アナザー04 結紘の秘密

 ともに来た面々に案内されて町中を歩く。通りすがる人々の視線を感じた。皆自分を見て何かを言っている。

 聞き取れる言葉の数々を回収し、警戒はされていても拒絶はされていないと感じ取れて安堵した。少なくとも歓迎されていない訳ではないようだ。

 逸れないように必死で後を追いながら、奥に建つ一際大きな建物を目指す。


「ついたぞ少年。ここが我々の拠点、ラクーシャス・バーゼだ」

「ラクーシャス? バーゼって?」


 聞いた事のない言葉だ。どういう意味だろうと考えていれば、すぐに横から返答が入る。


「ラクーシャスとはこの都市の名前です。バーゼは基地」

「ああ、そういうことか。て、先に言ってくれよ」

「ははは、すまん。忘れてた」


 うっかりしていたと笑うルーチェ。

 外界の只中に存在する都市の、ほぼ中央に位置する城のような建物。基地らしい建物の外装は特徴的だった。至る所から角や棘に似た突起が伸びており、裏側が貝殻のような形の壁に覆われている。


 建築物の様相も山を丸々くり抜いたような造りで、色は赤や黄色、紫などが複雑に混ざりあったみたいだ。

 あんな感じの模様、美術のマーブリングでつけた様子に似ていた。凄い見た目だが色は自然のものである。

 促されて中に入って行くと、内部は意外と明るく広々としていた。


『お帰りなさい』

「ああ、ただいまルイス」


 周囲を見回していた結紘は声のした方向に目を向ける。


「うわっ」


 相手の姿を確かめて思わず声を上げてしまう。猫だ、黒くて綺麗な猫がしゃべっている。声はテレパシーに近いから声を発しているのは違うかもしれない。でも、ちゃんと意思疎通が叶っていた。


 ルイスと呼ばれた彼女は受付カウンターの上に座り、ここに来る皆を出迎える役割を持っているようだった。こうしている今も、行き交う人や帰ってきた者が挨拶をして去って行く。

 その一つ一つに答えながら、彼女は澄んだ碧眼で結紘を凝視する。

 ふわっと動かした尾の先には愛らしい薄桃色のリボンが結ばれいた。首にも同色のスカーフを巻いている。


『ねぇ、ルーチェ。その子は新人さん? 人間みたいなんだけど』

「そうだ。実はな……」


 彼女がそっとルイスに耳打ちした。静かに頷いていた彼女が目を見開く。体毛も若干逆立っている。

 

(な、何を話したんだ?)


 こっちの不安を他所に、彼女達は手続きを済ませて行ってしまう。ルイスは瞼を閉じ、尾を振りながらじっと座っている。その様子を見て大人しく待つ。

 しばらくして、彼女が瞼を開けカウンターから跳躍して下りた。


『事情を話したわ。猊下げいかがお会いになるそうよ』


 ルイスが呼んだらしい猫と受付を交代し、尾を振って先導するように歩き出す。

 道中、異様なほど静かな空気が漂う中を歩く。この辺りは人通りが少ないのか、偶然今は人がいないだけか。よく知らないが一行の足音だけが耳に響いて離れない。

 結紘は歩きながらそっとラオムに尋ねる。


「ねぇ、これから会う猊下ってどんな人?」

「ずっと偉い、人」

「それは何となくわかるよ。男? 女?」

「女」


 女性か、どんな人だろう。怖い人でないといいんだけど……。

 まだ知らない人物に思いを馳せる。まるでゲームの主人公みたいな展開だ。


「猊下が直接お会いになるなんて珍しいですね」

「そうでもないさ。確かに新入りに会う、という意味では珍しいが……」

(そうなんだ)


 前を歩く二人の会話を聞きながら想像を膨らませた。

 ふと視線を横に向ける。窓から見える景色と射し込む陽光。渡り回廊を通り、すぐ横に広がる庭園を眺めて更に奥へと進む。ドームのようになっている例の壁で外光が遮られ影ができる。

 階段を上って別棟の最上階まで行くと、先導していた黒猫が立ち止まった。階段を登りきってすぐの所に大きな扉がある。両開きで幻想的な細工が施された扉だ。


『あまり粗相のないようにね』

「ああ。皆、準備は良いな。少年?」

「俺は大丈夫です」


 結紘の返答にルーチェが頷く。

 全員の状態を確認したルイスが扉の向こうへ声を投じた。誰の手も借りずにゆっくりと厳かに扉が開く。ガコンッ、と扉が停止する音を聞いて中へと促される。


 広い室内、高い天井。壁面と一体化の柱部分には規則正しく光源が設けられ、その下には色とりどりの花が咲き誇る大きな鉢が置かれていた。

 柱と柱の間には上品なタペストリー。磨かれた石の床に絨毯が敷かれており、前方には大きなステンドグラスが光を受けて輝く。その手前には背もたれの長い椅子が備えつけられていた。

 椅子には誰かが据わっている。逆光で顔が見えない人物はおもむろに立ち上がり――。


結紘きづな!」

「えっ……」


 駆け寄ってきて思いきり抱き着いた。

 瞬間、結紘の脳裏に衝撃が走る。顔を赤らめ、言葉にならない声を上げ、全身を硬直させながらも腕だけは感情を露にして彷徨う。身体に触れる柔らかい感触なんて感じている場合じゃない。

 むしろその感触が、かえって結紘を動揺させた。誰、この人は誰なんだ、と叫びだしたい気分なのに言葉が紡げない。


「ごほん。猊下、話をしてもよろしいか?」

「ごめんなさい。つい嬉しくなってしまって」


 女性が離れてほっと息を吐き出す。なんだかよくわからないけど助かった。

 ルーチェが背筋を伸ばし、手で結紘を示して口を開く。


「猊下、こちらが我々が発見した特異点です。名前は界導結紘」

「よ、よろしくお願いします」

「まぁ、特異点だったとしても能力は前線向きじゃない気がしますけどね」

「そんな事ない。普通に凄い、と思う」


 会話をしている傍で野次が飛んでくる。

 ルーチェが二人を制し、猊下と呼ばれた女性の言葉を待つ。


「初めまして。私はアルテメシア……貴方のお母さんよ」


 え、今なんて言った? 母親だって言ったか。

 確かに今の母親とは血の繋がりがない事は本人も知っている。その辺は父親が隠さず教えてくれた。実際、今の母親とは全然似ていないし特殊能力の事だってある。


 その後の紹介で、アルテメシアが星神種の中でも特別な存在『星の母たる者』だと知った。進化を司る女神だとも。

 結紘と同じ空色の瞳。やや長めの髪は金色だったが、光を受けて反射する様は虹かオーロラの如し。明らかに普通じゃない輝き方だ。白いドレスを纏ったまさに理想的な体型の美女だった。

 こうしてみると、結紘の少し人間離れした容姿は彼女譲りだとわかる。


『あらぁ? 意外と驚かないのね』


 それまで静聴していたディオサが口を開いた。


「うん」

(なんだろう。不思議と驚きを感じない)


 自分の中の何かが、彼女が母だと受け入れている。実感はまだ湧かないが彼女の言葉に戸惑いはなかった。それどころか、会えた事に喜びさえ感じている節がある。

 本来ならもっと動揺したり否定してもいいくらいだ。既に父親から話を聞いていたと言っても、もっと戸惑う者だと自分も思っていた。


 唐突な母親宣言よりも、なによりも。予想外の出会いに驚かない結紘を、結紘自身が一番理解できないでいた。そして驚く所はもうひとつ。

 結紘はまじまじと相手を見つめて呟くように言う。


「まさか会えるとは思ってなかった、です」

「そうね。私も、貴方が選ぶまで会うつもりはなかったわ」


 選んだの、と尋ねる彼女に「うん」と答える。不安要素は残っているが選んだと思うからだ。

 不思議なほど穏やかな二人の様子に、驚いていたのは周りのほうだった。皆、二人が実の親子で会った事に動揺を示す。

 なんとなく感づいていたルーチェですらも同じ反応だ。彼女とて親が誰かまでは知らない。


「なるほど得心がいった。星神種われわれの誰かと繋がりがあるとは感じていたが……まさか猊下だったとは」

「ビックリ、した」

「そういうことですか。つまりはハーフだと」


 今まで誰にも言えなかった事実。自分が人間と星神種のハーフである事は秘密だった。実の母親と会うのはこれが初めて。結紘はずっと人間の両親と暮らしてきた。

 違和感は感じないと言っても、すぐには切り替えられないもので……。


「えっと、これからよろしくお願いします」


 そんな平凡な言葉しか出てこなかった。

 アルテメシアは微笑みを返して皆を流し見る。真剣な表情に戻って口を開く。


「界導結紘くん、貴方を歓迎します。改めてラクーシャス・バーゼにようこそ」

「はい」

「貴方にはここへ来ることを許します。今後はこの地で好きに過ごすといいわ」

「ありがとうございます」

「いいのよ。さて、本来なら真名を与える所なんだけど……」

「真名?」


 結紘は首を傾げた。彼女は頷き、説明してくれる。

 真名は、星神種全員にある個人の名前だ。中には人間社会から来た者もおり、彼らにとっては第二の名前となるだろう。ここでは基本的に真名で呼び合う。

 え、ちょっと待ってよ。途中まで聞いた結紘が堪らず声を上げた。


「人間社会から来た者って俺以外にもいるんですか!?」

「あら、話してないの。ラオムとカロスは元人間よ」

「ええっ」


 初耳なんだけど。思わず大声で叫んでしまった。

 聞いてない、全然聞いてないよ。衝撃の事実過ぎるぞ。

 反射的に二人のほうを見てしまった。そうするとラオムは不思議そうに首を傾げ、カロスは心底嫌そうに顔をしかめる。見事に真逆の反応だな。

 カロスの視線が「珍獣を見る目で見るな。珍獣はお前だ」と告げていた。こ、怖い。


 年下の少年とは思えない視線で睨みつけられて恐縮する。

 そのまま彼に視線を反らされ、さり気なく距離を取られた。本当にこの少年の反応は堪えるな。ここまでされる覚えがまったくないから余計にだ。

 誰に対しても同じだと聞いているけど、やっぱり気にしない訳にはいかない。結紘は元人間だというもう一人に目を向けた。


「ラオム、本当なのか?」

「うん」


 そっと歩み寄り小声で耳打ちする。


「せ、洗礼って何するの?」

「……秘密」

「え、教えてくれないのか。もしかして言っちゃいけないこと?」

「…………」


 ラオムは答えなかった。もう一度訪ねても変わらず。

 これでは理由があるのかわからないが、とにかくそれ以上は言いたくないらしい。


「さぁて、話が反れたけど戻して構わない?」

「あ、はい。大丈夫です」

「とにかく貴方に真名を授けれる必要はないわ。結紘という名は私が与えたようなものだから」

「そういえば、前に父さんから聞いたような……」

(俺の名前は母さんが決めたって)


 考えてもみれば、「結紘」って男女どちらでも使えそうな名前だ。けれど父さんは、赤ん坊だった俺を抱いた状態で戻ったっていうし関係ないか。

 周囲が勝手に話を進めて退室を促す中、結紘は父親から聞いた話を思い出していた。



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