第6話 卒業パーティー②

「大丈夫ですよ、お嬢様。私がついております。」


その言葉と信頼するエリオットの笑顔にアナベルは安心して、膝から崩れ落ちそうになった。

卒業パーティーで急に婚約破棄を言い渡され、身に覚えのない罪を認めて謝れと迫られ、それでも気丈に振る舞っていたが、もう限界だったのだ。

エリオットが来てくれたならもう大丈夫だ。

安心したら目に涙さえ浮かんできた。


エリオットはそんなアナベルを守るように背に庇い、イーサンに鋭い目を向けて訴える。


「か弱い女性をこのような公の場で好奇の目に晒しながら追い詰める。これこそ王太子殿下が非難していた『いじめ』ではないのですか?」


エリオットは今にも頽れそうなアナベルを支えながらそう断じたが、イーサンには響かなかったようだ。


「これはこの国の問題だ。この国とは無関係の貴殿が干渉するおつもりなら正式に抗議をさせていただきますよ。」


「一向に構いませんが。この国の王となられるお方は随分喧嘩っ早いご様子。こちらもきちんと国に報告させていただきますね。」


にこりと微笑んでエリオットが牽制すると、イーサンは羞恥に顔を赤くした。


(王族、しかも次期国王として育ったはずなのに‥‥自分の感情のコントロールも、ポーカーフェイスもできないのか?この男は本当に、これまでアナベルの献身に支えられてきたのだろうな。にも関わらず‥‥)


イーサンと実際に対峙してみて、改めてアナベルの苦労が垣間見えた。そんなイーサンを無感情に見ながらエリオットは言葉を続けた。


「それに、私は無関係ではないからこの場にいるのですよ。もちろん国にいる私の母陛下には許可を得ていますし、この国の国王陛下にも滞在許可をいただいていますよ。当然今日この場に参加する許可もね。」


王太子なのに知らないのか、そんな蔑みを言外に読み取ってイーサンは憤慨する。プライドが高い男なのだ。


「全て父上から聞いている!だから、なぜ関係ないはずのあなたが私とアナベルの話に口を出されているのかを尋ねているのです。」


かろうじて丁寧な言葉は使っているが、無礼な物言いはエリオットに対する苛立ちを隠しきれていない。器の小さい男なのだ。

エリオットは笑いを堪えながら質問に答える。


「それは、先程も申し上げましたが私にも関係のある話だからですよ。私は貴殿の発言のおかげでこちらのアナベル・ハワード侯爵令嬢の婚約者となれる栄誉を手に入れたのですから。」


「貴殿がアナベルの婚約者‥‥!?どういうことだ、アナベル!お前は私に隠れてこの男と情を交わしていたのか!!」


イーサンは自分より弱い立場であるアナベルに問いただした。プライドが高く器の小さな男なので。

ちなみに、他国の王族を『この男』と言い放った不敬には気づいていない。


エリオットはもはや溜息を隠そうとしなかったが、長年の習慣で顔には人好きのする笑みが張り付いていた。


「違いますよ。婚約者がいながらリリー嬢と情を交わしたイーサン殿下と清廉潔白なアナベル嬢を同一視しないでいただきたい。」


「なんだと!?」


イーサンはエリオットの方に顔を向けて激昂する。敬語が抜けている。相手は他国の王族なのだが‥‥以下略。


「そう。いま貴殿と話をしているのは私です。アナベル嬢を不必要に威圧しないでください。」


イーサンにこのように声を荒らげて怒鳴りつけられたことも、『お前』と呼ばれたことも初めてだったので、アナベルは顔を真っ青にして、身体を震わせて目に涙を溜めながらも必死に威圧に耐えていた。


「す、すまない‥‥」


イーサンはアナベルのその姿を目にしてやっと我に返ったようだった。


「ええ。非常に不愉快ですね。私の可愛い婚約者を衆人環視の中ありもしない罪で裁こうとしただけでなく、このように怯えさせて。可哀想に。」


エリオットは震えるアナベルの身体をそっと抱き寄せる。もう婚約者なのだ。これくらいは許されるだろう。

エリオットは愛しいアナベルを大切な宝物を包み込むように腕の中に招き入れたことで、婚約者となれた幸せを実感して打ち震えていた。


冷静さを取り戻したイーサンはエリオットに問いかける。


「その、アナベルがエリオット殿下の『婚約者』とはどういう意味なのですか?婚約破棄することは先程口頭で伝えましたが、アナベルは書類上はまだ私の婚約者のはずです。」


「いいえ。アナベル嬢は正真正銘、私の婚約者です。人の婚約者を呼び捨てにするのは褒められた行いではないと存じますが。」


「‥‥アナベル嬢は書類上はまだ私の婚約者のはずです。」


イーサンは言い直した。エリオットはイーサンが滑稽に見えて、面白くなってきていた。


「先程『貴殿の発言のおかげで』と申し上げましたよね。私はもしイーサン殿下がアナベル嬢に『婚約破棄』を突きつけるようでしたら、私をアナベル嬢の婚約者にしてほしいと申し出ていたのですよ。イーサン殿下のご両親とうちの両親、そしてアナベル嬢のご両親にも許可はいただいております。そして、貴殿の口から『婚約を破棄する』という一言が出た時点で効力を発揮する書類も整えておりました。ですので、いま、現時点でのアナベル嬢の正式な婚約者は間違いなく私、エリオット・ガルディニアです。」


すべて根回しは終わっていたようだ。さすが頼れる従者、エリオットである。アナベルは頼もしい婚約者の腕から抜け出し、しっかりと自分の足で立ってイーサンに対峙する。


(エリオット、守ってくれてありがとう。)


アナベルの目礼に応え、エリオットは蕩けそうな笑みを浮かべる。

周りの淑女たちはきゃあきゃあと小さな歓声を上げていた。


「私もその内容で了承しました。王太子殿下が婚約破棄を言い渡されたその瞬間に、殿下と私の婚約は効力を失い、私の婚約者はエリオット様になったのです。」


例の約束をしたときに、この書類に署名してほしい、とエリオットに言われるままにいくつかの書類に署名をした。内容は伏せられていたが、彼を信頼していたのでアナベルは一瞬も迷わず署名した。今思えば少し短慮だったかもとは思うが、後悔はない。

きっとその書類がエリオットと婚約するために必要な書類だったのだろう。まだ混乱しているが、エリオットは全力でアナベルを守ろうとしてくれている。その思いに応えたいと援護する言葉を口にした。

今までは自分が何歩も先回りして必死にイーサンをフォローしてきた。だから、このように何も不安に思うこともなく自分の身を任せられることが、こんなにも心地良く、心強いことを知らなかった。アナベルは隣に並んだ全幅の信頼を寄せるエリオットを見上げ、この誰よりも素敵な人の婚約者として隣に立てることを誇りに思った。


二人寄り添いあって微笑み合う姿は、名のある絵描きが描いた絵画のように美しく、完成されていた。


その光景を目の当たりにして、それまで黙ってイーサンの影に隠れて成り行きを見守っていたリリーが声を上げた。

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