第10話 必殺、必中、必死

 ひしひしと肌で感じる熱と殺気と厭な張り詰めた静寂が、メインリアクター前広間の半径四十メートル程度の巨大空間を中から覆い尽くし、その息の詰まる様な重苦しい圧で矮小な人間共を支配していた。緊張のせいか、それとも只の熱気のせいか、湧き出してきた汗がユートの頬を伝って流れ落ちた。後ろに立つシルヴィアもおそらく同じ感覚を味わっているだろう。



 そんなユート達の目前二十メートルあたりの場所、中央制御端末セーフ・プロテクターの前に、男が立っている。獰猛な殺意を振り撒く……と言うよりかは撒き散らすの方が正確か。とにかく凄まじい殺意をそのコートの黒色の内側で抱いているであろう男は大振りなナイフを右手に持つとユート達二人に向き合ったまま、血走ったその目で虎視眈々こしたんたんと好機を伺っている。———僕らに隙が生まれ次第、すぐさま殺せるように。


 先程付けた傷跡が痛むのか、男は時々呻き声を上げて未だに色濃く残る痛みに悶えている。目の前の男は負傷していてこちらは戦闘準備万全の上、体力も魔力も十分な二人。数でもコンディションでも優勢なこの状況は、傍からすれば状況は良く見えるかもしれないが、実際はそうでもない。


 今の男は痛みに悶え、苦しんでいる。恐らく発狂一歩手前と言った状態で、男はいつ気が狂ってもおかしくない。何せ人間という生物は己が命の危機に瀕した際、すべてを犠牲にしてでも命だけは助かろうと行動するようにと遺伝子に刷り込まれている。そして目の前の男は手負いの模様、もし本当に気が狂ってしまい、魔力を全開放した状態での突貫攻撃なんてされたら対処の仕様がない。短剣を握り締めたユートの両手が独りでに、そこだけ独立した自我を持ったようにカタカタと音を立てて震えている。それをユートは不思議に思った。



 僕は何で震えてるんだ? 血で血を洗い、互いの命を奪い合う戦場など、軍に入隊した時から腐るほど経験してきたつもりなのに。軍人なんだし、当然だと言えば当然なんだが、いつまで経っても武器を使って一方的に何かを痛みつける、非人道的な感覚と行動には慣れないし慣れたくもない。無理矢理に命を奪うなんて以てもってほかだ。そんな感覚に慣れてしまったらそれは最早人間とは言えないし、何よりも残酷な殺戮兵器と化してしまうのが、恐ろしくて適わない。



———あぁだからか。ようやく分かった気がする。僕は、怖がっているのか。こうして互いに命を奪い合うのが恐ろしいのか。だから軍人なのに誰も殺せないなんて、戦場では場違いな慈悲の意思を持ったまま、僕はいつまでも役に立たない"疫病神"だとか"死神"だとかの焼印レッテルを貼られ続けたままなのか。ははっ。このままじゃ、体中に貼られたレッテルは完全に僕と同化して、終には剥がれなくなってしまうだろうな。こんな状況なのに、何でこんどうでもいい事なんて考えてしまうんだろう。僕はやはり普通とは違う、歪んだ存在なんだろうな。



 思考の合間。極度の緊張のせいか、独りでに浅くなった呼吸が苦しい。"人を傷つけられたくない"なんて感情と"殺さなければ自分が殺される"という至極当然な戦場の摂理。相反する感情が鎖へと変わり、いつもユートを縛り付けて前へと進ませてくれない。




———そう、これはいつまで経っても変わらない、僕の魂に刻まれた呪いだ。だから僕は、この業を背負って生きていくしかないんだ。

 



 徐々に逸れ始めたユートの思考をスチームの噴き出す音が現実へと引き戻した。


 えぇと、どこまで考えてたっけ。そうだ、必殺技だ。



 そう言ったはいいものの"必殺の一撃"なんて大それたものでもない事は、ユートが一番分かっている。でもこの拮抗状態から一気に決着へと持ち込むには、やはりしかない事も分かっている。


———術式起動準備。"必殺技"と言えば聞こえはいいが、派手な光線を照射したり大爆発を起こしたりするのは、フィクションの世界の中だけだ。それに今回の"必殺技"はそれはそれは地味で微妙な攻撃に他ならない。


 こんな余りにも派手さに欠ける作戦に人生初の必殺技なんて名前を付けることになるとは…何か悔しいな。


「落ち着いて聞いてください。これが最後の警告です。その容器を置いて、大人しく投降してください」

「だから言ってんだろ。俺はもう普通には戻れないってな。………おい餓鬼、お前も男なら言葉はいらねぇよな。男はな、戦闘の中で語り合うもんだぜ」


 最後の説得も虚しく、最後まで男がこちら側に戻って来ることはなかった。ならば、せめて今だけでも正面から向かい合って語り合おうか。ユートは短剣を持ち直すと体内に魔力を巡らせ、身体の至る所を"強化エンチャント"して男の強襲に備える。男も"強化"しているようで、その岩の様な拳が翠玉色エメラルドの淡い光を放ち、互いに準備万端と言った所か。


 男とユートは睨み合ったまま動かない。どちらが先に仕掛けるのか、それとも突撃して来た所を反撃カウンターで返すのかと、静かに相手の出方を観察していた。一瞬の静寂が流れる。




 スチームの音が静寂を破った。その音を聞くや否や、ユートと男はあたかも互いにタイミングを合わせたように一斉に動きだす。男との距離、数十メートル間を一瞬の内に飛び越え男に迫ると、姿勢を低くしたユートは"強化"された剣先を正面へ突き出す。呼応するように男もナイフを振りかざしてその剣先を払った。キィンと耳に響き渡る甲高い音に火花さえ散らせて、加速した鋼は衝突し、襲い掛かった重い衝撃がユートを貫く。強い衝撃に倒れ込みそうになったが、ユートは何とか"強化"された両足で鉄の床を踏み締め堪える。直後、視界の左端から魔力を受け淡く発光する男のナイフが迫る、ユートは短剣の白刃でナイフを受けると体を捻ってその衝撃を受け流し、右足で男の左足を払うとその顔面に柄頭つかがしらを打ち込もう……とはしたものの"強化"された太い腕で防御される。


 形勢逆転。今度は男が攻める番だった。男はユートの攻撃に怯みはしたが、まだまだ体力は余っている。男はユートの肩を捕まえるとその頭へと一直線にナイフを振り下ろす。しかしユートは両腕を頭上で交差させるとそこに魔力を一点集中させ、それを一斉に開放する事で即席の閃光弾フラッシュバンを作り出した。超至近距離から目の機能を一瞬だけでもショートさせる為に放たれた眩い翠玉色エメラルドの発光に、堪らず男は目を瞑る。その怯みに軌道の逸れたナイフは振り下ろされたが空を切り裂いただけで目の前のユートを傷つける事はなかった。その隙にユートは手に握られたナイフを短剣で遠くに弾き飛ばし、バックステップを取って男から離れた。体力が少しずつ減って来ている。もうそろそろ、"必殺技"を出さないとまずい。



「おっ! さてはの出番だな?」


 ユートの心情を察したかのようにシルヴィアはニヤリと笑う。しっかり決めろよ。と小さく聞こえた。そうは言っても、ぶっつけ本番なので成功率は分からない。それに僕は緊張に弱いんだよ。今にも五臓六腑が張り裂けそうだ。余りプレッシャーをかけないで欲しい。それに男がこのまま動かない事が絶対条件だしここは慎重に……いや、余りに慎重過ぎてタイミングを逃してしまう何て事もあり得るし……ああもうどうでもいいや。チャンスは一度きりなんだ、それにいい加減こんな考え飽きたんだよ。とにかく一発で成功させたら良いんだ。早く覚悟を決めろよ、僕。


「その顔、何か企んでやがるな? あぁいいぜ。どんな卑怯な手だろうが返り討ちにしてやるから、かかって来いよ!」


 ユート達二人の作戦に気付いたのか、男はニヤリと嗤うと余裕たっぷりに両手を広げてユート達を挑発する。


 そんなに挑発させたらやらざるを得ないじゃないか……あぁもういいさ、真正面からやってやるよ。


「それじゃあ、行きますよ!」

「お前に合わせる! 突っ込め!」


 地を蹴り飛ばして、男に迫る。ユートの体はほんの一瞬で列車すら優に超えるスピードへと加速すると、空気が強固な障壁となって進行を阻んだ。障壁と化した強い風圧に目を開けておく事も難しいが、その目だけは瞑らぬようにと風が叩き付けてきてもなお、目を開いて男を捉え続ける。魔力を集めた左手を男に向けて魔弾まだんを放つと、シルヴィアも違う角度から魔弾を放つ。陣形は完璧、ユートとシルヴィアが頂角となり、男が中心点に位置する四角形を作っているような形になっている。魔弾は四角形の中心……男のいる位置に向けて対角線をなぞるように放たれる。魔弾の飽和攻撃が男に殺到し、男も魔弾を放って何とか相殺してはいるが微妙にタイミングをずらせてある魔弾を全て弾くなんて事は不可能に近い。そしてシルヴィアの魔弾の方が威力が高く、ユートの魔弾は低い。よって自然と意識が集中するのはシルヴィアの魔弾という事になる。それこそが、作戦だ。



 虚数術式イマジナリー・アーツ、展開。途端にユートの右手の周囲の空間が捻じれて小さな黒い渦となり、崩壊した右の掌の空間に、数センチ大のくらい深淵を創り出した。ユートは左手では魔弾を撃ったまま、右手で虚数空間きょすうくうかんに短剣を捻じ込むと代わりに黒い鉄塊………拳銃を取り出した。これまでの全ての魔弾は囮にして、大本命の銃弾を撃ち込む。銃弾の射出、飛行速度は魔弾よりも速い。その戦術的優位タクティカル・メリットを生かし、飛び交う魔弾に気を取られた男に回避不能の"一撃"を与える、これが"必殺技"だ。揺れる視界の中、ユートは男に向けてその狙いを合わせると、震える指で重い引鉄トリガーを引いた。 


 ドンッと、くぐもった重い音が広間に響く。直後、右手に伝わって来た膨大な反動と強い衝撃に、手が痺れて拳銃を落としそうになった。銃弾は一直線に男を仕留めんとするように空気中を飛んで、その大きな体を穿った。取り敢えず、成功した。


 一つだけ誤算だったのは男がユートの動きに反応して回避行動を取っていた事だ。対処の仕様の無い、速度に連携も合わせた完璧な作戦だった筈が男はユートの銃撃を読むと、避ける為に横に跳んでいた。当たったから良いもののまさか見破られるとは…やはりこの世界には、"完璧"なんてものは存在しないみたいだ。



「ぐうっ……!! この餓鬼が、妙な物持ちやがって……!」


 男は右肩に手を押し当て、憎悪に燃える眼光を銃撃の張本人…ユートに向けた。 銃弾は確かに命中した。本当は戦闘続行すら出来なくするつもりだったが、銃弾は男の右肩に着弾した。相当な激痛だろうが、それでもなお倒れない。


「その上、虚数術式とはな……。まさかの"神授術式オリジナル"か、餓鬼のくせにやるじゃねぇか!」


 今の男は賞賛を贈っているのか、それとも余裕さを誇示しているのか分からない。そう言えば男は戦闘が始まってから今までの間、一度も"神授術式"を見せていない。展開していないだけなのか、はたまた持っていないのか。



「だがよ、俺をたおす事は出来ねぇ様だな。これで万策尽きたか?」

 

 男は尋ねる。残念ながら、的中だ。


「それに餓鬼! てめぇ、わざと傷口を避けて戦ってやがったな? 俺を馬鹿にしてんのかよ!? そんなしょうもない情けなんてもんはなぁ、戦場には要らねぇんだよ! 俺を殺す気で来やがれ!!」


 男は声を吼えるように荒らげる。私も居るんだがと、シルヴィアが小声で訴えていたが、果たして男に聞こえただろうか。傷口を避ける? 確かに攻撃する時も上半身と足元を中心にしていたし、もしかすると無意識に傷口を避けていたのかもしれない。全く、変な癖だ。


「それともてめぇ、これからも手を抜いたままり合うつもりか? そんな腑抜けた根性してんなら今すぐ、二人まとめてあの世に送ってやるぜ!」


 男は魔力を解放して距離を詰める。避けるように横に跳ぶと凹んだ鉄板が見えた。——あれは、男が跳んだ場所の筈。この人、まさか魔力を全開放して———


 考える間もなく、ユートの腹部に男の拳がめり込む。一秒にも満たない瞬きの内に数メートルの距離を詰めた男の重量は凄まじいものだった。飛来する矢の如く、超加速した大男の全体重をかけた一撃は、文字通り必殺の威力となってユートの身体を数メートル後方へと吹き飛ばすとその身体を堅い地面に叩き付ける。強烈な背中を貫く衝撃に、一瞬の間呼吸が出来なくなった。


 ギシギシと骨が軋む。身体中が痛い……こっちも全身を"強化"しているのになんて威力だよ。殴り飛ばされた瞬間、一瞬意識が飛んだぞ。



「おい! 大丈夫か!?」


 シルヴィアが心配そうな深海色の瞳でこっちを見つめる。まずい、こっちを見ないでくれ。今にも男が迫って——


「戦場で余所見とは、大魔術師様は余裕だな!」


 シルヴィアの横腹に男の蹴りが入る。そしてユートと同じように蹴り飛ばされ、重い衝突音と共に鉄柵に受け止められた。額から流れ出す赤色が、次第に彼女の顔を染めていく。



 まずい…このままじゃ二人とも殺される。何か打開策はないか? 男を倒す方法はないか? 考えろ、考えろ!


「いい気味だぜ、ヒーロー気取りの餓鬼共が。偽善者風情が、勝手に大人の事情に入ってくんじゃねぇよ!」


 男が嗤う。状況の打開策はまだ思いつかない。銃を撃つにしても、銃は今男の足元にある。どうやら男に蹴り飛ばされた時に落としてしまったみたいだ。それに"強化"も解けてしまって魔力も足りない。これでは魔弾も撃てないな。




 ……ん? 待てよ。魔力の足りない今では魔弾も撃てない? いや違う。魔弾撃てないんだ。


 それに、武器ならまだある。それに魔力を全て使って再展開さえ出来ればは取り出せる。我ながら希望の薄い賭けだが、やるしかない。


 ユートは鉄柵に手を掛けどうにか立ち上がると"神授術式"、虚数術式を展開する。右手を左手で支えるこの構図は、傍から見ればさぞ不格好に見えるだろうな。


 ユートが術式を展開している隙にナイフを拾った男は、シルヴィアに近づくとその身体を厭らしく、舐めるように見つめると、おもむろにナイフを彼女の首筋に向ける。細い首筋に触れたナイフに冷えた汗が伝う。このままでは彼女が少しでも動いたり、男の手元が狂ってしまえば彼女は首を掻っ切られ、まだ熱を持った鮮血が飛び散ってしまうだろう。


「テメェを殺した後、身体はでたっぷりと利用させて貰うぜ? なんせ最上級の魔力と術式を持った天下の大魔術師様の身体だからなぁ! あぁ、これでの世界にも、きっと…」


 男はユートの目には見えない何者かへと跪き、蒸気で覆われた夜天を仰ぐ。陶酔とうすいしきったこの男は最早、半狂乱状態となり、目の焦点も定まっていない。開け放たれた口腔から血と唾液が混ざり合い、床へと滴って銀と赤色の糸を引いている。男の首元に翠玉色に光る呪詛紋じゅそもんが見えた。見えていたのは少しの間だけだったが、魔術師ならばを見間違う筈がない。あれは、…生物に対して精神呪縛マインドロックを行い、対象の絶対的な意思決定権を奪う呪詛紋。本来は家畜等に付ける紋章であって、決して人間に付けるものではない。まさか、男の言うとかいう人物は——




———人間を、管理しているのか?


 

 未だ震えの治まらない焦点の合わない目で男はシルヴィアを睨み付けると、厭らしく舌なめずりする。魔力を集中させたユートの右手の掌に黒い球体が出来上がる。あと少し、もう少しで短剣を取り出せる。だから、もう少しだけでいいから時間が欲しい。


「その目に焼き付けろ! これが稀代の大魔術師の、醜くあわれな最期だ!!」


 高々とナイフを掲げる男の叫びすらも聞かずに、ユートは虚数空間から短剣を取り出すと、ろくに狙いも付けぬまま、そのまま刃を男へと放る。当たらないと思ったが、偶然にもナイフを振り下ろす男の手と短剣が空中で重なり、その指先を浅く斬り付けた。悲鳴、突然の鋭い痛みに男はナイフを取り落とす。———好機は今。



 こちらも一秒足らずの間、周囲の魔力を可能な限り搔き集め、全身を"強化"するとユートは風を切り裂いて男へと駆け出す。先程落とした拳銃も拾いつつ、先程のお返しとばかりに全体重をかけた渾身の蹴りを男の腹部へとぶつける。爪先から伝わる、内臓がひしゃげる感触が不快だ。衝撃に耐え兼ねた男が宙を舞い、地面へと叩き付けられる。間髪入れずに"強化"された拳を、蹴りを、男へ打ち込む。男の"強化"も今は弱い。一発拳を打ち込む度に、男は呻き、悶え苦しむ。その痛々しい様子に心が痛んで仕方ない。そんな余裕も付ける程、間近に勝利を感じ始めた頃、男の拳がユートの腹部を抉った。それを合図に、男は徐々に防御から反撃へと行動を移す。互いに、殴りに蹴りの応酬が続く。


 殴り合いは最早、体力と魔力の消化試合へと変わり、両者共々何も考えずに拳を突き出し、受ける。その内キレの無くなり始めた拳と蹴りに、互いの体力の限界……終わりは着実に近づいてきている、様な気がした。最初の剣術も何処へやら、結局、こんな殴り合いステゴロをしている状況の滑稽さに笑えてさえくる。




————長い長い拳闘の後、腕を弾いて繰り出したユートの回し蹴りに、男はたたらを踏んで退く。ユートも肩で息をしたまま、その燃ゆる碧眼へきがんで男を睨み付ける。相当殴ったせいか、両手の感覚はうに無くなっていて痛みすら感じない。それもそうだが、未体験の疲労感が体を包んで今にも気を失いかねない危険な状態だ。…まぁ、それは男も同じだろうが。



 もう互いの体には、もう一度殴り合える程の体力は残されていない。満身創痍とはこの事だ。つまり、次の一撃が最後の攻撃となる、…衝突の後に誰が立っているのかは分からない。だが、これで決着がつくのは明らか。そうと決まれば、後は持てるすべてを結集した一撃を、相手にぶつけるだけだ。


「餓鬼……お前は中々骨があったが…これで終わりだ。次の一撃で、俺は確実にお前らを殺す」

「……そうはさせません。必ず僕が、貴方あなたを止めます」

 

 疲労で互いに切れ切れの、皺枯れて最早別人と化した声で言い合うと、それを最後に言葉を発す事もなく、ただ一心に魔力を搔き集める。やっとこの空気にも慣れたのか、心臓も不思議と落ち着いていたので手早く集めることが出来た。遠くで静観しているシルヴィアの補助もあってのことだろうか。


 男は全身を先程よりも一層堅牢な"強化"で覆い、太い首から小気味の良い音を鳴らして油断なくその時を待つ。やっとの事で搔き集めた魔力の全てを防御に使った"強化"、…並大抵の攻撃では術式の突破はおろか、体に傷を付ける事すら敵わない。ならば、こっちも魔力の全てを攻撃に振り切った頭の悪い"強化"、本物の"必殺の一撃"で固い防御を突き破る他ない。魔術の発達した現代に、大昔の逸話の再現をすることになるとは、今なら答に困ることも無いだろう。


「真っ向勝負だ! 俺が勝っても悪く思うなよ?」

「もう、言葉は必要ないでしょう? お覚悟を」


 いつかの静寂が、再び戦場を包む。極度の緊張に、いつの間にか聞こえなくなっていた機械の軋む音が今一度ユートの耳朶じだを揺さぶる。始まりと終わりは同じ。それなら静寂を破るものも、また同じ。——スチームの音が聞こえた。



 男は雄叫おたけびを上げると腰に手を回してナイフを何本も取り出す。そして握り締めた一本をユートへ投擲した。魔力で"強化"された腕から投げられたナイフは人間の視認速度の限界を超える速度で矢のように飛ぶ。だが同じく"強化"された目ならば、視認は容易だ。体に突き刺さる寸前、ナイフの柄を左手で払って軌道を逸らせる。その刹那、ユートは右手に握った黒光りする物体、拳銃を発砲。だが男には当たらなかった。


 これが卑怯だとう人もいるかもしれない。だが、それは本物の戦場を知らないからそんな詭弁を垂れられるんだ。その固まった思考で、退屈な偽善で飾れるんだ。戦場には窮屈なルールなんて枷は無い。争う場には倫理など存在しない。どんな手を使おうとも、どんな犠牲を払おうとも、勝者が全てだ。死肉を喰らおうが、惨たらしい臓腑を曝そうが、手を削ぎ皮を剥いで目をり貫こうが、戦場においてそれは真っ向勝負だ。善でも悪でもない、曖昧グレイとなって正当化される。当然だ、殺さなければ殺される。常識だ、それが戦場唯一にして、絶対のルールだ。



「チッ、避けやがったか」


 その言葉も、駆け出す彼には届かない。



 男まであと数メートル。その時、何処からか飛来した魔弾が男の足元へと着弾した。するとそこから勢い良くスチームが噴き出した。どうやらシルヴィアは、とっくにユートの狙いに気づいていたようだ。


 男の足元から金属の擦れる耳障りな騒音が鳴り響くと次の瞬間、そこからスチームが勢い良く噴き出し、爆音にも似た音が鼓膜を叩いた。


「なっ!?」


 ユートが先程狙ったのは男ではない。だ。通常、スチームは只の蒸気に過ぎないが、閉鎖された狭い空間で長期間蓄積されたそれは、穴を開けると猛烈な勢いで噴出する。そして、メインリアクターの排熱機能は魔力の操作の為、停止したままだ。その内、膨張していく蒸気の圧力と衝撃に耐え兼ねたパイプ管は、穿通箇所を中心として崩壊、爆発する。そう、それこそ爆弾を彷彿とさせる膨大な衝撃波を放出して。


 それを見越しての咄嗟の行動だったが、シルヴィアの補助もあって上手くいった。銃弾と魔弾によって穿うがたれた穿孔が、衝撃の第二波の引き起こすと次の瞬間、耳をつんざく轟音と不可視の杭を打たれたような衝撃が体を貫き、噴き出す蒸気のカーテンが男の視界を遮って、その動きを止めた。生物の五感を奪うような数秒間、噴き出した蒸気と破裂音に男の視界と聴覚が封じられる。たかが数秒にして致命的な数秒間、これを逃す手はない。時は満ちた。


「……ッ!?」


 ユートの左肩に、電撃のような鋭い痛みが走る。左目の視界の端に傷口を捉え、痛みの元を確認すると、そこには黒い柄……ナイフが深々と突き刺さり、その銀刃の根元から赤い血を滲ませ、軍服の夜色をその赤色でじわじわと侵食していく。今もなお男は魔弾を放ち、手に持ったナイフを投げ続けている。さながら散弾銃の多方攻撃のようだ。短剣で斬り付け、銃弾と魔弾を撃ち込み、固い拳で殴りつけ、ここまで追い詰めてもなおもがき続ける男の精神に、人間の底知れぬ生存本能を見た気がした。



 こんな痛みで負けてやるものか。ユートは自分の手を爪痕が残る程強く握り締め、奥歯を食いしばって激痛を堪ると、その歩を止めず走り続ける。一歩踏み出す度、心臓の鼓動に呼応するように、左肩から溢れ出す激痛が脳髄を突き抜ける。その内魔弾と刃物の嵐が止み、またユートの周囲から音が消えた。目の前の光景がスローモーションのように遅くなる。耳を劈く轟音も、翠玉色の光も、広間を駆けるユートには追い付けない。自分が速いのか、はたまた周囲が遅いのか、思考の追い付かない頭ではもう分からない。これが俗に言う人間の覚醒、集中の極地だろうか。まぁ、そんな事今更どうでもいいが。



 そこらに拳銃を投げ捨て、ユートは駆けた勢いを殺さぬように跳躍、そのままスチームの向こうへ大きく踏み込み、無防備な男の前に迫る。男の顔が驚愕に染まる。男は反射的に腕を突き出して防御結界ぼうぎょけっかいを張るも、もう遅い。既にこちらの勝利は決まっている。



 ユートの右手が強烈な翠玉すいぎょくの色彩に包まれ、刹那、その眩さで大広間を呑み込んだ。固く握り締め、大きく振りかぶったその光拳は鮮やかな極光を纏い、魔力の開放により急加速した眩き翠玉は雷霆の如き閃光を放つ。光拳は夜を裂く彗星が如き一直線の軌道を虚空へと灼き付けるように刻み、男の堅牢な"防壁"すら紙のように容易たやすく貫くと、ユートはその腕に護られた男の顔面へと、豪速の光芒こうぼうを打ち込んだ。



「うおおおおぉぉぁぁァァァッッ!!!!」



 けたたましい雄叫びと共に打ち込まれたユートの光拳は男の堅牢な"防壁"を打ち破り、そのまま拳は男の顔面、右頬にり込む。肉を潰す様な感覚と共に、拳の向こうで何か固いものが砕ける感触を感じた。ユートはそのまま拳を振りぬくと、あまりの衝撃に宙を舞った男を遥か遠く、広間の反対側の鉄柵まで吹き飛ばした。男が吹き飛ぶ瞬間、砕かれた"防壁"の魔力が割れた硝子ガラス細工のように飛散し、翠玉の光を乱反射、極光のような光のカーテンを創り出し、戦場には似つかわしくない幻想的な景色をユートの碧眼に映した。

 

「……ッグハァッ!!」


 後頭部を鉄柵に叩き付けられた男が口腔から血を吐き出し、最後にそう叫んだ。断末魔のように。




 ……だが、まだだ。まだ終わっていない。


「今だ! 受け取れ!」

「はい!」


 シルヴィアはそう叫ぶと、黒色の何かをユートへ放る。空中で不規則な軌道を描くは、手錠のような形をしている。


 これが最後の策だ。走りながらそれを受け取ったユートは男に詰め寄ると、手首に手錠の様な何か………術式封除ズィーゲルを掛けると鉄柵と繋いだ。これでもう魔術は使えない。こちらの勝ちだ。


「ぐッ……! この糞餓鬼………卑怯者めが……!!」



 目の前で鉄柵に寄りかかって倒れている男の顔面には激痛による脂汗が張り付き、黒いはずのコートも、血が飛び散り、まるで斑点模様がついているようだ。男はゆっくりと震える瞼を開き、血の滴る蒼白と化した顔で忌々しそうにユートを睨み付けた。ユートはそんな男を睨み返すと、すすやら何やらで汚れた胸を張って、いつもと違う、低い声でとどめを刺すように言った。




「……卑怯者で結構。僕はもう、馬鹿な餓鬼なんてとっくの昔に卒業したので。だから好きなだけ、此処ここもしないその愚かな"餓鬼"に向かって、そのままずっと、吠えていろ」


 捨て台詞のようになってしまったが、今は良しとしよう。

 

「あーあ。結局私の出番はなかったか。まぁその代わり、お前がアイツをぶちのめしてくれたから、良しとするか」


 大して悲しそうでもない溜息をついた後、シルヴィアが右手を上げてゆっくりとこちらへ歩いてくる。実際、先程のアシストは助かったし、囮になってくれたのにも感謝の仕様がない。調子に乗りそうなので、後半は絶対に言わないが。


 ここにアガレスがいたならば勝利の凱旋、なんて派手な事はとてもじゃないが言えない。でも今なら。国の命運と己の命を懸けた、激戦の後ならば。




———年相応の喜びを分かち合う事ぐらいは、許してはくれないだろうか。



「お疲れ。勇敢な少佐殿」

「はい、お疲れ様です。稀代の大魔術師様」



 わざとらしく、普段なら決して口にしない略称で二人は呼び合うと、掲げられたシルヴィアの白い手を真似るように、ユートも血に濡れた右手を掲げ、二人で勝利宣言ハイタッチを交わす。また、心臓の奥が鈍く痛んだ。



 パンッという軽快で爽快な音が広間を通り抜け、星々のきらめく冬のそらへと、高らかに響いた。

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