入学手続きと王都と

 本来ならば入門時の手続き関連はエレノアとして行う予定であったのだが、時空魔法を行使する際に消費した魔力が回復しない事にはエレノアには戻れない。さらに言えばどうにかしてエレノアとして入学手続きを完了し、アメリー婦人達の滞在許可を得たとしても、ギルドに戻ってゲートをくぐる為には魔力を無理やり消費し、再び華耀に戻らねばならない。二度手間である。


 学院では身元の詮索をしないのが暗黙の了解とは言え、入学するにあたっては本名で書類を提出している。当然教師はどこの誰が入学してきたかを把握しているし、更に言えば新人教師等はまだ日が浅い事もあり、接する態度の中に緊張等の感情が現れやすい為、それを見ている他の生徒に何となく身元が露見してしまうと言う事もある。


 華耀はと言えば、王子だと露呈してしまえばその一挙一動は常に注目され、監視されるも同然である。そうなればエレノアと同一人物だと露見してしまう恐れもある。故に、身元確認も兼ねた入門時はエレノアとして入り、華耀の入学手続きは改めて事情を知っている学院長自らが内密に手配してくれる手筈となっていたのだが。


「新人教師が入学手続き担当でなければ良いのだが……」


 結局エレノアになる事を諦め、華耀はそのまま入学手続きを受ける事に決めた。元より今年十六になる華耀が入学する事くらい、大抵の人物が調べ上げている筈だ。入学手続きを秘密裏に行った所で、そのうち当たりはつけられる。であれば、ラリ氏の生命の方が優先順位が高いと判断した結果である。


 余裕を持ってトレヴィル入りをしていた為、学院の入口に並ぶ人物は比較的少ない。


 対照的に、生徒が乗ってきたのであろう荷馬車はそこそこの行列を成している。入学式ぎりぎりには大渋滞で学院正門に辿り着くのも一苦労に違いない。そう言う意味では師匠のアドバイス通り、大抵の物をこちらで揃えるつもりで身一つで来た華耀は気楽である。


 ――やはり、家紋こそついては居ないが、荷馬車を見るだけで大体の家格が露呈してしまう。数人に一人が荷馬車の方を振り返っている所を見ると、どの荷馬車なのかを聞かれているのだろう。学院側の配慮なのか、待機列は入学手続きのカウンターが見えない程離れている。だが、目線の先から荷馬車を特定して、その人物の身元を推測する人間は必ずいる筈。身一つで護衛も連れずに来た自分は奨学金制度の入学者か、黒髪黒目と相まって、荷馬車が使えない程遠方の、極東の国の人間と思われるだろう。


 そんな事を考えている間に、早くも華耀に順番が回ってきた。


「正式な御名前を御書き下さい」


 教師の言葉に華耀は頷き、渡された用紙とペンで名前を記載する。”華耀・リベルテ・ライゼンアムド・紅”。


 ミドルネームに王都名が入るのは貴族であり、王国名が入るのは王族である。王都名と王国名の二つが入るのは王もしくは王位継承権一位の者だけである。つまり、フルネームを書くと華耀の名を知らぬ人間でも、この国の王子である事が分かると言う事である。


「身分証明書をご提示ください」と、感情が一切含まれない、平坦な声音で教師が言う。


 北の大魔導師が発案・製作した華耀の身分証明書は特殊な作りとなっており、魔力を流し込めばエレノアの物に、流し込まなければ華耀の物となり、更にはミドルネームの表示非表示も調整が出来る優れ物となっている。これにより華耀は、複数の身分証明書を持ち歩く必要性が無くなり、意図せず性別が変わったとしても、突然の検閲に引っかかったとしても問題無くやり過ごす事が出来ていた。


 華耀が提示した身分証明書を一瞥すると、教師は頷き、華耀の記載した用紙を燃やす。次の人物に見られぬ様、徹底的に配慮されている様であった。


「荷馬車はどちらになりますか。もしくは後日運び入れる予定であれば、日程もお教え下さい。こちらで部屋までの運び入れ指示を出します」


「ありません。背中に背負っている荷袋一つです。他は全てこの街で揃えるつもりでしたので」


 言いながら、華耀は不自然で無い程度に軽く首を横に振り、背中の革袋が教師に見える様にほんの少しだけ立ち位置を変える。待機列で観察していた者ならば、この仕草で荷馬車を使わなかった事に気付く筈である。それをどう受け取るかは本人次第だが、ある程度の人間は華耀の狙い通りに受け取ってくれる筈だ。


「そうですか。……日用品はあちら側、衣類は反対のあちらの区域で主に取り扱っている筈です。日用品は同じ様にこちらに来て揃えようと考えている方もいる筈ですので、先にそちらから行く事をお勧めします。これから、貴方が使用する個室迄この灯火が案内しますので、ついて行って下さい。部屋には制服と今後の日程表が置かれています。入学式迄は自由となりますので、どうぞ御自由にお過ごし下さい。制服も入学式迄は着用義務はありません」


「了解しました、ありがとうございます。それでは」


 教師に礼をすると、華耀は説明された通り、灯火の後をついて行く。華耀の思惑を知ってか知らずか、教師も身振りで校外の店舗を紹介してくれた事によって、華耀が荷馬車を使わなかった事はほとんどの人間が気付いた事だろう。


 灯火が案内してくれた個室は、角部屋だった。灯火が扉に触れるとカチリ、と解錠される音が聞こえ、そのまま灯火は溶ける様に消えていく。扉の解錠をすると消失する仕組みだった様だ。簡単に見えてかなり高度な魔法技術に、華耀は感嘆しつつ、早速扉を開けた。


 内部は拡張魔法がかけられている様で、通路で見た隣室の扉との距離よりも明らかに広い作りになっていた。確かに、拡張魔法をかけない限りは貴族や豪商等、普段から広い屋敷に住み慣れている人物であれば窮屈に感じた事だろう。


 更に部屋を確認すると、奥に寝室、さらに地下室が存在していた。地下室は防音・耐魔法仕様で作られている様子で、恐らくここで自主練習が可能となっているのだろうと華耀は考えた。


 一通り確認すると、寝室には絵画が掛けられている事に気付いた。庭園なのか、薔薇の垣根が描かれている。だが、不自然な事に垣根に扉が埋まっているのである。


 注意深く観察すると、微かに魔力を感じる。魔力吸収適正や、特別な視力を持つ華耀は、人一倍魔力に敏感である。その華耀が微かに・・・感じると言う事は、他の人間は気付きにくいと言う事である。


 滅多に他人が立ち入らないであろう寝室に、微かに魔力を放つ絵画。確実に何かの魔道具であろうと判断した華耀は、アメリー婦人の件と併せて聞いてみる事に決め、革袋から学院長へと通じる連絡用魔道具を取り出した。


 連絡用魔道具は大変高価な物で、豆粒程の大きさ故、連絡系魔法とは比べ物にならない程利便性は良い代物である。その反面、二つで一つの魔道具扱いとなっており、単体では作用しない。連絡を取りたい相手と一つずつ所有すると言う仕組み上、連絡を取りたい相手が多ければその分魔道具が必要と言うデメリットがある。


 それを今回、学院長と父である王が対で所持していた物を学院長了承の下、父から借り受けて来た。色々と便宜を図ってもらう手前、頻繁に連絡を取り合う必要があるだろうが、学院長室に何度も赴けば人目に付く可能性が高い。連絡用魔道具があった方が何かと便利だろうとの判断だった。


 緊急で父に連絡が必要な場合は、華耀が持つ父との連絡用魔法具を使用する必要がある為、学院長と華耀専用の連絡用魔道具が用意出来る迄の代替手段である。


 魔道具を耳に装着し、軽く魔力を流し込む事しばし。ここで言う軽く、とは火を灯す為に使用する程度の極微量であり、師匠達の魔力を使い切ってしまった今の華耀でも周囲に漂う魔力を吸収してしまえば簡単に使える物だ。自身の魔力や魔法技術力に関係無く使用出来る点でも、他の連絡系魔法とは一線を画する画期的魔道具である。


『御連絡、御待ちしておりました。部屋は見ていただけましたかな』


 魔道具を通じ、耳元に学院長の声が響き渡る。魔道具が繋がった途端、意識せずに華耀は背筋が伸びるのを感じた。


「はい、学院長。先程一通り見させていただきました。その件についてお聞きしたい事もあるのですが、申し訳ありません。想定外の事態が発生しまして、入学手続きを華耀の名で済ませてしまいました。ですので、エレノア・ブロッサムとしての入学手続きをお願い致したいのですが」


『そうですか、分かりました。と言う事は華耀様用に用意した一階西の角部屋にいらっしゃると言う事ですか』


「その様です。それで、寝室の絵画から微かに魔力を感じる為、気になっているのですが」


『ほう、その魔力を感じ取れるとは流石ですな。


 他の生徒の部屋にも絵画は飾ってありますが、華耀様の部屋に掛かっている物は特別製の魔道具でして、魔力を発する状態の絵画に触れると、エレノア様用に用意した部屋の寝室へと繋がっており、行き来が可能です。


 また、魔力を込めて触れれば何の変哲も無い普通の絵画になり、再び魔力を込めて触れれば魔道具へと変じます。魔力を発している状態では、繋がっている先の部屋の声が聞こえますから、どなたかが部屋を訪れた際に重宝するかと思います』


「そんな素晴らしい魔道具があるのですか。それを私の為に……、御配慮、感謝いたします」


『華耀様、私にその様な御言葉遣いは不要です。もっと気楽に接していただければと』


「いえ、学院長は父の恩師でもあると聞き及んでおります。それに、私は肩書だけは立派な物がついておりますが、未だ名を馳せ、民に認められる様な事はしておりません、ただの若造です。教えを請い、これから御世話になる立場ですから、敬うのは当然の事です。……等と言っておきながらこの様な御願いをするのは大変厚かましいのですが、此方の生徒の御家族を暫く滞在させていただく事は可能でしょうか。実は――」


 掻い摘んで事情を話す事暫し。ヨハネス・アダルベルトが確かにこの学院に在籍している事を確認した時点で、学院長は教師の一人をアダルベルト家の別宅へと向かわせた。別宅に居る彼が確かにヨハネス・アダルベルトその人であると教師が確認した事で、ヨハネス、アメリー婦人、リュリュの三人は学院へと迎え入れられた。



   §-§-§



 数日前に学院に入学する為に旅立った筈が、再びこうして王都に舞い戻っている状況に自分でも驚きを禁じ得ない。しかしドミニクの居ない今、城下の騎士団との渡りをつける方法を考えると余りのんびりもしていられない。


 ここに来る迄に、華耀はいくつかの方法を考えてみた。


 一つ目は城下の知り合いを当たる事である。今迄こっそり城を抜け出しては城下のトラブルに首を突っ込み、幾度と無く騎士団経由で司法に報告していた華耀である。当事者達の中に騎士団に伝手がある者が居る可能性は大いにある。しかし、今から全員に当たるのは時間制限を考えると現実的では無い。


 二つ目は一週間前に就任した騎士団長への挨拶を兼ねて直接騎士団本部へと突撃する方法。騎士団長であれば名ばかりの王子であるとしても華耀の事は無下には扱わない筈である。悪く無い手ではあるかもしれない。

 

 三つ目は城に戻り、誰か伝手がある者を探して頼る方法。しかしこれは城内の騎士団と城下の騎士団の仲を考えるとなかなか厳しい物がある。


 他に華耀が頼れる相手と言えば三人の師匠とリカルド、両親だが師匠達は城の外に出る事も無ければ、城の中の人間とすら関わり合いを持とうとしない。伝手があるとは大抵思えない。


 リカルドも城での政務に忙殺されており、外に直接的な伝手があるとは想像しにくい。そもそも彼が騎士団を動かす時は父が必要としている時だ。リカルド個人の伝手があるとは考えにくい。更に言えば彼を頼るのであれば理由を話す必要がある。まず間違いなく御小言が飛んでくる。時間が無い今それは避けたい。


 一番間違いないのは父だが、黙って勝手に共も連れずに出立した事に怒り心頭だろう。今父にあったら今度こそ容赦無く馬車を用意されてしまう。あんな崖道を使った上に命のやり取りをしたなんて知れようものならリカルド以上に厄介である。いい加減華耀を娘だと思うのをやめて欲しい。


 それに、と思う。父と華耀は同じ物を見ても違う判断を下す。父経由で騎士団への支援要請をするには詳細を話さねばならないが、父の性格を考えればリュフタ男爵は間違い無く爵位はく奪になるだろう。リュフタ男爵に引き続き男爵を名乗らせるメリットよりも、人としての道を踏み外し、実の娘を危険を承知でアダルベルト家へ嫁がせようとした事を重く見て判断を下す筈だ。


 それも間違いでは無いとは思う。だが逆に、ユスティーナ嬢の事を考えればこそ、男爵にはもう暫く男爵で居てもらい、彼女が卒業して事業と爵位を引き継いだタイミングで病気療養との名目で、遠方での蟄居ちっきょ隠居してもらうのが良いと、華耀は考えていた。


 記憶から垣間見えるユスティーナ嬢と言う人物は、世間一般の貴族令嬢とはかけ離れた性格をしている様に見えた。淑女としての礼儀作法や手芸等よりも数字と統計をこよなく愛し、いつか起業しようと考えていた様だ。ドラゴ相手に事業計画を語る表情は彼女の父であるリュフタ男爵に瓜二つであった。


 何の肩書も持たぬ、それどころか罪を犯して爵位を剥奪された父を持つ少女の事業計画書を取り合う人間は居ないだろう。


 恐らく、今の彼女には政略結婚の温床である貴族令嬢と言う肩書は邪魔でしか無い。だが、起業するのであれば、家督を正式に継ぎ、リュフタ女男爵となればこれ以上に勝る肩書も無い。


 父と華耀の考え方は、同じところを見ている筈なのに微かに違う。それは子を持つ親の立場と、子の立場の違いなのかもしれない。


 けれど、今回は父のやり方では駄目だ。彼女を思えばこその判決が、彼女の、一人の少女の人生も夢も壊してしまう。


 どうにかして爵位はく奪では無く、爵位譲渡に持っていけないものだろうか。しかし、男子ならともかく女子の当主は物珍しい。父親の罪の為に令嬢に当主の座を、とは流石に司法も躊躇するだろう。


――とりあえず、駄目元で城内の騎士団連中に伝手が無いかを聞いてみるとしよう。意外に、騎士団員単位では仲の良い人物の一人や二人、居るかも知れない。


 そう思い立ち、華耀は城への隠し通路の一つへと足を向ける。父に見つかれば面倒な事になりかねない為、馬鹿正直に正門から城へと入る事は躊躇われた。


 この時間であれば騎士団の面々は訓練所で稽古をしている筈だ。城内に入ってからもなお、誰にも会わない様に細心の注意を払いつつも、最短ルートで訓練所を目指した。


「今日も精が出るな」


 華耀が真っ先に声を掛けたのは騎士団副団長のルーカス・リベルテ・ガルシア。その名の通りガルシア伯爵家当主の次男である。王国騎士団には副団長は二人存在し、城内の纏め役としてルーカス、城下の纏め役としてアシュレイ・リベルテ・ローズウォールが居る。アシュレイはローズウォール伯爵家の三男である。


「王子! どうしてここに!? 陛下が”共も連れずに勝手に出立した”と大変お怒りの御様子でしたが……」


「父に見つかったら立派な馬車と護衛数人……下手したら二桁に上る程度、確実に用意されてしまうだろう……。そんな事をしたら”私は裕福でそれなりの身分の人間です”って言ってる様なものだろう、だから黙って出たんだ。師匠に一杯食わされて、獣道を通らなければ入学式に間に合わないと言われたと言うのもあるがな。


 それで、今朝無事に学院には着いたんだが、ちょっと緊急の要件であちらのギルドから、ゲートを使ってこちらに戻って来たんだ。悪いが、誰か城下の騎士団員を紹介してくれないか」


「また何かトラブルですか? 何も向こうに着いて迄首を突っ込む事も無いでしょうに……。そうですね、丁度アシュレイが来てますから、紹介します」


 そう言い、ルーカスは稽古中の騎士の中へと消えていった。どうやら、城下の副団長であるアシュレイが城内での稽古に参加しているらしい。


「お初にお目にかかります、王子殿下。アシュレイ・リベルテ・ローズウォールと申します。それで、私に何の用でしょうか」


「会うのは初めてでは無い筈だが……、こうして話すのは初めてか。華耀・リベルテ・ライゼンアムド・紅だ。


 早速で申し訳ないのだがアシュレイ、城下の騎士団の力を貸してくれないか。今、ある貴族が豪商アダルベルの本家に意図的に破産に追い込まれ、脅迫されている。彼らはそれだけでは飽き足らず、同じアダルベルト家である筈の分家の人間を暗殺する様にその貴族が抱えている冒険者に命令も出している。


 だが、その証拠は無い。だからこれから言質を取る為に貴族の家の関係者がアダルベルト家に乗り込む。その現場に、いつでも突入出来る様に騎士団を数人派遣してもらいたいのだが」


「なるほど、事情は分かりました。お断りします」


「なっ!? 何を言っているのか分かっているのか、アシュレイ!」


 アシュレイの発言に対し、ルーカスが声を上げた。しかしアシュレイはルーカスの声を無視し、続ける。


「ろくに私達にお声掛け下さる事も無く、初対面で御願いですか。命令で無いだけまだマシなのかもしれませんが、癇に障るのは同じ事です。下手にさえ出れば恐縮です、とでも言って動くと思っていましたか?」


「……いいや、動いてくれるとは思っていない。だが人の命が掛かっているのは事実だからな。君達に動いてもらえないのであれば私が行くだけだ。証拠さえ揃えてしまえば流石に君達も司法に引き渡す位はしてくれるだろうからな」


 城下の騎士団と関わらずに来たツケが回ってきたのだと華耀は諦めていた。だから下手にも出たし、協力してくれない様であれば華耀一人で行くと言ったのも嘘偽りでは無い。だが、そんな華耀の様子を、アシュレイはただのやせ我慢か何かだと考えたらしい。先程よりも更に嘲る様な態度で口を開いた。


「貴方が? 行ってどうするというのです、どうせろくに動けもしないでしょうに」


「アシュレイ! お前、不敬罪で斬首になってもおかしくないぞ! 一体何をそんなに苛立っているんだ」


 青い顔で必死にアシュレイの言動を止めようとしているのはルーカスである。ルーカスがアシュレイを紹介する、と言った事や副団長と言う本人の地位を考えれば、普段のアシュレイの為人ひととなりが分かる。恐らく、王族相手にこんなに馬鹿にした態度を取る人間では無いのだろう。


 そう考えると、華耀は別に怒りも湧かなかった。それだけ城下の騎士団は、華耀に対する失望が大きいのだと思う。これは一朝一夕でどうにかなる事では無い。


 確かにいつも城下で何か事件に巻き込まれた時、華耀はそれらを解決する道筋や証拠集めをし、騎士団への引き渡しや協力依頼は全てドミニクに任せていた。たまに直接顔を合わせて話をした事もあったが、それもエレノアとしての華耀だった。アシュレイにとって華耀は、王子と言う称号と、病弱と言う噂しか知り得ない存在だったのは事実だ。


「はっ、都合が悪くなればこうやって取り巻き達が不敬罪と騒ぎ立ててくれて、本当に良い御身分ですね。そうですね……私に勝てたら言う事を聞きましょう。ただし同行するのは私一人です。たかが商人であれば私一人でも十分でしょう。こんな下らない事で部下達の手を煩わせる必要も無い」


「下らない事、だと……? そうか、なるほど。どうやら私は君を買いかぶり過ぎて居た様だ。君達城下の騎士団が気に食わないのは私一人だと思っていた。私が持ち込んだ案件だろうがそうじゃなかろうが、今城下で起こっている事全ては君達にとっては大切な守るべき民の事だ。決して下らない事では無い・・・・・・・・・と思っていたのだが。


 時間が惜しい、悪いがお前・・の話に乗るつもりは無い。先程から言っている様に人の命が掛かっているからな。これで失礼する」


そう言って華耀は踵を返す。別に、華耀に関する事は何を言われても弁明の余地は無かったし、するつもりも毛頭無かった。


 だが。王国騎士団としての存在意義を履き違えた者が副団長であると言う事実は看過する訳にはいかなかった。故に華耀はアシュレイとの会話を打ち切り、再びもと来た隠し通路へと足を向けた。


 そこに声を掛けたのはルーカスである。


「待って下さい華耀様! 私が御一緒致します!」


「何を言っている、ルーカス。担当外の場所で仕事をするのは規律違反だろう」


「ですが、王子を御一人で行かせる訳には行きません。それに、城下での揉め事を司法へと引き渡すのは城下の騎士団の担当ですが、王子の護衛の名目であれば私の担当範囲です。


 現場を押さえて証拠を掴んでしまえば城下の騎士団に引き渡してしまえば良い。先程王子が言ったのですよ」


 詭弁とも取れるルーカスの発言だが、思わぬ所で援助の申し出を受けた華耀は胸が温かくなった。ありがたく申し出を受けようとした所、更にアシュレイの声が掛かる。


「私が行く」


「アシュレイ! 今更何を言うんです。貴方にはとてもではありませんが華耀様を御任せ出来ません」


「先程の言は取り消します。正直な所、今も私は貴方が私達騎士団を使う事を認められません。しかし、貴方は先程私がどれだけ貴方の事を貶めようと怒りはしなかった。最初はただの腑抜けかと思いましたが、最後に私が失言した際に御怒りになった。貴方は腑抜けでは無い。民の事を真摯に考え、騎士団の存在意義を忘れる事の無い方だ。


 もしかすると、私が知らないだけで貴方はもっと民と真摯に向き合っていたのでは無いかと。だから貴方に着いて行き、この目で確かめたいのです」


 アシュレイは真摯な表情で華耀へと謝罪を口にした。先刻の嘲る様な表情は鳴りを潜め、今はその瞳に静かな熱を感じる。妨害をするつもりで名乗り出ている訳では無い様に見えた。


「ルーカス。申し出は嬉しく思うが、やはり城下の案件は城下の騎士団に任せる事にする。アシュレイを紹介してくれて助かった。感謝する」


「……そうですか。華耀様がそうお決めになったのであれば何も言いません。ですが、私は先程のアシュレイの発言を決して許しません。例え華耀様が御許しになっても、です。何かあれば私がすぐに駆けつけますから、いつでも御連絡を」


「だそうだ、アシュレイ。何も無い様努力しようじゃないか。所で、私は正門から出るつもりは毛頭無いが、君は城下への隠し通路を知っているか。君が一つも知らないとあればおいそれと教える訳にもいかないからな」


「ここから少し歩いた所にある、別棟の脇道から城下の水路へと出る所ならば」


「丁度良い、今向かおうとしていた所だ。……だが、そこを知っていると言う事は普段から訓練所へは正門経由で来ていないのか」


「……返答は差し控えさせて頂きます」


 等と話しながら、二人は通路を突き進む。入り組んだ水路も抜け、後少しで地上へと出ようかと言う所でアシュレイが再び口を開いた。


「迷う事無く進むのですね。貴方は知識として知っているだけでは無く、幾度と無くこの道を歩いている様だ」


「この道が一番城内でも人目につかない所にあるからな。使用頻度も自ずと上がってくる訳だ」


「いいえ、私が言いたいのはそう言う事ではありません。


 貴方は病弱で、滅多に人前に出られないと噂で聞き及んでいましたが、とてもそうは見えません。


 今もこうして入り組んだ水路を難なく進んでいる。相当城下を訪れている証拠だ。あの噂は、真っ赤な嘘と言う事でしょう。何故甘んじて受け入れているのですか」


「……病弱じゃなくとも、王子として人前に出られぬ理由がある、ただそれだけだ。その代わり城下にはほぼ毎日訪れていた。……自慢では無いが、城内よりも城下の方が知り合いは多いと思うぞ」


「……色々と認識を改めねばならぬ様です。しかし、アダルベルト家は一二を争う程の豪商ですよね。何故急に貴族を脅したのでしょう。それに分家の方を暗殺しようとするとは一体……」


 興味を示したアシュレイの様子に、華耀はもう少し詳しく話した方が良いだろうと判断し口を開きかけた。すると、華耀が腰にぶら下げていた革袋から魔力反応が発生した。水鏡が開こうとしている様である。


『聞こえるか』


「ああ、聞こえている」


『王都に着いた。どこに向かえば良い。もうアダルベルトの屋敷に向かっても良いのか?』


「いや、一旦合流したい。ゲートを出た所ならば、すぐ近くに水路に降りる為のはしごがあるだろう。そこに居る」


『分かった、すぐ向かう』


 ドラゴの声が途切れると同時に、水鏡の魔力反応も消失した。それを感じ取ったアシュレイが口を開く。


「今のは?」


「今回の関係者の一人だ。直接アダルベルト家に乗り込んで、言質を取ってもらう手筈になっている。だがその前に、君にはもう少し詳しく話しておこうと思う。


 簡単に言うとアダルベルト家が先日次期当主に指名した、嫡男ヴィクトールに商才が無かったのが事の始まりだ。最初、彼らは分家筆頭商人のアメリー婦人に再婚話を持ちかけた。だが断られ、本家より評判の高い分家が目障りだと命を狙い始めた。


 次に、とある貴族の御令嬢に目をつけた。彼女はニトラール学院で優秀な成績らしく、後々は自分で起業するつもりの様だ。アダルベルト家は彼女を囲い込む為にその家の事業を妨害し始め、政略結婚せざるを得ない状況を作り出した。


 だが、ヴィクトールはアメリー婦人に懸想している様で、この政略結婚に対して首を縦に振らない。業を煮やした現当主のザシャが、結婚相手の貴族が雇っている冒険者達に金を握らせ、アメリー婦人一家の暗殺を依頼した。


 ちなみに、その貴族の屋敷にはアメリー婦人の旦那が保護と言う名目で監禁されている。私達の目的はアダルベルト家当主の言質を取り、司法の裁きを受けさせる事と、アメリー婦人の旦那の保護だ」


「なるほど、だいぶ危機的な状況だと言う事は理解しましたが……トレヴィルに向かっていた筈の貴方が何故それを知り得て、首を突っ込んでいるのですか」


「ちょうど私とエレノアが獣道を歩いて居た時に、馬車道で山賊に襲われたアメリー婦人一行が森を抜けてエレノアに助けを求めて来たのだ。エレノアは彼らを守り、山賊の一部を殺し、一部を生け捕りにした。……一部は逃したがな。


 逃した者がどう動くか分からなかったから、エレノアが彼らを連れて、昼夜歩き続けてトレヴィルに連れて行った。私は後ろから彼らに気付かれない様に護衛をしていた。まあ、最初は半ば巻き込まれた様な物だったのだが……。


 道中、アメリー婦人はアダルベルト家の話をしていた。本家に命を狙われている事から始まり、そもそも何故本家に敵視されるに至ったのか。――現当主が当主に指名されたとされる席で、先代当主に指名されたのはアメリー婦人の父である、現分家当主だったらしい。が、現当主はそれを認めず、その数週間後に先代当主は急死、次期当主として現当主であるザシャの名を記した用紙が出て来たらしい。


 この話が本当であれば、今アダルベルト本家として君臨しているのは簒奪者だ。だが、十数年も前の話の証拠を今更見つけるのは絶望的だ。だから暗殺未遂及び脅迫の方で捕縛し、司法に引き渡した後、司法調査魔術師に次期当主指名時期前後を時空魔法で探ってもらい、本家と分家の立場をあるべき姿に戻した後に裁判を始めてもらおうかと思ってな。


 そうしなければ、王都で一、二を争う商家を御取り潰しにする事になってしまう。それでは王都全体に影響を及ぼしてしまう。だから、司法に事を引き渡す時にこれらの説明をした上で、時空魔法を使用して証拠を探ってもらう為に首を突っ込んでいる訳だよ。


 今から来る関係者は脅迫されている貴族の家の令嬢に仕えている冒険者だ。彼の話もトレヴィルに到着してから聞き、アメリー婦人の話と齟齬そごが無い事はそこで確認した。一緒に話を聞いたドミニクの協力の元、ゲートでこっちに戻って来た所だ。


 ザシャはとっくにアメリー婦人との縁談に見切りをつけて一家全員の命を狙っている。そして政略結婚の相手として貴族令嬢も狙っている。だから一旦、狙われている全員をニトラール学院で保護してもらった。ドミニクが護衛についている。そちらはまず安心だろう」


 一通り話し終えた頃、タイミング良くドラゴがはしごを降りて来た。華耀を認めると近寄って来たが、隣にアシュレイが居る事に気づき、問いかけてくる。


「そちらは?」


「騎士団の副団長だ。これから君がアダルベルト家に乗り込む際に私と一緒に外で待機してくれる事になった。相手が相手だけに、言質さえ取れれば、そのまま司法への引継ぎもお願いしたいと思っている……が、構わないか?」


「……そうですね。今聞いた話が事実ならば、事が大きすぎて一騎士には荷が重いでしょう。私主導の下、騎士団全体で取り組むべきかと思います。ところで、その脅迫された貴族と言うのはどう扱うべきなのでしょうか。男性が一人監禁されていると言う事は、こちらも既に加害者扱いで宜しいのでしょうか」


「まあ実を言うと脅迫されて仕方無く、であるとは言え、既にある程度加害者側にいる事は確かだな。


 ただ、元々本家を名乗っていた事それ事態が間違いだったとしても、客観的に見ればアダルベルト家の判決は形的には分家筋に本家を譲渡し、取引相手や王都の流通に打撃を与えない様に丸く収める形に見える筈だ。


 それに対して貴族側の判決がこのまま爵位はく奪の上王都追放では、縁談を受けざるを得ない状況を作り出す為に巻き込まれて倒産させられた、取引相手は納得がいかないだろう。


 アメリー婦人の話が本当ならば、本家はヴィクトールの所為で大損害を出した筈だ。黙っていても潰れる事は無いだろうが、倒産させられた取引相手に対しての、損害を与えた分の全額返還はまず望めない。


 それに、商才があるにもかかわらず父親に考慮してもらえずに政略結婚させられそうになり、挙句に相手が目も当てられない程の犯罪者だった一番の被害者である御令嬢の立場も、更に悪くなる。


 普通の御令嬢ならともかく、わざわざ自身で選んでニトラール学院で経営学を専攻し、将来は起業するつもりの様だ。いくら本人に才能があっても、爵位はく奪された家の御令嬢と聞けば、話を聞く人物はう居ない。


 ここは一つ、御令嬢に家督を譲り、蟄居して貰う方向で調整したい。


 御令嬢には申し訳ないが、爵位があれば起業もしやすいだろうし、その代わりと言ってはなんだが自身の事業の傍らにでも、現在の事業を再興させ、取引相手との取引を再開してもらうのが皆にとって納得が行く形じゃないかと思うんだが、……ドラゴ、状況を報告した結果、どうだった?」


男爵あいつのした事を聞いた段階で、泣いていた。今でこそ自分の望みだが、そもそもの始まりは後継ぎが自分しか居ない事実に対する対策として、経営学を学び始めたんだ。それが結果としてアダルベルト家を引き寄せ、父の事業が立ち行かなくなったのだから心中は穏やかじゃないだろう。


 家督を譲り受けて事業再興する件に関しては、元々自分の選択の所為で他の人々を巻き込んだ様な物だからと二つ返事で承知していた。それはお前が気に病む事じゃないって言っても聞かなくてな。まあ別に元々自分で起業したかったんだから、爵位を持った当主と言うのは強みになる。何だかんだであいつも幸せだろうし大丈夫だ」


「分かった。本人の了承を得たならば良かった。それでアシュレイ、君はどう思う。いや、そもそもそう言う結果に持っていく事は出来そうか」


「はあ、随分と広い範囲の先の事迄考えてらっしゃるんですね。


 確かに、とばっちりで廃業者が続出すれば王都の治安も悪化しますし、私としてもそれは望みません。ただ、爵位はく奪では無く譲位に持って行くのであれば、ある程度取引相手の嘆願書や、その御令嬢の事業計画書が証拠として欲しい所ですね。流石に司法の方も、御令嬢と言えばダンスや裁縫であって、決して親の罪の所為で家督を譲られる相手とは見ないでしょう。本人がそう望んでいる、と言う物的証拠は必要です」


「事業計画書ならいくつかある。念の為あいつから借りて来た」


「そう言う事でしたらこちらの方で取引先からの事業継続嘆願書は集めておきましょう。しかし、廃業までしてしまったならばある程度立て直しには資金が必要ですよね」


「損害分全額は無理でも、立て直しに必要な分の資金は何としてもアダルベルト家に支払い命令を出させる。屋敷を売るなりすればある程度の金にはなるだろう。それだけあくどい事をしていたならば、隠し財産の一つや二つ、出てきそうだがな。


 万が一何もなければアメリー婦人には申し訳無いが、本家筋に戻った後も分家の屋敷で暮らしてもらう事になるかもしれないが……


 とりあえず、話はまとまった。ここからはアダルベルト家で言質を取る手段と、私達が見つからずに侵入出来る場所、話を聞く事が出来、尚且つ、いつでも突入出来る場所があるのかと言う話をしたい。ドラゴは屋敷の間取りに詳しいか?」


「ああ、何度か行ってるから問題無い。商家故に開けている。家屋は難しいが、敷地内に入るのは容易たやすいだろう。話をする場所は、恐らくザシャの書斎になる。そこは屋敷の一番奥だが一階にある。庭からなら会話も聞こえて突入も簡単に出来る筈だ。


 それと、言質を取る為に会話の誘導は出来るが、証拠として残す為の手段は俺は持ち合わせていないが……」


「騎士団の方で音を封印する魔道具を所持している筈だ」


「ええ、今持っています。こちらを貸し出しますので、お使い下さい。最初に魔力を流し込んで起動さえしてしまえば、後は流し込んだ魔力が尽きる迄の間、音を本体の中に封印してくれます。


 言質を取る間の短時間程度であればそれほどの魔力は必要ありませんし、起動後は魔力感知の類にもほとんど引っかかりはしませんので問題無いでしょう。もう一つ所持していますから万が一見つかってしまった場合に備えて、こちらでも起動しておきます。見つかった場合は状況を逆手に取り、たった一つの切り札だった様な顔をして、相手が口を滑らせる様に誘導して下さい」


「助かる。正直な話、既にアメリー婦人に助太刀があった件は森の中で逃げた二人がアダルベルト家の奴らに報告した可能性は大いにある。


 俺の事はばれていないだろうが、元々男爵家に出入りしている冒険者の中で俺にだけ声が掛かっていなかった時点で、こいつは味方にならない、と思われている節はある。


 トレヴィルで言った通り、ユスティーナの為に暴走した体で押すつもりだが、最悪土産・・を持って訪ねても、言質を取れない可能性はある。当主はとにかく何を考えているのか悟らせない、狡猾な奴だ。口を滑らせてくれそうなヴィクトールが同席していれば楽なんだが、それを分かっている当主が許すとも思えないしな。


 目論見がばれて打つ手が無い、と言う顔をした方がかえって何か喋ってくれそうだ。そう言う訳で、言質が取れるまで、突入はぎりぎりまで控えて欲しい。大人数に囲まれない限りはある程度は俺だけでも対処出来る筈だ」


「分かりました。そうは言っても貴方が一番危険な役どころですから、危ない思ったら、独断で飛び込むのでそのつもりでいて下さい。最悪、男爵でしたか? そちらからの証言だけで引っ張る手もあります」


 最後に屋敷の見取り図を軽く書いてもらい、華耀とアシュレイは先に侵入し、待機。所定の場所に着き次第、水鏡でドラゴへと連絡を取り、正面から堂々と訪ねてもらう運びとなった。


 本来、他人の屋敷に無断で入るのは大問題だが、犯罪の物的証拠を抑える為の権限は騎士団に付与されている。また、犯罪行為の告発が出た場合、立件迄の間、告発者を護衛する権利も付与されている。その為、万が一言質が取れなかった場合は副団長アシュレイと王子である華耀が責任を取る形とし、少々強引ではあるが、物的証拠入手権利とドラゴの護衛権利行使と言う体で作戦を実行に移した。

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