第11話 気紛れ
昨晩、あの後起きた事の顛末を語るには、この余白は狭すぎる。
……………なんて事は無い。まぁ、あの時死に物狂いで男を倒してからと言うもの、あの黒コート男の敗北を起爆剤とするかのように不可解な出来事やら衝撃的な事やら、それはそれは色々な事が起きたが、それでもこの数万字余りの余白では簡単に書き留めてしまえる。寧ろ余白が多すぎて、多少の脚色でも織り交ぜなければ内容の構成に困るくらいだ。
昨晩、ユート達はあの時男を倒し、その後で
こちらは軽い会釈のつもりだったのだが、その時は先の激戦に服装が乱れていた事もあって、女性の耳には正気を失った人間……
肝心の寝床はというと、幸いにも客室が空室だった。死の淵に立ったような
* * * * *
「よくも勝手に事を大きくしてくれましたね…。もしかして、我々を舐めているんですか? あれ程勝手な行動はしないで下さいと言ったのに…。昨晩、
「こんな朝っぱらから耳元で大声出すなよ! 近所迷惑だろ! それに何回言わせるつもりだ? だから言っただろこいつと二人で黒コート男と戦って、遺物強奪の犯人を捕まえたって!」
カルラの怒声とシルヴィアの反論が早朝の大使館内に
対面のソファに腰を下ろしたカルラは忌々しそうに眉間に眉を寄せ、間に置かれたアンティーク調のテーブルを指で打つ。その彼の隣にちょこんと座ったフィーナはさも申し訳なさそうな様子で、神に祈りを捧げる修道女が如く、白く小さな両手をユートへ向け擦り合わせている。昨夜、軽く会釈した往年の女性職員の驚きの声が扉の向こうから小さく聞こえた。カルラの突然の大声に驚いたのだろうか、だとすれば昨夜に続いて、彼女の運気は今日も絶不調みたいだ。
「そんな事は先程から散々、耳が痛くなる程聞いたので十分理解してます! 私が聞いているのは何故許可も無く『セントラル・ガイア』に侵入した上、本遺物内部を荒らし、構造を破壊したにも
カルラの怒りも無理はない。秩序面でも一般的にも、世界共通の財産たる遺物への侵入、破壊は到底許されない。ましてや目的の物さえ逃す事になるとは、
———全てはあの時、
そう、全てはあの瞬間、あの油断が原因で———
* * * * *
夜更けの『セントラル・ガイア』メインリアクター前、湿気と熱気の充満した大広間に若い男女が立っている。その内の一人、ユートの血と煤とで汚れた帝国指定の軍服の中、
『…よう少佐。こちら
ブツリと糸を
「おい、待機案を出したのは私だぞ。それにあの准将殿、お前への心配ばっかりで私には心配も労いの言葉も一切無しかよ! 私、あいつに何か悪い事したっけな…」
隣に立つもう一人、シルヴィアはユートとは逆に不服そうな顔浮かべた。
「あはは…。してたような…してなかったような…」
確かに昨日、シルヴィアはアガレスを挑発してはいたが…アガレスはあんな些細な事を根に持つような人ではない……と思う。昨日、自分のした挑発の事すら覚えていないシルヴィアも、大概だが。
「……ッアアア!! この俺がこんな…、こんな餓鬼共に……!」
突如、咆哮した男が怒りに任せて右手を鉄の床へと振り下ろした。ガンッ! という鈍い音の後、ユートは男の右手を見た。確か最初は褐色で覆われていた筈の右手は血色の悪いそれこそ死骸の青紫へと変色し、強い衝撃で裂けた皮膚から流れた血の赤色で、右手はべっとりと濡れていた。
「お前がどんなに無様に喚こうが、許しを請おうが、大量殺人未遂に保管庫襲撃の事実は変わらない。お前の人生はここで終わりだったって事だ。四の五の言わずに受け入れろ」
敗者を見下す大魔術師は、侮蔑交じりの笑みを浮かべると諭す様に語り掛ける。対する地を這う敗者は何も言わず、忌々しげに彼女を睨み付ける事しか敵わなかった。
「……畜生…! 俺がこんな所で、こんな夢半ばで終われるかよ…!!」
男は血で滲んだ拳を強く握り締め、痛みに震える身体に鞭を打ち、己を奮い立たせて立ち上がった。男の掛けた手錠が引っ掛かり、カチャリと金属音を立てた。
「お前ら、何か勘違いしてんじゃねぇか…? まだ勝負は終わってねぇぞ!」
一体何を言い出すんだこの男は。何か思いついたのか、男は一転して不敵な笑みを浮かべる。
満身創痍の男を前に、ユート達二人は困惑を隠せない。そんな二人を無視して腰の辺りから魔力の入った容器を取り出すと、男は続ける。
「
そう告げた男は突如、声を張り上げて
「おい《
男は震える右手で容器を放る。瞬間、ユートの脳内である仮説が思い付いた。
———もし、此処に居る犯行グループがこの
情報の全てが結び付き、一つの事実を指し示す。なんてこった、最初から此処には
放られた容器が宙を舞う。一秒にも満たない刹那の時間だったが、ユートには悠久の時を経たように感じた。宙へと投げられた容器はスチームに簡単に煽られる程に軽く、地面に落ちるとそれだけで割れてしまう程に脆い。そんな容器があと少しで容器が地面に落ちる、そうなれば容器は割れ、結果として男の目論見は防ぐ事が出来るが……果たして。
———硝子瓶が空中で停止した。淡い翠玉の光がまるで空中に糸で縫い付けられたかのように、そこだけ時が凍り付いたように、それは下手な比喩でも疲弊した目の錯覚でもなく、奇跡のような非日常を帯びた確かな現実の事象として、太古の息吹を現世に伝える神秘の巣窟たる
徐々に硝子瓶がその輪郭を失い、少しずつ欠けていく。いや、違う。実際に欠けている訳ではなく、その光が消失していっている、———透明になっていく。
「まずい! あのままじゃ、容器が透明に———」
ユートが何か続けんとする間に、耳元を風切り音を纏う紅い、シルヴィアの魔弾が通り過ぎた。細い指先から放たれた魔弾は三発、そのどれもが一直線に鮮烈な発光へと狙いを定めて飛ぶ。光が欠け、弱まっていく。もう少し、あとゼロコンマ数秒で魔弾が当たる。淡く眩い色彩が、粉々に砕け———
翠玉の光が消えた。それは魔弾に砕け散るでもなく、硝子の破片や残光の片鱗すらも残さず、この広間から文字通り消滅した。行き場を失った魔弾は少し遅れて奥の鉄壁へ着弾。鉄板が
「……鍵は手に入れた…こ、…これで
ザマァ見やがれ! と
* * * * *
……なんて何度繰り返したのかすら忘れてしまう程、何回も何回も説明した事の顛末を、ユートの達二人の目の前でまるで実家にでも居るつもりなのか、苛立ちを隠そうともせず悪態をつくいけ好かない金髪の軍人に説明する。カルマは聞き飽きたと言わんばかりにはぁ、と大袈裟に溜息をつく。無理矢理叩き起こされたせいでろくに睡眠も疲労も取れず終い、アガレスへ報告もしていない。その上昨晩できた傷の手当てもまだ施していない。悪態をつきたいのはこっちだ。
「ですが貴女方は…」
「まだ言うか…、そろそろいい加減に理解して欲しいんだがなぁー」
煽りを含んだシルヴィアの物言いに、カルラの眉間に急速に皺が寄る。あぁ、まずい。とうとうカルラの堪忍袋の緒が切れたか―———
「とおりゃあぁぁっ!!」
「あぁっ! どうかお止め下さい!!」
咄嗟にカルラが何か言おうとしていたが、その言葉は厚い扉の向こう側から聞こえた甲高い雄叫びと動揺した年季の入った訴えに掻き消された。突然の大声に驚いたのかフィーナがひっ、と短い悲鳴を上げた。
「…一体、何が?」
「…さぁ、分からん」
突然の来訪者に、危険を覚えたユート達は立ち上がって身構える。ついさっきまで苛立っていた筈のカルラも、動揺していたフィーナもすました顔で立ち上がり、扉を見据えて体に魔力を巡らせている。その素早い変わり身に、二人が若くして重要な地位を獲得している訳が、ほんの少し分かった気がした。
数秒後、バンッと分厚い扉が勢いよく開かれた。
次の瞬間、ユート達の前に飛び込んできたのは、快活な笑みを浮かべる幼い少女の姿だった。少女はとても小さく、ユートの身長と比較すると肘掛けに丁度良いくらいの身長で、おそらく140センチもない。それどころかその声音の高さから、
「むっ。どうした? 変な顔で固まりおって。わらわの顔に何か、塵でもついておるのか?」
「いえ、ついてませんけど……ひっ」
口を開いた途端、強烈な殺気を感じた。横を見ると何故か跪いたカルラと温厚なフィーナでさえもが殺気立った表情でユートの心臓を射刺してくる。何故か関係のないシルヴィアも鋭い視線を二人に向ける、本当に何でだよ。目の前で繰り広げられる静かな攻防にも気付かぬまま、少女は細い水色の眉をひそめて可愛らしく首を傾げる。その整った童顔には塵はおろか一分の汚れもついていない。
「…姫様。少しは爺めの言うことを聞き入れては
「うるさいぞ爺。ここは王宮ではないぞ、こんな人前に立ってまで聞き飽きた説教なぞ聞きたくもないわ。それに元々、わらわのやること成すことは全て正しいと言ったのは爺ではないか。それこそこんな幼気な幼子に正しくも無い詭弁を弄するのは、さぞ楽しかろうな」
「いやはや…、姫様はまた随分とお口が悪くなられたようで…。今代の君主は問題尽くしで、先が思いやられますな」
うるさいわ。と、また吐き捨てる少女。対して穏やかに
先のやり取りを聞く内に、一つ引っかかった所がある。爺と呼ばれた老爺がこの少女のことを"姫様"と呼んでいた所だ。いやいやこんなお
「あっ、これはこれは帝国の使者様方。
老爺は深々と頭を下げる。見た所かなりの老体の筈だが、直角に下げられた頭からつま先にかけては鉄芯でも通っているのか、揺れることも体勢を崩すこともない。
それに加えてまた言った。"姫様"と。
「おやおや、これはこれは女王陛下。こんな早朝からご足労いただきありがとうございます」
またもや誰か入って来たと思えば、声の主はアガレスだった。慇懃に感謝を述べ頭を垂れる。あのアガレスまでもが頭を下げるとは、まさか、本当に———
「おい、お前達も早く頭を下げろ。このお方を一体、誰だと思ってるんだ」
「あーあー、別に構わんよ。そもそもわらわは変に見上げられるのは好きではないのでな。それに、
少女は至極面倒臭そうに手を振ってアガレスを
「そういえば、まだ名を名乗ってすらおらんかったな。失礼失礼。えーと、わらわは……何だっけな………あっ! 思い出したぞ! コホン。えー、皆の者よく聞くが良い。栄光のラディスラヴィア連邦国暫定君主にして国王
腰に手を当て、年相応の薄い胸を張ったルーナと名乗る少女は、にんまりと満足そうな笑みを浮かべる。花が咲くような笑顔はどこか誇らしげで、えっへんとでも言いたげだ。
かなりおかしな状況だが、フィクションは本当に存在するのかもしれないと、ユートは目の前のお転婆な幼姫を見て思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます