドラゴは思わず身を固くした。これだけじっくり見られれば、流石に幻術がばれる。こうなったら魔道具が見つかるのも時間の問題で、作戦が露呈する。
残るは悲壮感を漂わせる方の作戦だが、ドラゴから見たザシャは、今ので冷静さも取り戻してしまった様に感じた。
「ザシャ様、これは幻術だ。硬直していたとしてもここまで硬い訳が無い。これじゃまるで……石です!」
「ああ、やっぱり。うーん、ここまで手の込んだ事をしてくるって事はもしかして君、悪い事考えてないかい? ちょっと君、続けてドラゴ君の身体検査もしてくれるかな」
ザシャの命令で念入りに身体検査をされた結果、魔道具は没収された。この状況に陥った場合の作戦も考えていたとは言え、半分失敗している様な物である。追い詰められたドラゴは、ザシャを恨みがましい目で睨み付けた。
「なるほど、君の本当の狙いはこれか。ユスティーナ嬢の事とか男爵に罰をとかも嘘では無いんだろうけど、そもそも彼女の幸せを考えるなら父親も縁談も捨てて自由にさせるって所かな。ああ、そんなに睨まないでくれないかな。まるで僕が悪い事をしているみたいじゃないか。
実に君らしいね。ユスティーナ嬢の為に僕の言質を取ろうと考えた訳か。本当に主想いで部下の鏡だ。
はあ……そう言うところ……本っ当に虫唾が走るよ。どうして人は損得じゃなくて感情で動いてしまうのかなあ。ユスティーナ嬢だってうちに来た方が絶対に自分の才能を活かせる。その為の支援は惜しまないと言うのに。こんな好機は滅多に無いのに、目的の為にちょっと廃業に追い込んだり、僕にとって都合の悪い人物を排除しようとしたからって縁談を断る?
もっと自分にとって何が一番得なのかを考えた方が良いと思うけどなあ」
ザシャは口を滑らせた。暗殺や殺人と言った物騒な単語では無いにせよ、”
ドラゴが言質を取ろうとしていた事実に気づきながらも、魔道具を没収した事、怒りに支配されている事によって冷静な判断力を失ったのだろう。普段なら念には念を入れて白を切るであろう場面で、油断をして自白をしたのだ。
外の音封具には声が封印されただろうし、少しばかり無理に追求して怒らせたとしても、助けが入るのであればもう少し強い言質が取れるかもしれない。そう考え、ドラゴは十数年前の出来事も口にした。
「損得勘定? 自分にとって何が得なのか? 確かにそれが大事な時もある。あんたみたいに商人やってれば余計に常日頃から考える事もあるだろ。
だけどな、自分の利益の為なら手段を選ばない? 自分の損得しか考えていないじゃないか。商売だって、相手ありきの事だろう。相手の感情を考えずに自分の損得だけで相手に押し売りしてそれで関係が成り立つのか? 成り立たないから分家に抜かされたんじゃないのかよ。
当主の座も兄弟から奪い取って、分家として追い出して、その癖結局負けてたら世話無いな」
「奪い取っただって? 一体誰にそんな嘘を吹き込まれたのかな」
「アメリー婦人からだよ。分家当主はともかく、婦人自体は十数年前の出来事について何か言うつもりは無かったらしいがな、今度の暗殺の件で彼女の逆鱗に触れたみたいだぜ?
「証拠だと? ……そんなものある筈が無い」
「そうか。ならそう思っていればいい。証拠も、証人も分家の当主が執念で見つけ出してくれたからな」
アメリー婦人から聞いた話と矛盾しない様、嘘だと断言出来ないぎりぎりの線で話をでっち上げ、ザシャを追い詰める。既に十数年前の話と言えども、時効は迎えていない。まして、身分の簒奪となれば発覚次第遡って改められるのが通例だ。ドラゴの話が本当であれば、息子の商才の無さも相まって確実にザシャの家筋は没落する。
顔面蒼白になり、ようやく絞り出した声が決定打だった。
「……馬鹿な、あの男はもう生きては居ない筈……」
――やはり、既にアメリー婦人の父親はこいつが手をかけていたのか。
ドラゴはそう判断し、用は済んだとばかりに踵を返した。しかし、ザシャはまだ認められない様子で行く手を阻む。
「――っ! 貴方の話は
自白と言う名の証拠はもう十分だろう。そう考えたドラゴは、出口に立ちふさがった用心棒に対して臨戦態勢を取る。
手っ取り早く華耀とアシュレイを呼ぶか、ザシャの背後の窓を叩き割って合流する事も考えたが、屋敷に居る護衛の数が分からない。下手に合流して捕まり、折角アシュレイ側で封じた音声迄も取り上げられては敵わない。
とりあえずこの部屋に居るのは出口を塞いでいる厳つい用心棒が一人だけ。突破した後の状況で応援を頼むか判断しようと、ドラゴは目の前の相手に意識を切り替えた。
獲物も持たず、手甲をはめた腕で拳を握っている相手は見るからに肉体派である。対して、ドラゴは魔導士であり、その中でも殺傷能力の無い幻術に重点を置いている。当然接近されれば不利になるが、生憎と執務室では距離を取る事も叶わない。
だが、相手の目を見ればドラゴの得意分野を知っているのか、あからさまに油断している。これはドラゴにとって幸運以外の何物でも無い。
――幻術では何も出来ないと思っているんだろうが……。ユスティーナの傍に居ながら、冒険者としてランクDに上り詰めた実力を舐めるなよ!
腰を低くし、用心棒との距離を一気に詰める。予想に反した動きに用心棒は一瞬硬直するが、不敵な笑みを浮かべ、拳を握りこんだ。
だが、その一瞬の硬直が運の尽きである。用心棒へと突っ込みながら、ドラゴは得意の幻術で狼を二体生み出し、先に行かせる。
普通の幻術であるからして、実態は無い。当然用心棒を傷つける事も出来ないのだが、得意分野故の無詠唱、そして本物と見紛うばかりの狼は、迎撃態勢に入っていた用心棒は本能的な恐怖から、ドラゴから視線を外し、狼を優先してしまった。
「――
狼の背後からドラゴが水魔法を放つ。狼を優先しつつもきちんとドラゴを警戒していたのだろう。危なげなく手甲で弾いた用心棒だが、違和感を感じたか、己の腕を見やる。
「溶けている……だと!?」
水魔法は本人の努力次第とは言え、液体であれば純粋な水以外も操れる様になる。常日頃から、ドラゴは腰に魔物から摂取した強い酸の毒水をぶら下げていた。連絡用にも使えて一石二鳥のそれを操り、打ち出したのである。屋内での護衛と言う事もあり、肉弾戦に特化した用心棒を置いていたのだろうが、獲物で弾く選択肢が無い分、形成は一気に逆転する。
ドラゴは続けて水弾を放つ。今度は体で受ける事無く避けた用心棒だったが、ドラゴは構わず用心棒が避けた場所へと突っ込んだ。
用心棒は戦闘に集中していた様だったが、ドラゴの目的は最初から出口である扉だ。自分から道を譲ってくれるのであれば気にせず突き進むに決まっている。慌てて後ろから追いかけて来る音は聞こえるが、獲物を持たない男は、追いつかれでもしない限りは脅威にはなり得ないだろう。
扉の向こうは敵だらけ――と言う事も無く、突然開け放たれた扉の音と、現れた狼に驚いた使用人が何人か見受けられるだけであった。
――これは、行けるか?
そう判断したドラゴは、迷う事無く元来た道を突っ走った。隠れようの無い玄関ホールに足を踏み入れる際は、先頭を走らせていた狼を左右に分散させる事で待ち伏せ対策を行う。
しかし、ホールに足を踏み入れても誰も居ない。既に玄関扉は目と鼻の先である。
肉弾戦を得意とした人間は少ない。大半が獲物を使うのであれば、外で待つ方が理に叶っている。
一方、ドラゴは一刻も早く屋敷から出る為に長い廊下を走り抜けて来た弊害で、息が切れている。加えて、心臓の音が耳元で喚き散らしており、先程から外音が何も聞こえない。
――外で待ち受けている可能性が濃厚、か。まずいな、完全に判断ミスだ。だが、後ろから手甲野郎が追いかけて来ている……息を整えてから外に出るのは無理だ。玄関扉を開けた瞬間に庭の二人に大声で呼び掛けてみるか? いや、三人とも捕まっては元も子も無い。相手の数にも寄るが、俺が捕まって二人が見つからない様に街に戻れる状況を作るのが一番無難か。
運が良ければ二人がザシャを捕縛しに来たタイミングで解放される。運が悪けりゃ拷問死ってとこか……。
覚悟を決め、扉を押す。大人しく地下牢へ連行されるつもりは無いので、勿論狼は先陣を切らせるつもりだ。
開けた扉の隙間から、心臓の音に負けずとも劣らず大きな音が耳へと流れ込んで来る。
まさか二人が、とドラゴは慌てて扉を大きく開く。だがしかし、そこにあったのは劣勢を強いられた華耀とアシュレイの姿では無く、背中を合わせた二人と、剣を合わせる数人の用心棒。そしてそこら中に倒れ伏し、起き上がろうと必死にもがいている男達の姿。
副団長と聞いた時から強いのだろうとは思っていた。華耀も、エレノアが後を託すと言った人物だ。腕は立つのだろうと踏んでいた。だがこの人数を二人で倒す程の実力があるとは、ドラゴは想像もしていなかった。ドラゴに追いついた手甲の用心棒も、唖然とした表情で固まっている。戦意が失われている事に安堵したドラゴは、ふと、門の外が騒がしい事に気付き、新手が来たのかと身構えた。
しかし、そこに現れたのは新手では無く、街中で見慣れた、プレートアーマーの集団。騎士団だった。
おそらく、音の封印に成功した段階でアシュレイが手配したのだろう。騎士団ならば連絡手段は豊富にある筈だ。街の治安も守らねばならない為全員とはいかないが、この場にいる用心棒全員の戦意を喪失させるのに十分な人数で現れた騎士団員達は、副団長であるアシュレイの元に駆け寄り――、その背中に隠れていた人物を見るなり、驚きを隠せない表情で口を開いた。
「お、王子殿下!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます