夜の中で出逢った少女 -4

 オリバーは、長らくエルダが衆目にさらされたことがない理由を初めて知った。

 ちょっとの時間、民の注目を集めるくらいなら、うまくすれば呪いは隠せるだろう。けれど万が一ということもあるだろうし。

「お父様もお母様も、腫物でも扱うよう。王女としての扱いと教育は受けているけれど、体裁を整えてるだけみたい。そういうの、なんとなくわかっちゃうもの」

 エルダが宮中でどのような立ち位置にいるかは、完全にはわかりようもないけれど。ヴェルレステ国の王女としてお披露目できるほどの前途も期待も、支持も地盤も、彼女は望まれていないし、与えられていないのだろう。


「もういいでしょう?私は誰かと踊ったり、手を繋いだりしない」

 エルダがうんざりしたように口にすると、それに反応したのか、それとも偶々だったのかはわからないが、腕を封じていた文字が弾けた。だからと言って呪いが離れたわけではないようで、拘束だけ解いて文字はそのまま腕輪のように肌に貼りついた。

「私、こんなだから。だから敬ってもらわなくったっていいの」

 寂しい笑みだった。

 オリバーを奴隷か囚人に例えた奴がいたけれど、まったくもって見当違いの悪口だ。

 立場も、人肌も、愛情も遠ざけられて縛られる少女は、まるで虜囚のようではないか。

 だけど。


「自分から呪いに立ち向かおうとするのは、十分立派だと思います」

 哀れだと下に見て、蔑むような姿ではないと思った。

 エルダが瞬く。

 傍らのレナードが、エルダに大きな手を差し伸べるようにした。

「あなたは両手こそ自由ではないかもしれない。けれど、自分の足で立ち上がる人でしょう?」

 エルダの手は、レナードの手を取ることはできない。

 それでも細い手足で、一人立って、呪いの巣食うというレイラ島へ行くと言ったエルダ。

 暗闇に寂し気に浮かぶエルダの顔には、一際美しく緑の瞳が輝いている。

「どんな立場であれ、できることをやるしかないと決めたあなたを、俺は尊いと思いますよ」

 レナードの言葉が、オリバーにも染みた。


 オリバーは、自分がレイラ島から来たとか、母親が生きているとか、いきなり突き付けられた自身の知らない自分と向き合うのが怖かった。大した実害を感じられないとはいえ、自分も呪われていたことが恐ろしかった。

 だけど目の前の王女は。一人の小さな女の子は。自分の運命に立ち向かっていく決意をしたのだ。

「俺、自分が臆病なんだなって、思い知ったけど。でも、王女様が頑張るっていうんだから。俺も何とか、やってみようかなって、思えました」

 オリバーの言葉に、エルダは視線をさまよわせてうつむいた。呪いの刻まれた両手で拳を握って、ゆっくりと口にする。

「私に何ができるかも、分からないけど。精一杯、戦うから」

 エルダは顔を上げた。

「一緒にレイラ島に行きましょう」

 だから、堅苦しいのもやめ。

 そう言って、エルダは笑った。


 夜明けまでの時間を、オリバーたちはレナードの生家で過ごすことになった。

 夜明けが近づけば、それだけ動き出す人は増える。いくら顔が知られていないとはいえ、エルダの行動は隠密である。人通りが多くなる時間帯に丘から街までの距離を歩かせるよりは、より港に近いレナードの家に、人の少ない夜の間に移動をしておこうということらしい。

 いつも稽古をつけてもらっている空き地は家の裏手であり、オリバーは初めて家の正面に回った。暗くて周りの様子をじっくり観察する余裕はなかったが、玄関扉にかかった大きな錠前が印象的だった。少し大げさな気がしたが、普段は空き家みたいだからしっかり施錠しているのだろうし、ライエの家では玄関扉に魔法で結界をかけているから鍵がないだけだ。家に入ると外した錠前を持ち込んで、今度は中から錠をかける。


「エルダ王女?」

 二階への階段の最上辺りに明かりが見えた。手燭を掲げた人影が階段を下ってくる。

「フランチェスカ。何か変わったことはなかった?」

「何事も。ライエさんへの頼み事は、つつがなく運びましたか」

 若い女の人だった。口調も振舞いも落ち着いていて、エルダと目線を合わせる。

「お疲れでしょう」

「疲れたなんて言ってられないでしょ。夜明けにはもうここを発つのだから」

「ええ。ですから夜明けまで少しでもお休みなさいませ」

 労わる言葉と、エルダに触れない距離で組まれた手。誰だろうと観察していると、相手の視線がオリバーの方を向いた。

「ライエさんのところの、オリバー君ですね」

「あ、はい」

「どうしてあなたがここに?」

 やはり柔らかな口調で問い詰める様子でもないので、オリバーは印象そのまま優しそうな人だなと思う。


「詳しくは後で説明する。状況は」

 お互いの自己紹介も後回しに、レナードが口を挟んだ。

「明朝一番に出発する船の乗船券は手配済みよ。三人以上は船室が四人部屋だから、乗船券も丸々四枚買っておいたわ。オリバー君が行くというのならそれも大丈夫」

「夜間は船着き場が閉鎖してるから、乗船券の手配はできないんじゃないかと心配したけど」

 レナードが尋ねると、女性はにこりと微笑んだ。

「港近くの宿なら、乗船券を販売しているところがあるもの。宿なら夜遅くても人が常駐しているし」

「ああ、その手があったか。売ってもらえたのか?」

「泊まらないけれど券を売ってほしい、と言ったらだいぶ渋られたけど。料金を上乗せして売ってもらったわ」

 お金は惜しまなかったけど、足元を見られすぎないようにしたつもりよ。

 そう加えた彼女の笑みは変わらず柔らかかったけれど、実は頼もしい人なのかもしれない。

「済ませられることは全部、今夜のうちに済ませた方が良いからな。フランに任せておいてよかった」

「どういたしまして」

 そういうと、女性は体ごとオリバーの方を向いた。 


「はじめまして。私はフランチェスカ。エルダ王女のお傍にお仕えしております」

「はじめまして。俺はオリバーです」

「ライエさんのところの子ですね。あと、レナードの教え子の」

「そうです」

「事情は後でレナードに聞くから、話さなくても大丈夫です。どんな理由にしろ、王女の守り手が増えるのは良いことね。剣術ができる人が来てくれるのは助かります」

「いや、俺、誰かを守るとか、そんな腕が立つわけじゃないんですけど」

 オリバーは慌てた。ただ漫然と旅に同行するつもりもないけれど、そんなに重い責任を負うなんて、とてもじゃないけれどできない。

「そんなこと言ってる場合でもないぞ」

 そう言ってレナードは、オリバーに両手を差し出す。

 握られているのは、一振りの剣だった。


「これはオリバーの剣」

 革で覆われた鞘に収められた剣は、鋼の柄だけが手燭の灯りを弾いて鈍く光る。

「これ、真剣だよね」

「もちろん」

 揺るぎのない答えに、オリバーは唾を飲み込む。

「でも俺、本当に真剣を握れるほどの技量なんて……」

「本当に必要な時だけでいい」

 レナードの強い眼差し。

「ライエがお前に剣術を習うように言ったのは、オリバーがレイラ島との間に、少しだけ面倒を抱えているからだ」

 目の前の剣は、あまりにも重そうだった。ライエはいつかオリバーが、こんなものを握る時が来るとわかっていたのだろうか。

「でもそれは、確実に危ないことに巻き込まれるからって理由じゃない。そんなことはどうなるかわからない。そんなことよりも、心を強く持ってほしいと思って、ライエは俺のところにオリバーを通わせたんだ」


「心を?」

 レナードは頷いた。

「武術を学ぶことで、どんな困難や現実に直面しても乗り越えられる強さを得てほしいと思ったんだそうだ。俺は精神論みたいのはあまり好まないし、剣の強さが心の強さに比例するとも思わない。でも、ライエの言いたいことはわかるし、ちょっとはオリバーの成長に手を貸してきたつもりだ」

 それは確かに、オリバーがレナードから学んだことは技術だけではないだろう。具体的にどのような学びを得たかは言葉にしづらいけれど、自分の一番身近にいた大人の男の人だから。他の子どもが父や兄の背を見て育つというのなら、自分だってレナードの背中を見てきた。

「だから本当に危険が迫った時とか、そういう時のためにで良いから。この剣はオリバーが持っていろ」

 レナードから手渡された剣は、見た目以上に重かった。これを携えるのは、やっぱり身に余るものを感じるけれど。

 少しでも心が、剣に釣り合う様になればいいと。オリバーは胸に刻んだ。

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