第7話 奈落
次の公演は、ひどいものだった。
コミトたちの合唱や曲芸はそれなりだったとは思うが、メインの踊りは練習不足が明らかで、曲ともパートナーとも合っていなかった。
観客からもブーイングが飛び、馬丁の仕事をしながら見ていたマクシムスにも、「大丈夫か?」と思うぐらいだった。
「多分、団は解散する事になると思います…」
公演(競技会)が終わって数日後、暗い顔のコミトがやって来た。
「翠緑との契約を切られましたので…。もう仕事がないんです。無難、と言っていた前々回の公演も評価が高い訳ではなかったのに、それで今回の公演でしたから」
こうなる予感はありました、と寂しく笑うコミト。
「それで、どうする?」
マクシムスはコミトたちの今後をきいたつもりだが、口下手の彼のこと、うまく伝わらなかったようだ。
「団員たちには申し訳なく思っています。できる限り退職金を払って、その間に次の仕事を探してもらうしかないですね…。本来なら、次の仕事先を斡旋しないといけないんですが、わたしたちにはツテがありませんから…」
それと、と言ってマクシムスに向き直るコミト。
「カエサルは処分、する事になりました」
「…そうか」
仕方がない事だとは思う。団がないのにたくさん食料を消費する熊は飼えない。
「…多分、屠殺場に連れてかれ…、肉は料理店に売られるかと…、思うと…」
「…」
カエサルは家族の一員、と言い切っていたコミトだ。そう簡単に割り切れることではないだろうが、それでもなんとかこらえている。
引退後は、家の庭にカエサルの部屋を作って…、と言っていた4ヶ月前が、遠い夢のように思える。
「わたしも、競技場に来ることを禁じられました」
「!!」
それは、マクシムスの頭にまったくなかった。
「それは…なぜ?」
「カエサルもいなくなりますし、契約も切られたなら、競技場に行く必要はないだろう、と…」
「…それも、母親が?」
コクリとうなずくコミト。
「…嫌だ」
コミトに逢えなくなるのは、嫌だ。
コミトの母親の言葉で、筋は通っていても、嫌だ。
「わたしもです、マキシ……。でも仕方ないのです」
「じゃ、じゃあ、競技場の外で会うのは?あまり時間は、取れないけど、なんとか連絡を取り合って…」
「ダメです、マキシ」
「なぜ?」
「お母様に言われました。年頃の娘が、夜にいそいそ男に会いにいくのは、ふしだらだと」
「!!」
思いもよらない反対意見だった。
「わたしも身勝手だと思います。お父様がいた頃は、まったく文句言わなかったのにって。実際、わたしがお母様に、あの男と別れて欲しいと言った時に、逆ギレのように『アンタはどうなのっ⁈』って、マキシのことを言われましたから」
お母様は、変わってしまいました…と力なくいう。
「ただ、わたしも先日13歳になりました。嫁入りもある歳ですから、そう言われても仕方ないと思います。マキシにも迷惑かけますから」
「俺はっ、迷惑なんて、思ってない!」
「…嬉しいです、マキシ」
優しい顔。いつもここで見せてくれた顔だ。
でも、それが見れなくなる…。
「でも、これで永遠の別れという訳ではありませんから。大丈夫ですよ。きっとまた逢えます」
「…本当に、それでいいのか?」
「…わたし、待ってますから。マキシが立派なドライバーになって、迎えに来ることを」
にこりと笑うコミト。
彼女の揺れる瞳を見れば、いろんな感情を抑えて、無理に笑顔を作っているのがわかる。
だからこそ、これ以上マクシムスもわがままを言えない気持ちになる。
偉そうに言っても、マクシムスだって14歳の半人前に過ぎない。後先考えずにコミトを連れて逃げる、なんてことができるわけない。
「迎えに行くから。1日も早く、一人前になって、誰にも文句を言わせずに」
「楽しみにしてます、マキシ」
名残惜しい気持ちを抑えて、この夜は別れた。
それをマクシムスは、後悔することになる。
★
コミトと別れて半月あまりが経った。
今までは5日と置かず会っていたので物寂しく思えるが、今のマクシムスにできることは、仕事と訓練に頑張るのみだ。
しかし、そんなマクシムスのもとに駆け込んできた女がいた。
「お願い、匿って!」
と言ってきたのは、テオドラだった。
「ここが、マキシ兄の部屋?初めてきたな〜」
マクシムスが借りている7階の集合住宅の部屋に来て、初めてフードを外すテオドラ。
「何が、あった?」
言われるまま、競技場から部屋に連れてきたマクシムスは、まだ事情が全然わかっていない。テオドラのこともそうだが、コミトの事が気になる。
「わかってる。コミ姉のことだね?」
「というか、あの一家のこと、全て。コミトより、テオドラのほうが、客観的に見てるから」
「さすが。よくわかってるねぇ」
ニヤリと笑う。美少女のテオドラだと、そういう顔でも様になる。
「団の解散のことは聞いている?あ、聞いてるのね。
そう、コミ姉が解散を決めたんだ。あの女…母親のことさ、もうあたしは母親とは思ってないから、あの女って呼ばせてもらうけど、あいつは最後まで渋っていたんだよ。
いや、嫌がってたのはヒモ野郎のほうか。せっかく自分の言いなりになる団を手に入れたのに、なくなっちゃうんだからねー。
でも、コミ姉の意志は硬かった。それどころか残っていたお金を、綺麗さっぱり団員に分け与えちゃった。おかげで文無しだよ。ま、死んだ親父も底抜けにお人好しだったし、そんなに財産はなかったんだけどね。
それをヒモ野郎やあの女にバレずにやったんだから、まあ、うまくやったよね。
2人はめちゃくちゃ怒ったけど、後の祭り。ざまぁってね。
あたし?あたしも賛成してたよ、もちろん。てか協力した。
だって文無しになれば、ヒモ野郎があの女にまとわりつく理由がなくなるじゃん?母娘4人、一からやり直すのもいいかなって。
でも、ヒモ野郎はとことんクズだったわ。あの女も。
結局、あの女は男なしじゃ生きられないんだよ。そして男の色に染まる。
親父のようなお人好しと一緒になればお人好しになるし、クズと一緒になればクズになる。
そして、時には本家のヒモ野郎よりクズに染まる……。それが血を分けた母親とはね、怒るより笑っちゃうよ。
何があったかって?
あの女、唯一残った財産といえる家を売ろうとしたんだ。で、ここのような安アパートに引っ越し、差額を貢ぐ。その際、邪魔になるわたしらを捨てる気だったのさ。
もちろん、コミ姉もわたしも大反対した。噛み付いた。わたしらだけならまだしも、6歳のアナスタシアも捨てようしたからね。実の娘より男ってわけだ。
ま、右から左に家は売れないだろうから、時間はあるかなって思ってたんだ。
甘かったよ。
ヒモ野郎のクズさを、見誤っていた。
あいつ、あたしを犯そうとしてきやがったんだ。
あの女がいない隙に、無理矢理。
2、3発殴られたけど、アザにはなってない?大丈夫?
もちろん、逃げてきたさ。クズ野郎ご自慢のアレを、思いっきり蹴ってやった。
あいつが悶絶している姿はケッサクだったわ。
スッキリしたけど、居場所が、ね。わたしだってやっと12歳だからね。
だから、ごめんね。マキシ兄を巻き込んじゃって。
あ、コミ姉?大丈夫だと思う。あの女に付きっきりだから。
さすがにヒモ野郎も自分の女の前で、娘は襲わんでしょ。妹のアナもいるし。
伝言残す余裕はなかったけど、コミ姉、ボーッとしてるようで結構、
まあ、2、3日過ぎたら、様子を見に行くからさ。それまで、寝る所貸してくれないかな?」
テオドラの長い話をきいて、マクシムスが言う。
「わかった。この部屋を、使うがいい」
「え?マキシ兄が出てくの?それはちょっと申し訳ないかな〜」
「心配するな。もともと、馬房で寝ることの方が多い」
これは事実だ。夜空を見て、そのまま馬の夜番を兼ねて藁の中で寝ているのが大半だ。
「まー、マキシ兄とおんなじ部屋で寝たりしたら、コミ姉に怨まれるかあ〜」
テオドラは軽口を叩くが、マクシムスは動じない。
それどころか、無言で寝床に腰掛けているテオドラに近づく。
「えっ、ちょ、ちょ、ちょっと⁈やめてよ、マジ⁈」
テオドラは座ったまま、寝床の上を後退り。顔には焦りが見える。
そのまま止まったマクシムスだが、フッと表情を緩める。
「いつもだったら、俺が近づいたくらいで、そんなにビビるお前じゃないだろ」
それをきいて、安堵の表情を浮かべるテオドラ。
「男に襲われそうになって、傷つかない奴は、いないよ。変な口叩かず、今日はゆっくり休め」
「……そのようね。悔しいけど。…その、ありがとう」
「俺も仕事忙しいので、あんまり寄れない。ここに小銭、置いとくから、食料は勝手に買ってくれ」
「そんな⁈それは悪いよ!受け取れない!」
「文無し、なんだろ。遠慮するな。お前の父親に、施してもらったお返しだ」
マクシムスの父が亡くなって、吸い取られることがなくなったので、余裕はある。
「マキシ兄……。あんたやっぱり男前だよ。親父にさんざんお世話になっておきながら、傾きかけた途端、見て見ぬふりをするクズばっかだったからさ…」
テオドラは深々と頭を下げる。
マクシムスには、涙を隠そうとしているように思えた。
★
3日後、マクシムスは横たわるコミトを見下ろしていた。
「コミト……」
コミトの顔は殴られ、腫れあがっていた。寝台に横たわり、動かない。
「コミ、トぉ〜……」
マクシムスは、崩れ落ちるように
「コミ姉っ、コミ姉っ!」
テオドラがコミトに取り縋る。
「コミト…、生きてるよな…おい…」
震える手で、コミトの顔を触る。なでる。
「あ…」
コミトの目が開く。薄っすらと。
「コミ姉‼︎」
「…よ、かった…」
最悪の事態まで想像していたマクシムスは、どっと安堵した。
「マキシに、テオドラ…。来てたんです、ね……」
「起きなくて、いい」
上半身を起こそうとするコミトを、押し留めるマクシムス。
「あたしのせいだ…。あたしが逃げたから…」
「それは…、違います。テオドラ…」
「でもっ!…」
「…なにが、あった?」
マクシムスは、声を抑えてたずねる。抑えないと爆発しそうだからだ。
気持ちが。怒りが。
コミトを、こんな目に合わせた奴に。
「約束…してください」
コミトはマクシムスを見ていう。まるで心を見透かしたような目。
上半身を起こすコミト。マクシムスの静止を振り切って。
「話をきいても、誰も怨まない、と…」
「テオドラがいなくなった後…、あの男は怒っていました…。
あの男がテオドラを見る目には…、ふらちなものを感じてましたし、その、あそこを抑えてましたから…、何が起こったかはなんとなく…。
想像は、当たってましたか…。
怒り狂ったあの男は、手がつけられませんでした……。お前の教育が悪いと、お母様を殴り、止めに入ったわたしを殴り……、さらに泣き叫ぶアナまで、うるさいと、ただそれだけの理由で……。
あ、この顔の傷ではありませんから…。これは、別の方に。
先に、事情を話してしまいましょう…。
わたしはあの男に、やめて欲しいと頼みました…。どうしたら、うちの家族から離れてくれるのかと。
金だ、と言いました。金を払えと。しかしお金はすべて分けてしまっていたので…、わたしが働きますと。そう言うしかなかった…。
じゃあ、働いてもらおうと…、あの男の口がいやらしく歪みました。
それで…連れてこられたのが…、ここ。
そう、売春宿です。
わたしも、ここが何をするところか、知らないわけではありません…。
ある程度、覚悟もしていました。
でも……でも…、こんなにも辛いとは………。
…いいえ、テオドラ。あなたのせいではありません。もちろん、マキシも、です。
すべては、わたしが招いたことです。
テオドラは、早くからあの男を追い出すように言ってましたよね?でもわたしは…、お母様の事を考えると厳しく出来ませんでした…。それが間違っていました。
……家族思い、ですか?確かにそう見えるかもしれません。でも、本当は…、あの幸せだった頃が忘れられず、ただ家族の思い出に縋っていただけの、臆病者です…。自力で生きようとするテオドラのほうが、はるかに強いですよ…。
話を、戻しますね…。
あの男とここの主人は、契約書を交わしました。大金でわたしを売り、それはわたしの借金となりました。
あの男はほくほく顔で手にした金貨を持って帰り…、わたしは『指導』と称して、主人と寝床へ…。
その日の夜には、もう客を取らされました……。何人も、何人も…。
肌を合わせ、口を吸われ、やっと1人終わったと思うと、水で体を洗って臭いを消して、また次の客が…。
昨晩のお客は最悪でした…。
『女は無理矢理の方が、気分がいい』とかいって、顔を殴ったり首を絞めたり……。
さすがに店としても、やり過ぎだとして止めてくれて…、今日は顔の治療のため休みをくれました…。
ただ、あの男のいる家には帰る気にならず、店で休ませてもらったんです…」
悲しみ、しかなかった。
もう、そんな話はしなくていいと、心の底からマクシムスは思っていた。
ただ、淡々と陰惨な出来事を話すコミトを、止める事が出来なかった。止めた方がいいのかどうかも分からなかった。
テオドラは、見えない誰かを睨みつけていた。
「マキシ」
不意に、コミトが呼んだ。
「今日は、心配して来てくれたんですよね…。ありがとうございます。嬉しかったです」
ですが、と俯いて目を逸らし、続ける。
「もう、わたしのことは忘れてください…」
「…」
「マキシのことです。迎えに行く、という約束を律儀に守ろうとするかもしれませんが…」
「…何だよ、それ」
マクシムスは、怒っていた。
「こっち見ろよ、コミト」
「あ、でも…」
「いいからっ!」
無理矢理にでも、顔を向けさせる。テオドラが「ちょっと、乱暴は」と止めようとしたが、無視した。
「…目、潤んでるじゃんか」
「だって…、わたし汚されてしまいましたし…」
「汚れるって、何がだよ!」
マクシムスは、コミトの両頬を手で抑え、自分の顔の方に固定させる。
「お前、俺を舐めすぎだ。それくらいで、嫌いになると思ってるのか?」
奴隷になる覚悟をしても、一緒にいたいと思ったこの俺を。
「…マキシ…」
「忘れろなんて、言うな。俺は、コミトが、好きだ」
「……マキシぃ〜〜〜うぅぅ…」
コミトから流れる涙は、悲しいからか嬉し泣きか。
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