第8話 絶望の中の希望
「はいはーい。痴話喧嘩は妹がいない所でやってねー」
パンパンと、テオドラが手を叩く。
「お店のオネーさま方も、興味津々でのぞいてるしぃ」
我に返った2人が見まわすと、にやにや笑うテオドラ。
「あらあ、面白い見せ物だったのにぃ」「若いっていいわあ」「大事にしなよぉ」
という、娼婦の皆さん。
ババっと瞬時に離れる2人。売春宿ということを、完全に忘れていた。
2人の頬はリンゴのように赤い。
「お、お店の皆様は…、これでも結構優しいんです……。殴られた時も、一番怒ってくれて、手当もしてくれました」
虐げられた者同士は団結しやすい。コミトの言葉はそれを証明している。
「まー、いちゃつく前に、色々決めたいことがあるし。コミ姉はどうしたい?」
娼婦のお姉さまには離れてもらい、この場を仕切るテオドラ。
「…アナスタシアを、保護しないと」
「そうだね。あの子をあの家に置いとくわけにはいかないか」
「俺の部屋に、来ればいい。もうテオドラがいることだし」
「テオドラが⁈」
「あー、その話はまた後で。まずはアナだよ」
「そ、そうですね…。でも、6歳児を無理矢理だと、誘拐とされるかも…」
「無理矢理じゃなきゃ、いいんでしょ?。今日なら、可能性があるかも」
「どういうことだ?」
口を挟んだマクシムスを、テオドラが見る。
「マキシ兄、今日は仕事を休みにしてもらったといってたけど…」
「まあ、お前が『コミ姉の危機!』と飛び込んできたからな」
今までたいした怪我や病気もせず、仕事を休んでいないマクシムスだったから、今日突然に休みを申し出ても、心よく許してくれた。
「一度戻って、荷車借りて来てくれないかな。どうせなら、身の回りの物を運び出してしまいたい」
テオドラの考えはこうだ。
ヒモ野郎はコミトを売った金で遊んでいるらしく、今彼女らの母のところにいない。コミトが売られた売春宿をすんなり教えてもらえたのも、そのためだという。
ヒモ野郎のいない今のうちに、母親を説得する。コミトのこの腫れた顔を見せれば、アナの手放しに同意してもらえると思う。もし渋ったとしても、強引に引き取ってしまう。
同時に三姉妹の服や寝具、身の回りの物を持ち出したい。量はないので、荷車一台で充分だと思う。
そして、一時的にマクシムスの部屋に三姉妹同居させてもらう、というものだ。
テオドラは1番歳下だが、機転が効き決断力がある。
コミトが顔以外怪我をしてないことを確認し、すぐに行動に移すことにした。
マクシムスはその足で競技場へ行き、チームスタッフに断って馬藁用の荷車を借りた。
そして、雑踏を抜けて、何度か送って行った事があるコミトの家へ。
着いた時には、彼女たちの物らしき荷物が家の前に出ていた。
すんなり説得は出来たのだろう、6歳のアナがコミトと手を繋いでいる。
そして、目が赤く、やつれた顔の母親。彼女とコミトが正対している。
「おっそいよっ。競技場からここまで、目と鼻の先じゃん」
荷物を抱え、家から出て来たテオドラが、マクシムスを見て言う。
「無茶言うな。黙って借りるわけにはいかんし、一言断って…」
「はいはい、言い訳はいいから。さっさと荷物を積む。ヒモ野郎が来ちゃうでしょ」
口下手のマクシムスと、口げんかの申し子のようなテオドラでは勝敗は明らかだ。
持ち物は少ないので、黙って積み込めばすぐに終わる。
マクシムスが荷車の引き手として前に回ると、後方では三姉妹が母親と別れをしていた。
「コミト…、そんな顔で…、不甲斐ない母親で、ごめんなさいね…」
以前マクシムスがみた母親は、もっとふっくらしていたように覚えている。心労がたたっているのだろう。
「いいえ、お母様。お気になさらず」
コミトが代表で話してるようだ。
「今まで育てていただき、感謝してます。…それでは。お母様もお元気で」
抑えた声で、しかし毅然として別れを告げ、振り返る。
「じゃあ」
と、テオドラは性格通り、あっさり背中を向け、
「お母さん、バイバイ!向こうで待ってるね〜!」
と元気に手を振り、荷車に乗り込むアナスタシア。
マクシムスは後で聞いたのだが、6歳のアナが母親から離れないとタダをこねないよう、お母さんは後から来るとウソをついた、とのこと。
かわいそうな気もするが、仕方ないのだろう。
こうして、一行はマクシムスのアパートへ進んでいく。話もなく、黙々と。
「昔さ、マキシ兄に会ってすぐの頃、あんたをバカな男って思っていた」
横に並んで歩いているテオドラが、そんなカミングアウトを始めた。
「あんなだらしない親から逃げもせず、腹を空かせてまで働いてバッカじゃないのって。親を捨てられない臆病者だって」
テオドラは目を合わさず、前下を見ながら話している。
「でも、今はあんたの気持ちがわかる。親を捨てるのはなかなかキツいね…。こうするしかないんだけど、後ろ髪を引かれるというか」
テオドラは返事を求めているわけではないのだろう。
マクシムスは荷車を引きながら、黙って聞いていた。
★
その日は新月で、月のない暗い夜だった。しかも雲がかかっているようで、星さえもあまり見えない闇夜だった。
三姉妹の引っ越しを終え、テオドラが引っ越し祝いを兼ねたささやかな宴会を提案した。その後4人で飲食して、マクシムスは馬房の夜番のため抜けて競技場に来ていた。
今日も馬房泊まりの予定だ。女子だらけのあの部屋で一緒に寝泊まりするのは、さすがに気が引ける。
スタンドに座って夜空を見ているマクシムスに、近づく足音。
「暗いから、気をつけなよ」
「わかってます、マキシ。初めてではありませんから」
暗くて顔はあまりはっきりしなくても、足音と声で誰かわかる。
コミトが、慣れた様子でマクシムスの横に座る。
「今日は色々ありましたね…」
「…俺は、心臓が止まるかと思ったよ」
もう、コミトのあんな姿を見たくはない。
「いっぱい、泣きました。色々失くしました…。でも、楽しいこともありました」
暗闇の中、コミトの顔は笑っていた。いつもの、穏やかな、マクシムスが求めた笑顔。
「久しぶりでした。こんなに楽しい食卓は。お父様が亡くなってからは、初めてです」
「テオドラは、はしゃいでいたな」
パカパカ葡萄酒を飲んで、場を盛り上げてはケラケラ笑っていた。コミトも杯を傾けながら、ニコニコしていた。
帝国では葡萄酒は一般的な飲み物だ。水で割って子供のうちから飲む。6歳のアナスタシアだって、極薄めの葡萄酒を飲んでいた。
栄養があり、生水より腐りにくくて保存に向くという実用性もある。
「部屋では今、テオドラがいびきかいて寝てますよ」
ククッとコミトが笑う。彼女も少しは酔いがあるのかもしれない。
「あの子のあんな楽しそうな姿を見ると、やっぱりこれで良かったんだと感じます」
「でも、一番嬉しかったのは、マキシの言葉です」
コミトは体をマクシムスに向ける。
「あの言葉、もう一度言ってくれませんか?…あの、お店での言葉」
「ああ…うん」
改めて言うとなると、ちょっと恥ずかしい。その場の勢いもある。
「言ってくださいっ」
今日のコミトは大胆だ。酒の影響もあるに違いない。
マクシムスは覚悟を決めた。
「俺は、君が、コミトが、好きだ」
暗闇の中でも、コミトの顔がぱあっと華やぐのがわかる。
「……ありがとう、マキシ。この言葉が私の希望です」
コミトが頭を、マクシムスの胸に預ける。
「どんな絶望の中でも、このマキシの言葉があれば頑張れそうな気がします。…わたしも、マキシが大好きです」
コミトが胸に身体を預けたまま、顔を上げる。目が、訴えてかけている。
ドキッとするマクシムスだが、コミトが求めているものは分かった。
マクシムスだって、男である。
そのまま、コミトの唇に自分の唇を合わせた。
「嬉しい…」
唇が離れるとともに、コミトの声が漏れる。マクシムスも唇が熱い。
少し顔の距離を離したが、今度はコミトの顔が近づいてきて、二度も。三度も。
「マキシ…」
コミトが震える声で言う。
「明日、またわたしは、お客を取らされます…。この身体を、好きなようにされます……」
コミトの顔は赤い。目もきょときょとしている。
「だから、その…、こ、この暗闇ですし…」
「わかった」
これ以上、コミトの口から言わせるわけにはいかない。
マクシムスだって、したくないわけがない。
闇夜の石作りのスタンドで、2人は身を横たえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます