第8話 或る男
次第に沈んでいく美しく燃えるような夕焼けの真紅は、今のユートの目には眩し過ぎた。瞳から入ってくる眩い光が重い体に
ユート達はあれから一直線に「セントラル・ガイア」へと向かった。そこまでは良かったものの、当然犯人がいるわけもなく、また連邦政府の進入許可証を持たないユート達に、遺物内部へ進入する事が叶うわけもなかった。よって、奴の所在は依然として不明のままだ。こんな事態だというのに、ユート達は進入の失敗により副次的に生じた待機時間……暇を持て余す。そこでユート達はとある小高い丘の展望台に来ていた。暗くなってきたせいか、ここには人っ子一人おらず、静寂と紅色に包まれたその場所は淡く灯った街灯だけを残していた。誰もいない事もあってか、二人は非常事態だと言うのに、捜査官や政府の苦労も露知らず、この退屈な一時を悪戯に
こんなにも美しい景色、こんな緊急事態に見るべきじゃない。
犯人はこれまでに全ての保管庫を襲撃し、そこで遺物を手に入れた。そうなってくると、恐らくもうすべき事は無くなっているだろう。そして昼夜問わず「セントラル・ガイア」の警備は常時厳戒態勢になっていて、このタイミングで行くのは袋の
隣で同じように鉄柵に寄りかかるシルヴィアは、心ここに
「あぁ、そういえば。まだ
突然、何かを思い出したようにパンッとその白い手を叩いて景気の良い音を出したと思うと、シルヴィアは上着の中をまさぐり出した。いきなりどうしたのかと思ったが、その疑問は手渡された
「……なんですか? コレ」
シルヴィアから手渡された
「それは
自慢げに言ってはいるがにわかには信じがたい。こんなにも小さいのに、人を簡単に殺せるという事らしいが、魔術師相手にこんな物が通用するのだろうか。
「それは
……旧世界の遺物、遥か昔の世界をこの世に伝える数少ない世界の秘宝。そして強力な武器。
「……そんな強力な物をどうして僕に?」
すぐに足手纏いになってしまうからだろうか、それとも緊急時での自決用だろうか?
「……何だ、分からないのか? 単純に、お前に死んで欲しくないからだよ」
白い頬をほんのりと赤らめ、さも恥ずかしがる乙女の様にシルヴィアは吐き捨てる。彼女の事だ、おそらく他意はないのだろうが、取り敢えず今の様子について触れるのは止めておこう。後で何をさせられるか分からない。
そしてお互い気まずくなってしまい、何とも言えない絶妙な空気が二人の周りに立ち込める。何か言うべきなのは分かっているが、何と言葉を掛けたらいいのか分からないまま、結局何も言い出せずにゆっくりと時間は過ぎていく。こんなにも持て余した気まずい時間さえも、シルヴィアとなら不思議と愉しいと感じてしまう。そんな不可解なユートの心情は、きっとユート自身もこれからずっと解らないままなのだろう。そんな二人を置き去りに、夜の帳はしっとりとその幕を下ろしていった。
* * * * *
夜が世界を覆う。町に浮かんだ灯りでさえ、今は遠い。手元の懐中時計に目を落とせば時刻は午前零時半。
「……時間ですね」
「あぁ、そのようだな」
覚悟を決め、互いに顔を見合わせる。これからは決して楽な任務じゃない。と言うか任務ですらない。それでも必ず遂行しなければ。
「準備はいいか?」
シルヴィアが最終確認とでも言いたげに聞いてくる。そんなの、今更だろう。
「はい。もう迷いはありません」
ユートの言葉を聞くとシルヴィアは会ってから何回見たのかすら覚えていない、いつもの
「それじゃあ、行こうか。奴の前に
* * * * *
一歩歩みを進める度に靴底と鉄製の足場がカンカンッ、と良く響く音を立てた。何とか侵入には成功した…と言うか扉を破壊して無理矢理入ったが、「セントラル・ガイア」の内部は焼ける様な灼熱と化していた。そこら中から高温のスチームが噴き出し、金属の擦れ合う不快な雑音と無秩序に流れる高純度の魔力が生命の侵入を阻む様で、ユートの目にはここは地獄の入り口の様に映った。
……ってそんなどうでもいい様な感想は一先ずそこらに置いて、まずは男を見つけなければ。
「見つけました」
「私もだ」
二人はまた顔を見合わせると、男がいるのであろう「セントラル・ガイア」の中心部…メインリアクターへと向かった。
* * * * *
意味とは無論、生きる意味である。誰にでもあって当たり前の物だ、と人は笑うかも知れない。だが男にはそれが無かった。男は長い間軍人として生きてきたが、長く生きる事とは、多くの別れを経験する事と同義だ。男には信頼できる友も、愛する家族もいた。子を成し、人並みの幸福は手に入れたつもりだった。だがそれらは無情にも、男の人生から奪われてしまった。勿論軍人あった故、非人道的な行いもして来た。人を殺し、町を焼き、拷問で被疑者を非道なまでに殴りつけもした。だが人を殺める事には多少の抵抗があった。瀕死の状態になってもなお生きようと必死に足掻き続ける人間を見ると、同族として助けたくもなる。…立場上、殺さなくてはならないが。そして、今になってツケが回ってきた。当然の事だと人は言うだろう、しかし被害者、敗者の心情とは、その立場に立って初めて理解出来るもの。身近な人が死ぬとどうしようも無く悲しく、怒りさえ湧き上がってくる。この残酷な現実こそが、男のこれまでに犯した罪の報いだった。そんな経験をした者が、まともで居られる訳も無い。何をするにも身が入らず、何を見たとしても何も感じない彼は、最早死んだも同然だった。男は失意と後悔の中で、長い間苦しみ続けた。そして男は人生の底、道端で雨に打たれ、途方に暮れていた時にある男と出会った。人と出会う事自体は有り触れているものであるが、彼との出会いは文字通り、男の人生を変えた。
「
そう声を掛けられたのは何年前だっただろうか。だが今でも鮮明に覚えている。傘すらささずに手を差し伸べる
「どうか私と共に来てくれませんか?」
「断る。こんな腑抜けを拾って何になる? 少し考えればわかることだ。さぁ、早く行け」
彼は無視して男の隣に座り込んだ。疲れ果てた心には苛立つ気すら起きなかった。
「では、ここで一つ話をしましょう。世界中を旅する中で私は、貴方の様な人間を沢山見て来ました。彼らは普通の人間とは異なる、確かな"生"への熱量を持っていました。夢や理想だけを残してもうどうしようもないのに、地を這ってでも生にしがみついている、そんな人間をごまんと見ました。えぇ本当……見るに堪えませんでしたよ」
彼の言葉が鼓膜を優しく揺する。例えるなら子供を寝かしつけるような、絵本でも読み聞かせるような、そんな暖かな柔らかい声音だった。
「……そして私は彼らを見捨てられなかった。頭がおかしいと思うでしょう? でも、このまま死んで行くだけの彼らの無念を、その悔いを想うと……自然と手を差し伸べていたんです」
「……」
「だから私は彼らと共に歩む事を決めました。彼らを再び蘇らせる為にね。そして、彼ら共に真の平和を実現し、全ての人間が幸福を手にする世界、誰もが生の幸福を実感出来る世界を創り上げる事こそが、私の夢です。……さぁ、どうか手を取って下さい。私達と共に世界を変えましょう」
語り終わったのか、それとも何かを確信したのか。彼は勢いよく立ち上がったと思えば、また同じように手を差し伸べた。
「……えらく浮世離れなロマンチストだな。今時どこでも流行ってねぇのに……今のが本気なら、あんたは狂ってるよ」
「なんせ魔術師ですから。辛い浮世に生きるなら、これくらいの浪漫は許してくださいよ」
その顔は慈悲に満ちた笑顔で、男の目には神の使いか、救世主の様に映った。以前の自分ならそんなの夢物語だと笑い飛ばすような話だ。だが、今は違う。彼の言葉には熱意と憧れがある。このまま野垂れ死ぬくらいなら、波乱に満ちた人生への最期の手向けとして、彼の夢に賭けてみるのも悪くないと、そう思えた。
……もし、普通の人々がこんな落ちこぼれで
「さぁ、行きましょうか。とりあえず、傘を買いましょうかね。後で花束も買いましょう」
「えらくご機嫌だな。何かの記念日でもあるまいし」
「まさか、貴方との出会いの日じゃないですか。飾りつけは必要ですよ」
———俺は彼と共に歩む。かの世界を実現すべく、例えこの身が朽ち果てようとも、彼に貰ったこの掛け替えの無い二度目の生の全てを捧げて。
ふいに横に並んだ彼の顔を見る、雨に打たれすっかりと濡れてしまっている黒縁の眼鏡の奥、
そして、男は今、
———そう、これは序章に過ぎない。これから起こる"革命"に、世界はどう立ち向かうのか、
透明な容器に入った
———
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