初めて出逢うあなた

初めて出逢うあなた -1

「……見えてきた」

 レイラ島の姿が見えてきたのは、オリバーたちから大人たちへ漕ぎ手を交代してからほどなくのことだった。

 呪われた島、というからには、もっと不吉な姿を想像していた。

 取り巻く海は濁っていて、空には暗雲が立ち込めていて、烏が騒がしく飛び交っているような。

 けれど実際に目にした島は、他のそれと何ら変わりないように見えた。

 海上から遠目にペルラ島を発見した時と、見え方はほとんど一緒だ。海は穏やかに青く、烏どころか海猫もいないけれど空は晴れて澄み渡っている。鐘楼や大きな建物のような目標物は見えないし、まだ距離があるからか、船着き場があるのかも目視はできない。

「さあて、ここからだ」

 トーラスがおもむろに立ち上がった。

「船に他の人を乗せた状態で切り抜けたことはないのですが」

 櫂を海面から引き抜く。トーラスは船上に引き上げた櫂を、体の正面で真っすぐ持った。

「どこかに掴まっていてくださいね」

 トーラスは手にした櫂の水かき部分で、船底を叩く。

「え?」


 瞬間、水かきの触れた部分から光が走った。それは一瞬のことで、光の道筋が根を張るように船体を巡り、消えた。

「船に魔法をかけましたので後は島まで勝手に走りますし、ちょっとやそっとじゃ転覆しませんから」

「え。船に魔法をかけるのって、緊急時だけなんじゃ」

 背中にうすら寒いものを感じて、オリバーは問う。

「そうですね。いつものことなので緊急も何もあったもんじゃないのですが。でも一人じゃ呪いを捌くのと船を漕ぐのと、同時にはやれなくて」

 船に一際大きな波が向かって押し寄せた。トーラスの言う通り転覆はしなかったけれど、波に乗り上げた船が大きく上下して。

「あ、レナードさんも櫂を船上に引き上げといてくれませんか」

「はい?」

「でないと、持っていかれます」


 その時、雨が降った。

 雨だと思った。頭上かばらばらと水滴が落ちてきて浴びたから。けれど水しぶきは雨雲によってもたらされたものではなく。

「なああああ!」

 頓狂な叫び声を上げた。

 目の前に海水が柱のように伸びて、何本も立ちはだかっていた。竜巻かとも思ったが、風が海水を巻き上げているなんて生ぬるいものではない。海水そのものが空に向かって伸びている。

「これが呪い⁈」

 船の縁にしがみつきながら、エルダが叫ぶ。

「呪いによって成された、島への上陸を阻む壁です。島に入ろうとするものを排除しようとしてるわけですね」

「これ、どうやって切り抜けるの!」

 聳える波が大きな水音を立てるので、叫び声になってしまう。

 海水は蛇のようにうねり鎌首もたげて船に狙いを定めると、そのまま突っ込んできた。

「わっ……」

 頭を抱えながらも、襲い来る海から目を離せない。

 海蛇の頭が飛んだ。

 何本も襲ってきた海水を、トーラスが薙ぎ払っていた。櫂で。

「実力行使、です」


 トーラスは櫂を槍でも扱う様に振り回す。恐らく櫂に魔力を込めているのだろうけれど、まったく重さを感じさせない動作だった。槍のようであり杖のようでもある櫂で、次々襲い来る海水の蛇を跳ねのけていた。

「これ、剣で対抗できないんですか!」

 レナードが剣の柄を握りながら尋ねた。オリバーもはっとして、腰の剣に手を伸ばす。

「できません!これね、櫂で直接ぶっ叩いたり切り付けてるわけじゃなくて、櫂に流した魔力で跳ねのけてるので」

「やっぱり魔法使いとか魔女じゃなきゃ、呪いには対抗できないのかああ」

 塩辛い水しぶきを何度も頭から浴びる。トーラスは片っ端から呪いを跳ねのけていった。魔法使いの中には杖を振るう者もいるらしいけれど、魔法の杖が船の櫂というのは聞いたことがないし、ずいぶんと乱暴な魔法だなと思う。

「トーラスさん、島の外へ出かけていくたびにこんな無茶してるの……」

「よく生きてますね」

 感心と呆れがないまぜになったようなエルダとフランチェスカの声に、トーラスは海水を両断しながら答えた。

「慣れてますし覚悟してますけど、毎回めちゃくちゃ面倒くさいです」

 それはそうだろう。一同は心の底から頷く。

「いい加減にしなさい。毎回毎回、魔女の嘆きに付き合うのも大変なんだ」

 低い声で呟いて、トーラスはまた海を打ち払った。


 レイラ島にたどり着いた時には、全員が息を乱していた。

 呪いの海に対抗し、櫂を振り回していたトーラスは当然として。ただ船に乗っていただけの残りの者がなぜかと言えば、転覆の恐れはないと言われても船は激しく揺れ、しがみつくので精いっぱいだった。緊張感に心も体も追いつめられたのもあるだろう。

「何とか無事にたどり着きましたね」

 レイラ島の入り口は、拍子抜けするほどに普通だった。

 船を付けた木製の桟橋をわたっていくと、堅牢な石造りの船着き場になっていた。石畳はところどころ欠けて、継ぎ目には雑草が伸びている有様だったが、ほとんど使う者がいなさそうだから、手入れは追いつかないだろう。それでも人の手が入った港に、小さい島ながらも生活があったのだなと思わせる。

 船を係留し終えたトーラスは、振り向いて言った。

「ようこそ、レイラ島へ」

 

「島に渡ることはできましたが、呪いは入島できないということではありません。だからと言っていきなり苦しみが降りかかってくるとか、魔性の者が襲ってくるとかそういうことはないので」

 船着き場から一本道を歩く。草木は伸び放題だけれど、見方を変えれば自然のままの野趣あふれる緑で彩られている島だ。

「はじまり島は今、住人はどれくらいいるんですか」

 歩きながらオリバーが問うと、トーラスも歩みを止めないままで答えた。

「今は僕と、アデイルと、あともう一人だけ。もともとレイラ島は過疎が進んでいて、あなたが生まれるくらいの頃でもう十人いるかいないかでした」

「そんなに少なかったんだ」

「はい。呪いの影響が出始めた時に、僕たち以外の住民……一家族と、お歳の方がお一人でしたけど。その方たちが島を離れました」

 少ない建物はどこも閉ざされて、植物に侵食されながら朽ちるのを待っているようだった。当然のように人の声、賑わいは聞こえてこず、島を渡る風の音が寂しい。


「エルダ王女、大丈夫ですか」

 背後を歩いていたフランチェスカの、気遣うような声が聞こえた。振り返るとエルダがずいぶんと顔をこわばらせていて、歩みも遅くなっている。

「どうしたのエルダ、具合悪いの?」

 エルダが首を振った、と思う。ぎこちない仕草で、体が固まりかけているみたいだ。

「無理もありません。とうとうレイラ島に足を踏み入れたんですものね」

 フランチェスカの言葉に、オリバーも今更ながら緊張に固まる。

 レイラ島には母がいる。

 見も知らぬ、記憶にも残らぬ母との再会が迫っているのだ。

呪いによって蓋をされた記憶があふれるかもしれない。

 何かが大きく変わる直前なのだと思うと、痛いくらいに心臓が暴れた。

 息を整えるエルダの呼吸音が、頼りなく響く。

「……行きましょう」

 エルダがゆっくりと顔を上げて、一行は再び歩みを進める。

 オリバーも息を吸って吐いて、すがるように腰に差した剣の柄に触れる。

 未来とか運命とか、剣では切り開けないものもある。

 だけど困難な道のりを乗り越えるための強さが、自分にもありますようにと。

 祈るような気持ちでオリバーは歩いた。

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