船上の襲撃者 -2

「よし、船室に行くぞ」

 港の景色がずいぶん小さくなったところで、レナードの指示で船室へ行くことにした。もしかしたら、ヴェルレステとしばしのお別れをさせてくれたのかもしれない。

 狭くて急な階段を下って船内に入る。船で寝起きする、ということに色々と想像を巡らせていたけれど、どうやらちゃんと部屋があるらしい。物珍しさにきょろきょろしながら歩いていたら、部屋に着いていた。

「狭いですけれど、少しの間辛抱してくださいね」

 フランチェスカに促されて部屋に入る。

 両側に上下二段の寝台と、部屋の奥に小さな机を据え付けただけの簡素な部屋だった。窮屈と言えば窮屈だけど、四人だけで使えるなら上等だろう。宿の大部屋みたいに、見知らぬもの同士が複数人で使う部屋もあるらしいし、逆にある程度の広さを一人で使えるような部屋は、船長や要職の船員くらいにしかあてがわれないと言うのだから。

「どうせ二日程度の航路だ。我慢してくれ」

「結構短いんだね」

 オリバーの問いに、レナードが答える。

「あんまり離れた土地じゃ、それはもはやヴェルレステじゃないだろう」

「そっか。ヴェルレステの『はじまり島』だもんね」

「この船自体は、外海まで出てくけどな。俺らが降りるのはペルラ島だ」

「はじまり島じゃないの?」

「レイラ島に船は着岸できない、だから航路に組まれてない。一番最寄りのペルラ島までこの船で行って、そこからは別の方法でレイラ島に上陸するしかないんだよ」

 レイラ島に拒まれなければな。

 レナードのつぶやきに不穏なものを感じはしたけれど。まずはペルラ島まで、この船が無事にたどり着くのを待つのみだった。


 ひと眠りしたオリバーが目を覚ましたのは、太陽が少し西に傾いた頃のことだった。

 使う寝台の場所を各々に振り分け、荷物を片付けて落ち着くと、途端に眠気が来た。

朝早いのは慣れている。けれど昨晩は真夜中に家を出て、それから慣れないレナードの家で仮眠をとろうとして、あまり眠れなくて、緊張が少し緩んだところで疲労感が襲ってきた。

 少し休めばいいとフランチェスカに言われて、寝台に横になった。海の上で眠るってどんなものだろうと思っていたけれど、すぐにうとうとしてそのまま眠ってしまったようだ。

「俺、すごい寝てた?ごめん」

「気にするな。特にやることもないから」


 さて目を覚まして、何かすることがあるかと言えば。レナードの言う通り特にやることもないのだった。

 いつも家でこなしているような家事や仕事は、ここでは行う必要がないし、旅の道中だからと言って、船に乗っているだけでは特別な雑事も発生しなかった。

 レナードに剣の稽古をつけてもらおうとしても、狭い船内では満足に剣を振るえる場所もない。

 食事でさえ、持ち込んだ簡単な保存食――果実酒付けの干し葡萄をたっぷり混ぜ込んだ焼き菓子とか、珍しい木の実とか、おいしくて十分に満足したけれど――で短時間に済んでしまう。

 退屈しないかとエルダに聞けば、『部屋に閉じこもるのは慣れてるの』とかあっさり言うし。レナードとフランチェスカはと言えば、彼らは普段から、待つことが仕事となるような状況には慣れっこなのだった。

 

 起きて数時間、船での残りの旅程あと二晩も残して、オリバーの退屈は限界に達する。たまらずオリバーはレナードに許可を求めて、船内を出歩くことにした。

 こんなに大きな船は初めてだから、しばらくふらふら歩くだけでも少しは時間つぶしになるだろう。

 いたるところで巻かれ、張られた大量の縄。まるで植物か、何かの生き物のようだ。大きな錨を繋ぎとめる、やはり巨大な鎖。青い海に白く波立つ航跡。

 物珍しいものを捜し歩いているうちに、船以外にも面白いことが見つかった。

 船内では、やはりオリバーと同じく時間を持て余した者たちがいるらしく、自然と乗客同士で会話に花が咲いていた。

 子どもである上に、旅の事情を探られると困るオリバーは積極的に話の輪に入ることは難しかったが、それでも興味深い話をしてくれる人もいた。船の中だけあって、あちこちの土地を渡り歩いている旅人や商人も数多く乗船しているのだ。彼らは情報を伝えることに慣れているのか、自らの体験や知識を知ってほしいのか、話し上手なものが多かった。

 オリバーはヴェルレステの暮らしが好きだし、こんな風に旅立つなんて思ってもみなかったけれど。

 それでも陸から見ているより海はずっと広かったし、世界は大きいのだろうと、見知らぬ人の話を聞きながらそんな風に思った。


「それでさ、山の上で塩が採れる場所があるんだって」

 夕飯に牡蠣の燻製をつまみながら、オリバーはその日に見聞きしたことをエルダに語って聞かせていた。エルダは慣れていると言ったけれど、興味深い話だってあるかもしれない。

「塩って海で採れるものだけじゃないんだな」

「大昔は山頂まで海に沈んでたって言うから、それで山の上にも塩が残ってる場所があるんだって。本に載ってた」

 エルダは知識が豊かで、オリバーの話をすでに知っていることも多かった。城に蔵書された豊富な書物を、エルダはかなり読み込んでいるらしい。部屋に閉じこもることに慣れているという、彼女の楽しみ。

「中には宝石みたいな、薄紅色とか、青い色の塩の塊もあるって。めちゃくちゃ貴重らしいけど、どんなだろうな。見てみたいな」

「それも本で……私って、本の中のことばっかりね。自分の目で見た物なんて、そんなにないのに」

「えっと、でも俺だって、人から聞いた話だし」

 エルダの自嘲のような言葉に、思わず動揺しかけたが。

「私もいつか、見てみたいな。広い世界にあるものを」

 そう言ってエルダの瞳は遠くを見つめるから、オリバーはその緑の瞳を、尊いと思うのだった。


――眠れない。

 オリバーは毛布の中で寝返りを打った。日中あれだけ眠り込んだら、夜が深まったところで寝付けないのは当然だろう。そうなると、昼寝の時はあまり気にならなかった潮騒も揺れも気に障るし、人の寝息も大きく聞こえた。

 オリバーはそっと寝台の梯子を下りる。下段に眠っているエルダの寝顔を何となく確認して部屋を出た。

 甲板に出て夜風に当たる。真っ暗な甲板は波の音以外に聞こえる音はなく、それでも船は動いているから働いている人はいるのだろう。

 海を渡る風は初夏でも冷たくて、オリバーは上着の前を掻き合わせた。

 旅の間は眠る時に寝間着に着替えず、いつでも動ける格好でいるようにと指示された。それも寝心地が悪い一因だ。今夜眠る時も靴を脱いで、剣を収めた革帯を外すだけで毛布に潜りこんだ。一応、今部屋を出る時も剣だけは持ってきた。それでも暗がりで危うく見落とすところだったので、レナードの言う通り剣を帯刀する癖は、なかなかつきそうにない。

 エルダの寝顔を思い出して、きっとライエも今頃は、お城の大きな寝室を与えられて眠っているのだろうと思いを馳せたら、ようやく自分も眠ろうという気になれた。

船室に向かって踵を返す。


「あれ」

 船室の前で、小さな灯りを見つけた。

「フランチェスカさん?」

 手燭を携えたフランチェスカが立っている。

「どうしたの、こんな時間に」

「オリバー君が出て行ったから、様子を見に行こうかと。おかえりなさい」

「ごめん、起こしちゃった?」

「私やレナードは訓練してますから、わずかな異変や気配でも目が覚めるんです」

「起こしちゃったことには変わりないや、ごめんなさい」

 フランチェスカはいつものように笑う。

「あなたのせいではありませんよ」

 オリバーにそう一言告げると、フランチェスカは常の笑みを消した。

「そこにいるのは、どなた?」

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