第5話 夢の途中
「お願いが、あります」
父が亡くなって翌日、マクシムスは第三階梯のドライバー、ルシウスに頼み込んでいた。
まだこの頃のルシウスは蒼青の絶対的エースではなかったが、レギュラードライバーの1人として台頭し始めた時だ。
「俺、いや、わたしに…、ドライバーの訓練を、させてくださいっ」
豪放磊落を絵に描いたようなルシウスは、馬丁仲間から人気があった。何より馬丁を人として扱ってくれる。
収入に大きな差があり、服も汚く、馬糞を片付けるため臭いがきつくなる馬丁を嫌うドライバーは多い。勝てば自分の手柄、負ければ馬丁のせいにするドライバーが敬遠されるのは当然で、逆ベクトルとして、馬丁を同じ仲間と見てくれるルシウスのようなドライバーには、勝ってもらいたいと馬丁も力入れて調整を行う。
ルシウスの勝ち星が上がっている理由の一つに、馬丁たちとの信頼関係があるのは間違いなかった。
うーむ、と唸ったルシウスは、大きな目をぎょろりとマクシムスに向ける。
「馬丁出身のドライバーがいないわけではない。だがなあ…」
「むずかしい、事は、わかってるつもりです…」
ぎゅっと、手を握り込めるマクシムス。
お前も知っているだろうが、とルシウスは確認する。
「ドライバーになるには、当然戦車や馬を使った訓練を何年もしなきゃならん。だが、個人で用意できるものではないから、チームから借り受ける事になる」
「お金、ですよね…」
「そうだ。借り受けるにも金はいるが、1番は訓練中の事故での機材破損や、馬が怪我した時の保証金だ。これが目が飛び出るほど高い。その金がお前にあるのか?」
マクシムスは首を横に振るしかない。
「まだ一人前にもなってないお前に、貸してくれる相手もいないだろう。親父の葬式の手間賃も、チームから借りたぐらいだからな」
どうする気だ、と言わんばかりにマクシムスを睨む。
本当は睨んでいるわけではないが、がたいの良いルシウスの大きな目で注目されると、そうとられることが多いのは事実である。
「も、もし、弁償しなきゃいけなくなった時は、………自分を、売ります」
「何⁈」
「チームで、生涯、馬丁として働きます…。それでも足りない、のなら、他国でもどこへでも、売り飛ばしても、かまいません…。それで、どうでしょうか…?」
ぽつぽつと、下手な口を動かして思いの丈を述べるマクシムス。
それを聞いて、ルシウスはまたうーむと唸った。
正教会の教えで、奴隷は禁じられている。表向きは。
現実には、借金でがんじがらめにされた債務奴隷のような存在は普通にいるし、異教徒の隣国には大々的な奴隷市場が作られている。
そこに身を投げ出す覚悟で、マクシムスは言っている。そのくらいのことをしないと、馬丁がドライバーになることは出来ない。
「お前、馬丁の仕事はどうする?」
「続け、ます…。お金、稼がないと、いけないから…」
「つまりは、馬丁の仕事をして、その上でドライバーの訓練もする、というわけだな?」
コクコクと首を縦にふるマクシムス。
「言うは易しだが…、簡単じゃないぞ。馬丁の仕事をして、疲れ切った身体で練習すれば、集中を欠いて事故も起こりやすくなる。時間だって無限じゃない」
競技場を使ってるのは蒼青だけではない。翠緑、緋赤、真白も時間を割り振って共同使用している。となると、蒼青の割り当て時間の、さらに機材や馬に余裕がある時しか練習できないのだ。
「まあ、各チームとも顔見知りだから、多少の融通は効くが…」
競技会ではガチガチに削り合うが、試合から離れれば、同業者同士、結構仲はいい。だからヒッパルコスのように、チームを超えて信奉者が出たりもする。
「それでも、やるか?」
三度、ルシウスが睨む。
「やり、ますっ」
ここで気後れするわけにはいかない。マクシムスもルシウスの目を見て答える。
それをみて、うーむと唸るルシウス。これも三度だ。
「お前、何があった?」
「…何が、とは?」
「今までお前は、真面目に仕事はしていた。だが、どこか諦めというか、投げやりな眼の色をしていた」
「…」
「それが今日はどうだ?強い意志を感じる、よい眼をしている。何かがあったな、と思うではないか。父が亡くなっただけではない、別の何かが」
理由は、ある。
コミトと一緒にいるためには、馬丁ではダメだと思ったのだ。
コミトは優しいので、仕事は関係ないというだろう。だが、友達として付き合うにしても、ある程度の釣り合いを求められるのは、肌で感じていた。
『たとえ、自分自身を賭けるとしても…』
そのくらいの覚悟はある。
だけど、それをどこまで言えばいいのか、そもそもわかってくれるのか。
もともと口下手なマクシムスのこと、「あっと…」とか「その…」とか口籠もっていると。
「ふむ、女か?」
ルシウスは鋭い勘を発揮した。
「えっ…いや」
「そういえば、アカキオスんとこの娘っ子と、仲がいいと聞いたな」
「あの…その…」
「なんだ?恥ずかしがる事はないぞ。所詮男など、惚れた女や家族のために動く時に1番力が出る生き物だからな!」
と、豪快に笑うルシウス。
「だが、本当にいいんだな?」
ルシウスは一瞬で笑いを引っこめ、真顔で尋ねる。
「…はい」
マクシムスも眼を見て答える。
「わかった。秘書官殿に伝えておこう」
秘書官とはチームマネージャーのような役職で、国家公務員である。
一応、戦車競技は公的行事なので、秘書官より上は貴族や官僚がなる事が多い。
「ありがとうございますっ」
「何度も言うが、簡単な道ではないぞ。向き不向きもある」
「わかってる、つもりです…」
「ならば、これ以上は言わん。頑張ってみろ!」
「はいっ」
「俺も、時間がある時には指導してやろう」
「えっ」
思いもよらない申し出だ。ルシウスの顔をまじまじと見てしまう。
ルシウスは、にやりとして続ける。
「俺はお前の熱意を買った。指導料を取ろうとは思わんからな。ビシビシしごいて、一人前にしてやる」
「あ、ありがとうございます!」
不覚にも、涙が出そうになるマクシムスだった。
★
「それは良い人に当たりましたね、マキシ」
コミトは自分のことのように喜んでくれた。
この日は、まだ3歳の妹アナスタシアの子守りも兼ねていて、コミトにまとわりついている。
「まだ、これからだけど」
「もう戦車に乗ってるんですか?」
「いや、さすがにまだ」
ルシウスからは、まずは基礎体力とバランス感覚を身につけるように言われている。
高速で走駒する戦車の上では振動がハンパないらしい。しかも急旋回もするので、振り落とされないように踏ん張る必要がある。そのための訓練方法も教わっている。
「でも、怪我には気をつけてくださいね。わたし戦車競技は怖くて…」
「大丈夫だよ」
コミトには、保証金がマクシムス自身である事は伝えていない。絶対止めるからだ。
売られる時が来たとしたら、黙って姿を消したい。
「わたしも、歌い手の練習をするようになったんです」
「それは、よかった」
「はい。歌の先生についてもらって、発声のコツなんかを教えてもらってます」
「へえ。一曲歌ってみてよ」
「えっ…、ここでは…ちょっと…」
まだ日は高く、競技場には多くの関係者がいる時間帯だ。
他の人に歌を聞かれるのは、まだ恥ずかしいようだ。
「大観衆の前で歌うんだろ」
「そ、そうですけど…、まだ、下手ですし…」
「あの霊歌は、上手かった」
「マキシ以外に、聞かれるのは…」
恥ずかしそうに、ちょっと顔を赤らめるコミトは、なんとも言えずかわいい。
「…わかってて、からかってませんか?」
こういう時のコミトは、結構鋭い。
「…考えすぎだよ」
「いいえ、そういう顔の時は、いじわるマキシです」
そう言って、かわいくふくれるコミト。
後で思えば、互いに夢に向かって歩き始めていた頃だったと思う。
明るい未来に希望を持ちながら。
この後にくる暗転を思えば。
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