第6話 暗転

 マクシムスがドライバーを目指して3年たった。

 マクシムス14歳、コミト12歳、テオドラ11歳にそれぞれ成長している。


 マクシムスの技量は着実に上がっていた。

 ルシウスの熱血指導もあるが、馬丁と兼ねることで、馬の調子がダイレクトにわかる利点は大きかった。無理な使い方をしないため事故もなく、怪我もない。

 ドライバー見習いは蒼青にも他チームにもいるが、うち2名は訓練中の落車で足や腕が動かなくなり、続けられなくなった。1人は亡くなった。

 無事これ名馬、と言われるが、ドライバーについても同じことが言える。


 また、心配されていたドライバー仲間への受け入れも、思ったよりスムーズにいった。

 マクシムスはもともと謙虚(引っ込み思案)な性格だし、骨惜しみなく動く。加えて、馬丁での経験から、おずおずと出走馬の選び方のアドバイスをして、それが好成績に結びついたので重宝された。

 馬丁仲間からも、直接ドライバーには言いにくい事でもマクシムスが架け橋となって伝える事が可能になり、それが反映されることでチームとしての一体感は増した。

 マクシムスは着実に、自分の居場所を作っていた。


 コミトも、歌い手としての実績を重ねていった。

 最初は合唱団の1人であったが、大人に引けを取らない音量とハーモニーで観客の喝采を浴びていた。

 アカキオスは家族愛あふれる人間ではあるが、娘だからとて贔屓はせず、ここ1年は合唱に参加させていた。だが娘の成長を見て、ソロパートも任せようかという話が出てるらしい。

「お父様の期待に、応えないと」

 と、コミトは責任感と嬉しさが入り混じった顔で報告してくれた。


 1番以外だったのは、テオドラかもしれない。

 生意気娘だった彼女は、歌や踊り、曲芸にもあまり熱心ではなく、美少女なのにそれを活かしきれていなかった。

 だが、父アカキオスの手伝いで、熊のカエサルとのパントマイムコントをやった時には観客の爆笑を受けた。人を食ったような、それでいて道化的であるテオドラと、息もぴったりな熊のカエサルが、アカキオス団長に従ったり逆らったり、あるいはしっちゃかめっちゃかにしてしまうコントは今までになかった。

 往年のドリフのコントのよう、といえば理解しやすいだろうか。


 熊使いの後継者が生まれたことに、団長アカキオスはとても喜んでいるらしく、新しい仔熊を飼う計画があるらしい。テオドラのパートナーにするためだ。

「テオドラも、ああ見えて家族大好きですし、動物も好きなんですよ」

 コミトの言葉にマクシムスも同感だ。

 口は悪いが、父や姉が好きなのは態度でわかる。

 また、自分より弱い者や頼ってきた者は見捨てない、姉御肌(11歳だが)のところがある。

 責任感を持って熊を育て、しつけるだろう。

「もう、カエサルもいい歳ですから」

 アカキオス一家では、熊のカエサルは家族の一員と考えられているらしい。コミトの話によれば、引退したら住宅の庭にカエサル用の家を作りたいと考えているようだ。


 しかし、なんの前触れもなく、希望は暗転した。


 アカキオスが亡くなった。

「気分が悪い」と、珍しく早く床に入ったと思ったら、翌朝には冷たくなっていたらしい。

 マクシムスの父と違い、それなりの家の主人であり、付き合いも多い。大々的な葬儀が営まれ、マクシムスも弔問した。

 母親は泣き崩れ、代わりにコミトが涙を堪えて客の対応をしていた。

 テオドラは怒った目で棺を睨んで、「バカ親父」とつぶやいた。

 6歳の末妹アナスタシアは、なんだか理解ができてない様子で、元気に走りまわっていた。

 このままいけばいいが、と願わずにはいられないマクシムスだった。


                ★


「お母様が、立ち直れないのです…」

 葬儀から1週間ほどたった夜、競技場でコミトは力なく言った。

 珍しく、コミトとテオドラがそろって来て、競技場のスタンドでマクシムスを待ち構えていたくらいだから、相当話したい事が溜まっていたのだろう。

「あんだけダメな人だとは、わたしも思わなかったわよっ」

 テオドラは、いつも怒ったような口調だが、今日は特にヒートアップしていた。

「自分じゃ団を引き継げないんだから、誰か力量ある奴に任せるしかないじゃん。できそうな奴って言ったらほぼ3択なのに、『誰がいいかしら…』と迷うばっかで決められないっ。時間が経てば経つほど、不安が広がって移籍しちゃうってのが、なんで分かんないのか、分かんない!」

 マクシムスはあまり母親のことは知らない。いつも穏やかに笑ってる姿しかわからない。


「お母様も、誰を選んでも他の人の不満を買いそうだから、悩んでいるのよ」

「だからって、決断先延ばしはサイアクだよっ。子供のわたしでもわかる事なのにっ」

「でもね、あんまりお母様を責めないであげて?まだ、お父様のことが突然過ぎて、受け入れられないのよ…」

「コミ姉がそうやって良い子ぶるからっ!わたしが悪者になって言ってるんじゃん!このままで、いいわけないのはわかるでしょ⁈」

「そうだけど…」

「あの、さ」

 2人の言い争いに、マクシムスが口を挟む。

「何よ?」「マキシ、すいません…」

 テオドラは挑戦的に、コミトは申し訳なさそうに答える。

「姉妹ケンカなら、家でやってくれないかな…?」

「いいじゃない、グチぐらい」「そ、そうですよね」

 ここでも姉妹の対応は対象的だ。


 結局、マクシムスに話したい事があるというより、家の中では話せないことをここで愚痴っているのだろう。

 まあ、愚痴を聞くぐらいなら仕方ないか、と思うマクシムスだった。


 環境が変わったといっても、この頃はまだこんな感じだった。

 しかし、どんどん悪い方に状況は転がっていく。


「最近、お母様が仲の良くされている男の方がいるのです」

 コミトがこんな事を言ってきたのは、競技会(コミトたちからすれば公演)が終わってすぐ、葬儀から一ヶ月ほど経った月の夜。

「公演は、無難にやったようだけど」

「それがいけなかったのです」

 コミトの顔は強張っていた。


 結局、次期団長は選ばず、暫定的に母親が継いでいた。前団長の遺徳もあって退団者は2名ですみ公演を迎える事になったのだが、準備不足で構成も決まってなかった。何しろメインである熊の曲芸をやれる者が亡くなったのだ。テオドラではまだ経験不足で、訓練もできていない。

 どうにも決められない母親に、踊り手だった若い男が付け込んだ、らしい。

 彼の提案に従い、今までやってた事に少しアレンジを加えて無難に終えた事で、母親の絶大な信頼を得たようだ。


「団員の方を悪く言いたくはないですが…、ちょっと不安を感じる方なのです」

 博愛で、他人を信じるたちのコミトがそういうのだ。マクシムスも不安に感じてしまう。

「テオドラは、どう言っている?」

 ここは辛辣な妹の評価を聞きたいところだ。

「『ヒモ野郎』って言ってます」

 コミトは、苦笑のお手本みたいな顔で言う。

「他人を、自分に役立つかどうかでしか考えられず、しかもなまじ顔が良いから、女に取り入って喰い物にしているクズ、と。本当かわかりませんが、被害を受けた女性の話を聞いたそうです」

 それは確かに、不安になる話である。


「わたしはどちらかというと、お母様の方が信じられません。お父様がなくなってまだ1ヶ月ですよ?それで別の男の方など…。正直、気分がよくないです」

 コミトはコミトらしい怒り方をしていた。

「最近のわたし、愚痴ばかりですよね…ごめんなさい」

「いや、愚痴ぐらいなら、いくらでもきくが」

 マクシムスも、父が亡くなった時はコミトに縋って泣いた。お互い様といえる。


「はぁ〜〜〜」

 コミトは珍しく、大きくため息をついた。

「なんか、今日の月は、冷たく憎たらしいです…」

「憎たらしい、か…」

 ほぼ満月の月を、マクシムスも見上げる。

 彼にはいつもと変わった月とは思えない。だけどコミトには、違って見えるのだろう。

 それだけ、精神的に参っているのがわかる。


「文句、言ってみるか」

「…はい?」

「月に。コミトはあまり、文句を言わないから」

 不満があっても、いつも胸にしまって笑いで隠している。決していい事とは思えない。

「テオドラとか、いつも文句ばっかだろ。ああなれとは、言わないけど」

 そこで息を大きく吸って、

「月の、バカヤローッ‼︎」

 と、月に向かって吠えてみた。自分でも、驚くような大声で。


 コミトはポカーンとしていたが、そのうちフフッと笑った。

「…そうですね。わたしも」

 すうっ〜と息を吸うコミト。

「月の、バッカヤローーッ‼︎‼︎」

 発声練習している彼女の思いっきりの声は、マクシムスの想像よりも大きかった。

「スッキリしますね、これ」

 だが、コミトの顔は嬉しそうだ。やはり、コミトには笑っていて欲しい。


「ヒモ野郎の、バッカヤローーーッ‼︎‼︎」

 調子が出てきたのか、コミトの本心の叫びが競技場に響く。

「お母様の、見る目なーーし‼︎‼︎‼︎」

 …でも、夜番の馬丁もいるんだよな、実は。前の鎮魂歌も聞かれていたし。

 などと、考えながらマクシムスはコミトを見ていた。


「お父様のっ‼︎」

 コミトの声が、途中で止まる。合間の静寂の時間。

「……バカ」

 ポツリと続ける。

「なんで、先に逝ってしまったの?……家族も残して、お母様も悲しませて…。あんなに神を信じ、人を助けてたのに……」

 コミトは、泣いていた。


 マクシムスは、思わずコミトの背中に手を回し、ぎゅっと肩を抱いて引き寄せる。

 一瞬驚いたようにマクシムスの顔を見たコミトだが、すぐマクシムスの肩に身体を預けた。

 互い体温を確かめ合うように、身体を寄せ合っていた。











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