第9話 昇進レース
マクシムスのような見習いドライバーは、公式には第一階梯騎手という。
正式なドライバーとされるのは第二階梯騎手からで、そのためには昇進資格が必要になる。
その資格だが、騎手学校などないこの時代、「新人戦」といわれる第一階梯騎手しか出場できないレースが、競技会の最初数レースに組まれており、ここで3連勝することが条件となる。
シンプルだが1大会に1走しかできず、2勝してリーチかかった状態で負けたら、また一からやり直しである。中には無敗の3連勝で昇格する者もいるが、普通は1、2年かかる。中には何年もくすぶる者もいる。
マクシムスは16歳の秋シーズンから、新人戦に出ることを認めらた。
1日も早い借金返済のため、こんなとこで足踏みはできない。
だが初戦は負けた。まあ、様子見のところもあったので仕方ない。
次は勝った。ゴールした時に2番車はまだ最終折り返しに差し掛かったばかりの圧勝だ。
2戦目も危なげなく勝ち、3戦目の昇格がかかったレース。マクシムスは気負っていた。
だが、先輩の洗礼を受けた。
まだ16の若造には抜けさせんとばかり、緑赤白の3台が包囲網を敷いてきたのだ。
新人戦も一応チームポイントはあるが、1位のみ1Pで賞金も少ない。チーム事情より昇格事情の方が優先されることが多いのだ。
結果、横から2台に圧力受けて、外壁に車輪をぶつけて大破させられた。リタイアだ。
見習いドライバーの機材破損は、たとえレース中の事故でも自己負担が原則だ。
さすがにここまで練習を積んだ状態で奴隷になることはないが、マクシムスの借金となる。
昇格リーチも消え、正直落ち込んだ。
★
「まー、しょーがない。物語の主人公じゃあるまいし、そんなにうまくはいかないよねぇ」
と、テオドラが葡萄酒片手に励ませば、
「そうですよ。マキシに怪我がなくてよかったです」
と、コミトは彼女らしいコメントをして微笑む。
「だが…、借金が…」
「あー、借金一家になっちゃったねぇ〜」
アハハハと軽く笑うテオドラ。
「……そんなにのん気な、お前が羨ましいわ…」
「テオドラは、マキシの気を軽くしてくれようとしてるんですよ…、多分…」
「アナも大きくなったら、一緒に借金背負うよっ」
横から会話に入り込んできた8歳のアナスタシアに、コミトが「だめですっ」と急いで止めていた。
借金一家とテオドラは言っていたが、実はテオドラも借金を背負っている。
彼女も娼婦になったのだ。自分の意思で。
「ヒモ野郎のために売られるのは死んでも嫌だけど、コミ姉のためならね。娼婦は自分にあってる気がするし」
と言って、自分で店を探してきた。そこにコミトと一緒に入店した。
「あのヒモ野郎がコミ姉を売った店は酷い。客層も金払いも。1日20人も客を取ってるのに借金減らないって、バッカじゃない?あんな店、1日も早く抜けるに限る」
そのための金を今の店が立て替え、足りない分はテオドラが被る形で借金した。
「確かに、今のお店の雰囲気は全然違います。お給金もいいし、無理に客を取らせませんし。経営してる方が娼婦出身で、女性の味方になってくれますから」
とはコミトの評だ。以前より落ち着いた表情を見せているので、いい環境なのはわかる。
「だから、マキシ。無理しなくてもいいですよ。今の店ならまじめに働けば足抜けできます」
「…いや、俺は…1日も早く、だな」
「焦って借金増やしちゃ、世話ないよねぇ」
身も蓋もない突っ込みを入れて笑うテオドラ。
借金抱える事が気になる人と気にならない人がいるが、マクシムスは前者、テオドラは後者といえる。
『俺の手で、全員の借金を返済してやる』
口では勝てないので、心の中で誓う。
テオドラもアナスタシアも、もちろんコミトも。
もう、家族なのだから。
★
17歳になったマクシムスの春シーズン。
冬の3ヶ月ほどは競技会がなく、4月「春の開幕戦」と言われる競技会に出走したが、負けた。人数の調整で、第二階梯3人の「
5月11日は帝都の
当然、新人戦も3日間行われる。
マクシムスはこの大祭で3連勝することを狙っていた。
★
大祭最終日。マクシムスは目標通り昇格を賭けた一戦の、騎手控室にいた。
『昇格を賭けているのは、俺と赤か…』
赤車のドライバーはディオゲネスといい、23歳だったと思う。マクシムスがドライバーを目指した頃には、新人戦に出ていたのを覚えている。まだ昇格出来てないので、6年ほど見習いのままだ。
彼は「咬ませ犬」と呼ばれていた。金に弱いというのが定評だ。
見習いドライバーに俸給はない。家が裕福ならいいが、そうでなければマクシムスのように馬丁などを兼任してることもある。
そのため、新人戦にはあまりチームの指揮監視が入らないことをいいことに、家が裕福な見習いドライバーに買収されて、3連勝のサポートをすることがあるのだ。
第三階梯騎手の息子がドライバーを目指す場合が多いが、貴族や大商人の三男とかが歓声を浴びたいがためにドライバーになることもある。その時は金が動く。
バレれば違法だが、公然の秘密というか必要悪とみなされていた。無敗の3連勝で昇格するのは、だいたいこのケースだ。
だが23歳という年齢でいつまでも見習いでは、緋赤としても戦力外通告をしてきてもおかしくない。本気で取りに来ているかも、と思うくらいには調子が良かった。
もちろん、マクシムスには八百長を頼む気もないし、金もない。
正々堂々やって、勝つだけだ。
『むしろ、厄介なのは…』
チラッと見たマクシムスの視線に気が付いたのか、緑のヘルメットをかぶった男がこっちを見る。わざとらしく、顔をゆがめる。
「今日もマクシムスと同場できるとはな。神様も粋な計らいしてくれるよなぁ」
彼は翠緑の見習いドライバーで、名をカッシウスという。父親が翠緑のドライバーで、
マクシムスと同時期に修行を始めた。歳もひとつ上で、チームは違っても仲は悪くない。
だが、昨日の新人戦、カッシウスの昇進リーチを潰したのはマクシムスだった。
カッシウスは「譲ってくれ」と言ってきたが、断固拒否した。その結果直線叩き合いで、マクシムスが首差勝った。
悪いことをしたとは思ってないが、恨まれるのは仕方ないとも思う。
その彼と今日も同場した。付け狙われるのは必須だし、宣言もされた。向こうとしても、一つとは言え歳下に先に昇格されたくはないだろう。
「だいたい、なんで牝馬で出てくるんだよ?うちのが
マクシムスは、新人戦はずっと『三日月』『狐尾』の牝馬二頭に引かせていた。
特に三日月は、マクシムスが出産を取り上げ、三日月という名付け親になっていた。全身栗毛だが、腹に三日月模様の白毛が生えていたためだ。
その縁もあり、ずっとマクシムスが面倒見ていたが、三日月のほうもよく懐いてくれていて、耳や目の動きで何となく考えている事がわかるのだ。マクシムスの指示にもよく従ってくれる。
確かに馬力には欠けるが、マクシムスの掛け替えのないパートナーになっていた。
「馬を従わせるのは、ドライバーの腕だと思うが」
こういう場外戦は、口下手なマクシムスのもっとも苦手とするところだが、売られたケンカは買うしかない。そうルシウスに教えられた。
「へっ、女タラシが。馬もオンナばかりだしな」
カッシウスは、当然コミトのことを知っている。
「
「そっちこそ。負けて昇進逃して、彼女になぐさめてもらえ」
2人が睨み合っていると、車乗準備の声が掛かった。
★
『それにしても、しつっこい!』
レースが始まって2周、マクシムスはカッシウス車に完全に頭を押さえられていた。
右に寄れれば右に、左に斜行すれば左にと、すぐに反応され前に行かせない。そしてわざとスピードを落としているから、トップのディオゲネスとは開く一方だ。
折り返しで抜こうにも、カッシウスはマクシムスの小回りイン抜きの癖をよく知っていて、邪魔してくる。
高速の戦車競技で、前の安全を確認しつつ後ろを何度も振り返るには訓練と度胸がいる。カーブの多い山道の下りを、何度も振り返りながらブレーキかけずに自転車で下る恐怖を考えてみればわかるだろう。
『これは抜けねぇ…。運が悪かったか』
そう思った矢先、スッとカッシウス車が大外に逃げる。マクシムスの前はガラ空きだ。
『⁉︎何があった?』
一瞬事故かと思ったが、追い抜くカッシウスの顔はにやついて、あごで前を指す。
見ると、トップの赤車がちょうど半周前の折り返しを曲がるところだ。
さしづめ、『あと2周で、半周追いつけたら許してやる』とでも言ってるのか。
「……やってやるよっ!」
マクシムスは鞭を入れる。ずっと低速を余儀なくされていたから、三日月たちの脚はまだ残っている。
勝利を確信しているのか、安全に大外を回るディオゲネス。油断しているうちにインをつく小回りでどんどん差を詰めていく。
と、白車が下がってきて、マクシムスの頭を抑えようとする。
『ち、白も向こうの味方かよっ』
買収されたのかもしれない。なにかの恩があるのかもしれない。でも、今そんなことはどうでもいい。
『甘いっ』
下手に速度を落としすぎていて、マクシムス車と合わせる事ができていない。
軽くフェイントをかけて、一気に抜いた。
後ろを振り向いたディオゲネスが、驚愕している。
最終折り返しを回った時には、一車体分まで詰めていた。
「なあっ‼︎ここは、譲ってくれっ‼︎」
馬蹄や車輪の響きに負けない大声で、ディオゲネスが叫ぶ。
「マクシムスはまだ若いだろっ⁈俺は最後のチャンスなんだ‼︎」
マクシムスはガン無視。鞭を入れることで拒否を表す。
『あんたに譲るくらいなら、カッシウスに譲ってる!』
心で叫ぶ。
「なあっ‼︎俺、子供産まれるんだ!お父さんになるんだよぉっ‼︎」
ディオゲネスの悲痛な叫びに、一瞬止まるマクシムス。
「お、俺だって‼︎」
マクシムスが叫び返す。
「俺だって、大事な家族が、いるんだぁーっ‼︎」
叫びながら、ゴールに飛び込む両車。
勝敗は……
★
「…………負けた」
結局、コミトとテオドラになぐさめてもらうことになった。
「せっかく見に行ったのになぁ」と笑うテオドラ。
「次があります。次が」と励ますコミト。
大祭終了の次の日は、慣習としてすべての仕事がお休みになる。そのためにこうして、またマクシムスの部屋で残念会が催されていた。
「マキシ兄さぁ、勝ったと思って大きくガッツポーズしたら、審判は赤3本じゃん?あれは見ていてイタかった」
ちなみに新人戦には審判は3人しか付かない。
「……もう俺、ガッツポーズはしない…」
のちのマクシムスが、勝ってもほとんど表情を変えず、ガッツポーズも小さいものにしているのは、ここにトラウマがあったりする。
「で、でも、相手の方は子供ができるんでしょう?マキシ、いい事したんですよっ」
コミトが励ますと、さらに暗い顔になるマクシムス。
「……それ、ウソらしい…」
「…はい?」
「どうやら、口からのでまかせを言ったらしく……」
「じゃあなに、相手の口車に乗って、手綱緩めちゃったわけ?」
アハハハと追い討ちをかけるテオドラ。
「……いや、緩めたわけでは」
「無視決め込んだ相手に、反応した時点で負けでーす」
「テオドラっ、マキシの顔がどんどん暗くなるから…」
「アナがなぐさめてやるぞっ。ほーら、いい子いい子」
小さいアナスタシアの手で、頭をなでられるままのマクシムスだった。
その後、奮起したマクシムスは3連勝を決めて、春シーズン終わりとともに昇格した。
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