第一章

旅の難易度は、距離で測れる物では無い1

 学院の入学式は二十日後に迫っており、荷造りも万全。だが、選んだ学校が全寮制である事実は、華耀の不安を日に日に募らせていた。


 特に学校の名声等を気にしない華耀としてはどこでも良かったのだが、残念な事に名声を除いても、その学校が一番秀でていた。何せ大陸一の学校である。自国内で二番手の学校は寮が無かったので視野に入れてみたのだが、師匠曰く魔法系統が劣るとの事だった。


 残りの二人の師匠は名声を重んじる傾向だったので、言うまでも無く一番手の寮のある学校を勧めて来る。


 それでもまだ渋る華耀の様子に、師匠はこう言ったのだ。


『選ぶのはお前だから止めはせんが、魔術に劣る分、武術が秀でてるならばまだしも、それも同等程度。強いて言うなら学費が安いのが強みだが、お前には余り関係は無いだろう。


 代わってやれない身で言うのもなんだが、寮生活が気がかりと言う理由で選ばぬのは下策だ。


 例え誰かに見られたとしても、あの人数の生徒全員を覚えている人間なぞ滅多におらん。いくらでも誤魔化せるだろう。たかが寮で残りの人生を放棄するつもりならば止めはせんがな』


 華耀とて、ころころと性別が代わる身体にはうんざりしているのだ。


 それでも出立の前日に迷ってしまったのは、今までそんな状況に置かれた事が無かったからだ。未知に対する恐怖は想像が難しい分、耐え難い。


 城内は広い。王子を滅多に見かける事が無かったとしても、広さ故にそれが当たり前だと判断する。


 国中、いや、大陸全土でも両手の指で数え切れる程随一の腕を持つ大魔導師の内、三人が師匠と言う事もあって、幼い頃は何かと注目される事もあったが、それを嫌った華耀は目立つ功績は何一つ残してこなかった。


 名声を欲しいままにしていた師匠三人も、最初こそ思う事はあったのだろうが、いつまで経っても自身に魔力が戻らない故、華耀が目立たぬ事に手を貸す様になった。結果、今の平和を手にしたのだ。


 男としての華耀は、魔力枯渇時にしか戻らないのだから当然の事、目撃者が少なく、病弱と言う噂がまことしやかに囁かれる様になった。


 華耀付きの侍女等は事情を知っているし、師匠三人や父母も当然知っている。女の華耀は王妃の遠縁として王宮で不自由無い生活をしつつ、母である王妃の計らいで、城の中でも一番目立たぬ場所に居を構えていた。何か想定外の事態に陥っても、都度彼らがフォローしてくれる為、華耀は今迄一度も赤の他人にこの体質の存在を知られる様な事は無かった。


「未知に対する不安、か……。それを分かってくれているからこそ、師匠も選択するのはお前だ、と逃げ道を作ってくれているのだろうな」


 だが、目立ちたくないのと元の身体に戻らなくて良いのとは別問題である。


 当然、華耀は元の身体に戻りたいし、何より、目立たない様に心がけていただけで、魔術も、武術も、腕が悪い訳では無いと、内心では思っている。


 自身の力が何処まで通用するのか。


 大陸で一番、しかも他国からも逸材がこぞって通うと言う学院に、興味が無い筈が無い。



   §-§-§



 翌日早朝、華耀は裏門からこっそりと城外へと出た。学院では身分を隠す。そう決めていたからである。出立を目撃されれば――特に父に――家紋こそ外すだろうが、豪奢な馬車やら護衛やらを付けられるに決まっている。王子だとはばれずとも、貴族だろうと当たりを付けられるのはごめんだった。


「王としての父は尊敬するのだが……どうも、私を本当に娘と思っている節があるのがどうしようもなく困るな」


 二トラール学院これから通う学校で身分を伏せるのは華耀だけでは無い。周辺の国々から、将来爵位を譲り受ける人物もこぞってやって来る。当然その中に、敵対国家の人物も居る為、無駄な争いを避ける為に身分を隠すのは暗黙の了解となっていた。


 無論、敵対国家の人間であろう人物にはある程度当たりを付け、関わりを持たぬ様にする程度の事はあるらしい。そんな中、華耀が身分を隠すのは当然、この国――ライゼンアムド王国――の王位継承者であるからだ。


 そんな状況下で、王都から豪華な馬車やら護衛やらで学院に乗り付ければ、富裕層、中でもある程度の位持ちだと触れ回っている様なものだ。口で言っても止めないのならばこっそり出て行くしかあるまい。


 世間では王子の現状を問う声は少なからずある。その辺りの痛くない筈なのに痛い腹を探られぬ様にする事、そして己が力量を純粋に周りと比べる為、そして派閥争いに巻き込まれぬ様にする為、身分を隠す事は様々な側面で効果的だ。


 目立たない事をモットーに生きてきた華耀ではあるが、別に引っ込み思案な訳では無い。


 むしろこの様な境遇で無ければ世間の目を気にせず何事も全力で打ち込んできたであろう性格をしている。生まれてこの方一度も学校にも通えず――エレノアとしてならば短期間、近隣の学校へ通った――、城内で陰に隠れてこそこそと修行をせねばならなかった日々に鬱屈していた。寮生活の事さえ考えなければ、上級学校でのこれからの事を考えると胸が高鳴る。


「七年の間に己が呪いを解く方法を見つけつつ、学園生活を謳歌し、更に欲を言えば将来右腕になってくれる可能性のある人物と巡り合う、か。気を引き締めてかからねば、あっと言う間に卒業、と言う事になりそうだ。


 逆に、秘密を守り通すとなると七年は長い……。果たして無事に卒業する事は出来るのだろうか」



   §-§-§



『その規模が故に、そして万が一国境から進軍された時に臨時兵士として抑止力となる様、王都からはある程度離れた場所、隣国インテコア連邦との国境の街トレヴィルにニトラール学院は作られた。


 とは言え、それは軍事的側面から見た場合であり、交易の観点から見るとまた違った解釈となる。最初こそ、王国から通う生徒の縁者からの輸送物資が集まる程度であったのが、気付けば他国の商人御用達の買付場となり、様々な国から入学希望者が殺到する程学院の評判が高くなった頃には、その規模は段々と膨れ上がり、今では他国との交易の要とも言える程豊かな商業都市へと成長している。


 ライゼンアムド王国の王都リベルテは国の中央に位置し、いつ何時地方に災害や飢饉が起こっても良い様に王都周辺で農作物を育て、国庫へと格納している。各地への輸送も迅速に行える様、主要な地方への道路は馬車が通りやすい様に整備されている。それはトレヴィルも例外では無い』


 ――確かに、そう師匠達には教わった。だが……


 現在、王都から学院へと向かっている華耀の道のりは、道が無いと言っても差し支えが無かった。綺麗に踏み固められていない、まばらに草が生えた非常に歩きにくい細い獣道が目の前に広がっているのだ。


 一歩道を逸れるとそこは深い森であったり、切立った崖であったり、或いは流れが早い川であったり。人の手が入っていない、大自然そのものであった。馬の扱いを少しでも間違えれば間違い無く命を落とす。そんな道である。


 華耀は、トレヴィル迄の道程を聞いた時の事を思い出す。何度聴いても「間に合う」の一点張りで、入学式迄あと二十一日と言う所で説明された。


『トレヴィルは城郭都市じょうかくとしだ。王都からのルートは二つ、馬車が通れる様に整備された道と、完全な獣道。新学期や入学に重なるこの時期、トレヴィルの城門では積荷の検閲に時間がかかる為に整備された方の道は相当な混みようだ。一方、獣道の方の城門は、年中閑古鳥が鳴いている。


 なおかつ獣道がおよそ三日でトレヴィルに到着するのに対し、森をぐるりと回る形の馬車道は十五日はかかる。


 そこに検閲の為の渋滞日数を考慮すると、今からじゃ間に合わんかもしれんな』


「ぎりぎりになる迄師匠じじいが情報を隠してたのは獣道以外選択させない気だったのだろうとは分かっていたが、まさかここまで劣悪な道だとは思いもしなかったな……修行のつもりなのか、単純に事故死を願われているのか判断が難しい所だな。


 まあ、入学式迄は幾分余裕がある。もしも私の速度がじじいの想像以下だったとしても、問題はあるまい。落ちぬ様に慎重に進むとするか」


 そう呟くと、華耀は野営の準備を始めた。初めての土地では早めに野営場所を定める。これも師匠達から学んだ。曰く、遅く迄歩き続けた結果、疲れ果てれば判断基準が甘くなったり、暗闇の中で危険な場所を選んだりと、悪条件ばかりが揃ってしまう為だと言う。


 更に言えばこの悪路では少しでも暗くなれば足を踏み外して転落死も充分有り得る。早めの野営準備は間違いでは無い筈だ。


 兎を二頭仕留める事が出来た華耀は、獣道から一瞥しにくく、尚且つ森の奥に住んで居るであろう大型獣を刺激しない程度に入り口付近を拠点に選び、一夜を過ごした。


 尚、荷物から乾パン等の非常食が抜き取られ、代わりに塩等の調味料が入れられていた事を心の日記に記しておく。トレヴィル迄の行程は自給自足以外認めない気らしい。鬼畜め。



   §-§-§



 翌日、華耀は日の出と共に出発した。


 黙々と行程を消化する中、そろそろ正午だろうか、と言う頃合い、突如右手の森で、華耀は微かな異変を察知した。


「一、二、三……ざっと見積もって九人……。住処を荒らされた動物達もその後から来ている様に感じるな。こんな険しい森を突っ切ってくるとは、一体何事だ?」


 状況を把握しようと、華耀は神経を集中させる。今から走った所で集団との遭遇は避けられない。であれば、情報を多く集めた方が判断もし易くなる。


 ――先頭は四人。それを追いかけているのが五、六人と言う所か……ん?


 森を切り抜けつつ、真っ直ぐトレヴィルに向かって走っていた集団であったが、森を抜ける迄およそ五十メートルと言う所で、四人のうち一人が進路をこちらに微修正する。それに伴い、後の三人もこちらへと向かってくる。どうやら華耀の気配に気が付いた様だ。


「あの、すみません! そこの御方! どうか、どうか僕達を助けてはくれないでしょうか?」


 華耀との距離が十メートルと言う所で男が大声で問うて来る。残りの道程を考え、逃げきれないと踏んだのだろう。華耀の存在に一縷の望みを抱いた様である。


「追われている様ですね。簡潔に状況を説明してくれませんか」


 返答した声、そして距離を縮めるにつれ視界に映る姿から、自分達が助けを求めた人物がどうやら若い女だと気付いたのか、先頭の男の顔が驚きに満ち、次いで逡巡する表情を見せた。だが、後方から迫る気配にその感情は消え去った。


「僕達はリベルテとトレヴィル間を拠点に活動している商人一家です。森向こうの街道で荷を運んでいたのですが山賊に襲われ、雇っていた護衛も皆殺され、こうして無謀を承知で森を抜けて来た次第です」


「山賊ならば、積荷さえ向こうにあればここまで執拗に追いかけてくる事は無いのでは? それに、あちらの道は混雑していると聞きましたが、周りの馬車は助けてくれなかったのですか?」


「恥ずかしながら、我が一族は今、本家と私達分家で対立しております。荷が目的と言うよりも、山賊の襲撃による事故死を装って、私達を殺す事が目的では無いかと……。


 早朝に襲われたのですが、その時周りには誰も居なかったのです。いくら馬車道が広かろうとも、この時期にこれは不自然です。襲撃前に何らの規制をかけていたのかも知れません」


 そう言いながら、華耀の隣に並んだ男は後ろを振り返る。後続の三人はどうやら彼の家族の様であった。弟、両親。外見から判断するならば、そんな所であろうか。


 華耀と話している男を含め四人とも、微かな血の匂いがする。山賊による怪我か、或いは森を無理に踏破する際に傷ついた物か。どちらにせよ、早朝に襲われてここまで六時間程、命があるまま商人が踏破出来た事それ自体、奇跡的である。


「成程。では最後に、一旦今、私が信用するに足ると思える証を示して頂けませんか。家名でも屋号でも、使用している紋章でも。或いは貴方がたの身元を証明出来る物があれば、それでも良いです」


「僕はアダルベルト家のヨハネス。トレヴィルのニトラール学院二年目になります。これが学生証になります。それから、後ろに居ます母がアダルベルト家分家筋、主商人のアメリー、その隣が父、そして最後に弟です」


「ああ、賢商アメリーの二つ名は私の耳にも届いております。それからヨハネス様、貴方はどうやら私の先輩の様です。見た限り、私の学生証と同じ物に見えますし、無事にトレヴィルに辿り着き、学院に確認を取ればこれに勝る証明は無いでしょう。


 長々と事情を御聞きしてして申し訳有りません。一旦信用に足ると判断しましたので、微力ながら助太刀致します」


「後輩……」


 華耀の言葉はヨハネスに深く突き刺さった様だが、今はそれを気にしている場合では無い。


「迎撃せずにここまで逃げて来たと言う事は、先輩は経営専攻か何かでしょうか。終わる迄、下がっていていただけますか」


「あっ、僕はその、補助専攻で、祝福魔法だけは使えますから、せめてこれだけでも。防御術式の一種です」


 ヨハネスがそう言い、小声で呪文を唱えた途端、華耀の身体は淡く光り、その直後、元に戻る。


 なるほど、ヨハネスは優秀な祝福師らしい。


 未熟な祝福は、光が消える迄に時間がかかったり、効果が消える迄ずっと光り続けたり、或いは防御系の術であれば身体が硬く動き辛くなったり等、違和感が出る事もある。華耀が今身体を動かした感じでは、いつもと何も変わらない様だ。


 山賊は前方二十メートル程先辺りだろう。ヨハネス達を襲撃したと言う山賊達からも、血の匂いを感じる。道中誰かを傷つけたが故か、長年の行いから、染みついて体臭と化したが故か。或いは、更に後ろに迫っている、野生動物にでも襲撃されたか。


 いずれにせよ、それが華耀の警戒を更に強めた。深呼吸をし、ゆっくりと手足を曲げ伸ばし、血の巡りを良くする。馬上に座り続けていた分、森を走り抜けて来た彼らよりも、冷えて身体が固まり、動きが鈍くなっている恐れがある。


 自分では気付けない程僅かな差であったとしても、それが勝敗を決す要因となり得る事を、師匠から課された実習課題で、嫌と言う程味わっている。

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