第9話 アウェイキング・ヒーロー
メインリアクターのある空間は広間のようになっていた。天井もここだけは少しだけ高く、遥か頭上に星の輝きも見えた。リアクター本体は傷ついていないようで、鉄製の分厚い装甲の中では魔力の源流が抽出されていて、呻き声にも似た音を発して不気味に作動し続けている。辺り一帯がプシューというスチームの噴き出す音と白煙で溢れ、魔力の抽出過程で発生した高熱で灼熱と化した内部はいつかの本で読んだ、ファラリスの
巨大なリアクターの正面、出力制御装置の前に、何らかの操作をしている人影が一つ浮かんでいる。もう言うまでもないが、やはりあの黒コート男だ。
「……見つけたぞ。おい、そこから動くな」
「大人しくその手に持った物を置いて投降しろ。さもなくば貴様の身はこちらで拘束することになるぞ」
「ハッ! まさか今更、そんな安い詭弁を垂れる奴がいるとはな。だが悪いな、もう俺は戻れない所まで来ちまったんだよ。今や俺は遺物保管庫を襲撃し、遺物を盗み出し、国中を巻き込んだ大犯罪者だ。大人しく投降した所で待遇の変化も無いだろ? それに俺にはまだ役目がある。ここで終わる訳にはいかない」
男は容器をスチームの噴き出す天井に翳し、その輝きで眩しそうに目を細める。
「毒散布なんて馬鹿な事は止めろ。そんな事して何になるんだよ。組織の命令ならば、そんな頭のおかしい連中の言う事なんて聞かなくてもいいんだ。今ならまだ間に合う、大人しく私と一緒に来るんだ」
幼い子供に噛んで含ませる様な、諭す様な口調でシルヴィアは説得を試みる。だが、それは虚しく響いただけで男はまるで聞き入れようとしない。いや、寧ろ顔色を怒りの赤色へと豹変させると、その燃え盛る
「黙れ! お前に
先程の余裕も何処へやら、男は激昂すると声を荒げて叫ぶ。そして魔力の流れる指先をシルヴィアの方へと向けると、魔弾を彼女へ撃ち出した。突拍子のない攻撃だが、流石に予想が出来ていたらしく、シルヴィアは
静けさを押しつぶす轟音と大地が震えているような重い振動が「セントラル・ガイア」を比喩的にも物理的にも揺らす。轟音と振動の中枢、メインリアクターではシルヴィアと黒コート男が
「今だ! 来い!」
「了解!」
シルヴィアの叫びに呼応するように、ユートは
「……ッぐうっ……! 何だこの餓鬼……!」
声とも言い難い程の短い悲鳴が聞こえた後、ユートは男から距離を取るとシルヴィアの前に盾になるように立つ。男を斬り付けた場所から鮮血が勢いよく噴き出すと、ぴちゃぴちゃと水音を立てて辺りに飛散し、熱せられた床にその赤色を残した。
———魔術による"強化"は確かに強力だが、それには唯一にして重大な欠陥とも言える程に致命的な弱点が存在する。普通、人間の体に魔力流すと、急激な神経への刺激により血圧は急上昇し、血流の速度も格段に速まる。その数値は毎秒二.四メートルを超えるものとなり、血管や心臓も"強化"しなければそれだけで死んでしまう程となる。そして、その高速で体内を駆け巡る血液の流れている血管を傷つけると、人体が一体どうなるかは容易に想像出来るだろう。もし血管に傷が付いた場合、破れた箇所から血液は凄まじい速度で溢れ出すと、何層にも折り重なった筋繊維すら突き破って身体から
男が苦痛に脂汗を流し、顔を歪めて苦悶の表情を浮かべる。その体は左脇腹を斬り付けられ、黒いはずのコートも血の赤黒さでみるみる内に染まっていく。ユートの黒い軍服にも、ぽつりぽつりと返り血の赤色が散り、短剣の刀身に至っては目に痛い程に濃い色彩が鋼の白銀を塗りつぶしていた。
「はぁ…やっとか。もう少し早く来てくれてもよかったんだが」
「いやだって、そういう作戦だったでしょう!? それに
ここに来る前、巨大な扉の前でシルヴィアはある作戦を立てていた。それは男と戦闘になった場合、まずはシルヴィアが
「……テメェ、あの時の餓鬼だな? 不意打ちとは随分卑怯な事してくれるじゃねぇか」
男は怒りと痛みで顔を鬼の形相に変えて睨み付けてくる。先程とは口調も外見も打って変わり荒く、狂暴になっている。体を斬りつけられたんだ、当然と言えば当然か。
ユートとシルヴィアは男から目を離さない。男もまた、二人から目を離さない。しばらくして、ようやく動いた男は腰の辺りを探ると、黒い大きなナイフを取り出した。刀身が魔力の
………こうなったら、例の"必殺技"で決めるしかないな。
ユートは喉に詰まりそうな、大きな固唾を音を立てて呑みこみ、体中に魔力を流す。勝負は一瞬、チャンスは一度、外せば
このヒリついた絶体絶命的状況に、ユートの意識は飲みこまれていく。全てが終わり、最後に誰が立っているのか、それは神のみぞ知る。
————決着は、近い。
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