見上げるとドーム型のガラスに仕切られた空からゆっくりと白い小さなかたまりが降ってきた。

「積もったら面倒だなぁ」

  そう言って背中を仰け反らせるのは俺の唯一の友達である晴太はれただ。

「まあ積もるだろうな。ていうか、積もらなかったことって今まであったけ?」

「今んとこないな。毎年足が沈む」

「だよなー。はあ、めんどくせえ」

「先のことばっか考えてたら気分落ち込むぞ。さっさと家行こうぜ」

「そうだな。さっさと帰ろう!」

 俺たちは二人並んで、静かな帰路をスキップで進んだ。

 



「ただいまー、忠一」

 忠一と呼ばれた犬は降る雪を食べるのをやめて、俺たちに駆け寄ってきた、と思ったらお目当ては俺ではないらしい。晴太の足の周りを二周すると、お腹をさらけ出して「くぅーん」と甘えたような声を出した。

「なあいつも言ってるが、お前の飼い主は俺だぞ。まあいいや。はい、これ。今日食った魚の骨」

 俺が骨を差し出すとアクション俳優さながらのスピードで起き上がり、それに飛びついた。

 犬は、普通人間は捨てる動物の骨が好物のエコな生き物だ。

「なあ、知ってるか? 犬って本当は骨を食べなかったらしいぞ」

「は? 何言ってんだよ。今めっちゃうまそうに食ってんじゃん」

 随分と突飛なこと言い出すもんだ。雪が積もるのを想像して、気でも狂ったのか?

「昔ばあちゃんが言ってたんだよ。なんか、遺伝子を改造だかなんだかしたって」

「じゃああれか、さっきみたいに雪をバクバク食べるのも、改造されたからなのか? 確かに、こんなザラザラしたやつ、普通なら食えたもんじゃないけど」

「さあ、どうだろうな。本当の話かどうかも怪しいし。でも、感謝はしなきゃな。犬が雪を食べてくれるから、積もってもそんなに困らないんだから」

 その通りだ。犬たちが食べてくれるから、雨みたいに蒸発しない雪を道から取っ払うことが出来る。

「そうだな。とりあえず中入ろうぜ」

「ああ」

 俺の提案でその話は終わり、俺たちは玄関へと向かった。

「ただいまー」

「おかえりー」

 誰もいない家に挨拶をすると晴太が返した。

「お邪魔しまーす」

 晴太はまるでここが我が家であるかのようにずかずかと入っていった。

「さっそくやろうぜー」

 晴太が帰り道で買っていたお菓子を小さなテーブルに広げ、俺はジェンガを組み立てる。放課後の一番の楽しみだ。

 テーブルにできた小さな塔は自分の存在を懸命に知らせるようにそびえ立っている。見えるのは窓の外、庭で忠一が雪に大はしゃぎしている様子、ただそれだけ。少しずつ、木製の骨組みを崩していく。

「……なあ」

 晴太は静かに切り出した。指はその手触りを惜しむように塔を伝い、取り出すべき場所を探す。

「なに?」

「俺、来週にこの町を出なきゃいけないんだ」

 晴太の言葉を聞いて、思い出した。この町の風習を。




 この町に生まれた男子は十八歳の誕生日までに町の管理局に決められた女性と子供を作り、そして十八歳になった二週間後に町から出て行かねばならないという風習がある。

 この風習は約三百年前には既にあったようで、詳しい理由は時間の中で置いてけぼりにされてしまった。

 けど、そんなの俺たちにはどうでもよかった。実の父親にも会うことが出来ず、親しい友人とも引き離されてしまう。その寂しさでいっぱいだったから。




「そっか。なんか、あっという間だな」

「そうだな」

 それから少しの間、俺たちは無言で木製の骨を取っていった。

 か細い針が巨大な剣となって時間を切り刻む音が響いている。

 晴太が下から三段目の右端のブロックを取った時木製の塔は針の音を掻き消すように崩れた。

「相手の子と子供はどんな感じなんだ?」

「元気だよ。どんな人になるのかなぁ」

 離れることが当たり前でも、いや、当たり前だからこそ心配は大きくなる。それは俺にも理解できるものだった。

「お前もあと三週間だろ? そうだ。ちょっと早いけど、誕生日おめでとう」

「ありがとう。俺も町を出たら、連絡するわ」

「ああ。でも、やり方わかるのか?」

「えっ。あーまあ大丈夫だろ」

「そうか。……そうだな。じゃあそろそろ帰るよ。荷物とか、まとめなきゃいけないし」

 そう言って、晴太は立ち上がり玄関へ向かった。俺もそれに続く。

「そんじゃまた明日って、そういやお前、もう学校に来ないのか」

「ああ。明日から休みだー!」

 晴太は両腕を上げて、大袈裟に喜んだ。

「いいよなー。俺も休みてえ。……またな」

「おう。またな」

 ドアが開き、純白に染まった景色が見えた。忠一がいつもより遠くで雪を食べている。

 それから道端でばったり再会、なんてこともなく、一週間が過ぎた。

 ガラスに覆われた空は曇りっぱなしで晴れる気配がない。そろそろ首が痛くなってきたという頃、チラチラと雪が降ってきた。手を開くと僅かに雪が落ちてくる。それを握るとザラザラした感触が手のひらを襲った。

 道の両側を塞ぐ家から犬がはしゃぎ出てきた。落ちる白い塊を食べようと飛び跳ねている。

「よくこんなの食えるよな」  

 独り言にはまだ慣れない。

 ジャリジャリと雪を踏み抜き、我が家に着いた。

「どうした、忠一」

 いつもは雪をムシャムシャ食べている忠一が庭に積もった雪の周りを二周し「くぅーん」と鳴いた。

「どうした? 晴太はいねえぞ」

 そう言いながら、持っていた袋から鶏肉の骨を取り出すと静かに食べ始めた。

「調子狂うなあ。あと二週間だってのに。……何してんのかな、あいつ」

 ガラスに覆われた白い静寂が告げるのは、曇って見えない向こう側だけだ。

 

 

 

 

 


 



 



 

 

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