第3話 術式

「えっと、本当に貴女なんですか? その……"あかの魔術師"は」

「だからそう言ってるだろう。信じられないのか? それなら今ここで、お前を消し炭に変えてやってもいいんだぞ?」 

「やめてください」


 真顔で恐ろしいことを淡々と言ってのける様子にさすがに恐怖を覚えたので、取り敢えず"あかの魔術師"本人であることは認めることにした。だって、この人は本当に消しとばす気だったようで、右手に魔力を流しているのがはっきりと確認できた。しかもそれを隠そうともせずに、むしろ大っぴらに見せつけているようだ。まずは危険な人だと分かっただけでも良しとしよう。


「それにしても、僕がここに向かっているとよく分かりましたね」


 これに関しては単純に凄いと思った。やはり一流の魔術師というものは傍から(この場合はユートから)見たら常にだらけきったりしていそうに見えるが、実は常に周囲の状況に神経を尖らせ続けているものなのだろうか。


「あんな隠す気も無いような探知サーチ、別に意識せずとも逆探知くらい簡単にできる。次に使うときはもう少し分かりにくいようにした方が良いな。あれじゃあ簡単に接近が予測できるし、迎撃する準備もできる。それに君くらいの体格だと、返り討ちにすることぐらい簡単だからな」

「……勉強になります」


 ユートの素朴な疑問とは裏腹に、シルヴィアはさも当然のことのように答えた。


「君、先に言っておくが、私は人間、特に男が嫌いだ」

「えっ、何でですか?」

「いや何でって、おいおい急に馴れ馴れしいな。何だ? もう友人感覚なのか? それとも絶世の美女を前にして興奮でもしたのか? はぁ、これだから男は……」


 わざとらしい芝居がかった様子で溜息をつくシルヴィア。またやってしまった。


「ここに来たのが少女淑女の類ならば茶の一杯でも出してもてなしてやったのだがな、もし男だったら声を聴いた瞬間、二度と口を開けなくする術式でも掛けてやるつもりだったんだ」

「いやいや。流石に容赦なさ過ぎませんかね、それ」


 ユートの訴えが何か気にでも障ったのか、シルヴィアはユートに向き直ると、細く繊細な指で彼を差した。



「ところがだ。先程ここに来たのは男の筈なのに姿を確認したら女に見えなくもない。今は流石に男だと理解しているが、その貧弱な体格や無駄に整った顔のせいで私の脳内はパニック状態だぞ。なぁ君、本当に男だよな? そのズボンを脱がせたら実は女でした! 何てことはないよな?」

「男です! かれこれ生まれて数十年、ずっと男で通って来た純度百パーセントの男です!!」

「分かった分かった。分かったから落ち着け。何でそんなに怒るんだよ」


 先程の弱腰な様子も何処かに捨て置き、語気を強めてユートは反論する。その必死な様子に、流石のシルヴィアも驚いたようだ。

 

「……別に、何でもありません」

「何だか知らんが、それならいいんだ。少し大人しくしてくれ……って何で私がフォローに回っているんだ?」


 確かに不思議だ。だがこのやり取り自体にあまり重要な意味はないので、適当に流すことにした。


「まぁ、僕にその話は禁句です。よく覚えておいてください。まぁ、今日限りの任務上の関係なので、これから会う事もないでしょうけど」

  

 何とか纏まったと思ったが、シルヴィアは形の良い眉をひそめてユートの顔を覗き込む。如何にも怪訝そうなその表情は、ユートの苦手意識を高めていく。何かやってしまったのだろうか。ユートの心情は徐々に悪く、陰鬱になっていく。



「君、どうやら勘違いしているようだが、今の状況だと立場が上なのは私だからな。魔術も然り、身長も然り」



 そう言うとシルヴィアはユートの頭の上に手を置き、意地悪そうな笑みを浮かべた。確かにシルヴィアの方がユートよりも数センチばかり背が高い。平均ではあるものの、170センチ以上あるユートの身長を超えるとは、やはりシルヴィアは女性の中ではかなり長身な方だろう。この場に限っては身長は関係ないように感じるが。


 頭の上に置かれた手の撫でるような動きと、シルヴィアの浮かべるにんまりとした殴りたくなる笑みがユートの胸の内に不快感を募らせていく。…よりにもよって女性に、しかもこんな人に頭を撫でられてしまうとは……まずい、屈辱的過ぎて何か泣きそうだよ。



「あっ。そういえば君、さっき魔術を使っていたということはもしかして魔術師なのか? もしそうなら何か展開して見せてくれ」


 遂に訳の分からないことまで言い出した。


「なんでそうなるんですか! 魔術が見世物では無いということは貴女あなたが一番良く分かっているはずでしょう!?」

「まぁいいじゃないか。それに君、確かモルトピリアの軍人だったっけ?あんな国、私はもう二度と戻りたくないんだが、君の任務は私が護送される気にならなければダメってことだろう?もしそうだとしたら君の任務は失敗だな。あーあ、そちらのお国の上層部に極秘任務に失敗したと報告が入ったら、君はどうなってしまうんだろうな。辞任か? 追放か? それともはたまた極刑………? いずれにせよ、君が碌なことにならないのは、火を見るより明らかだな」


 なんでこんな事になってしまったんだ。仮に任務失敗の報告が皇帝陛下の耳に届いたとして、まぁ辞任は確実だ。それに、ただでさえ居場所が少ないのにこれ以上奪われてしまったらもう、どこかで野垂れ死んでしまうしかないだろう。きっと最期の言葉すら遺せないんだろうな。



「そんな人生崖っぷちの君に朗報だ。只今、私はすごく退屈だ。それに機嫌もあまり良くはない。まぁ、どこの馬の骨とも知れない、取り柄が顔くらいしかないような男がやっと見つけた隠れ家に勝手に上がり込んできたんだ。当然だがな」


 何か救いを差し伸べるかのように、人差し指をピンと立てながらシルヴィアは話を始めた。この話の続きに本当に救いがあるような気がして、ユートは黙って一言一句、聞き逃さぬように聞く。


「だがもし、私が初めて見るような面白いことをやってのけたのなら、その任務とやらに協力してやらないこともないぞ。ただし、本当に面白くなかった場合は問答無用で君を消し飛ばすからな」


 果たしてそれは救いだったのだろうか? 確かに先程よりかは状況がいい方向に動き始めたが。全く…僕は芸人じゃないってのに。


「……分かりました。やりますよ。その代わり、ちゃんと協力してくださいよ」

「あぁ。面白いやつを頼むよ」



 はぁ、とユートはため息をつく。見せるといってもこの術式は何年もの間隠し通してきた秘術だ。今でも使えるかどうかは分からない。まぁ物は試しと言うし任務遂行の為だ、気は乗らないがやってやる。ユートは精神を落ち着かせると、その目を閉じた。



———虚数術式イマジナリー・アーツ展開。周囲と自分の体から魔力をかき集めるとユートは右手を正面に突き出す。そしてその手の平に魔力を流していく。その様子をシルヴィアは黙って見つめていた。そうこうしているうちに手の平の空間に歪みが生じた。もう少しだ、ユートは右手を少しずつ回す。それに呼応するように空間の歪みは回転していき、やがて独立していきその回転をより加速させていく。そして空間に穴が開いた。ユート目の前には、小さくはあるものの、何よりも深く、そして何よりも昏い虚空が出来上がった。ユートは虚空に左手を近づけると、その深淵に向かって魔力を流した。


 そこからは美しくも何処か儚い、淡く光を反射する瑠璃ラピスラズリのネックレスが出てきた。それを見てユートはあの、もう遠くなってしまった日々を思い出した。夏の終わり、夕焼けが砂浜を照らす。空は晴れ渡り、風は凪いでいて今思い返せばこれ以上ないほどの美しいひと時だった。夕焼け色に染まる砂浜、その朱と金の色彩の上に浮かぶ二人の影、あの瞬間とき僕は、の輝きに初めて触れた、触れようと手を伸ばした。


「……ほう、虚数術式きょすうじゅつしきか。確かに珍しい代物だな」


 シルヴィアの呟きに、ユートは我に返った。彼女はユートの顔を上から覗き込んでいる。


「これが君の神授術式オリジナルかな?」


 神授術式オリジナルとは、文字通り神から与えられた…というかこの世に生を受けた時に持つかどうかが決まるためそう呼ばれている。そしてこれを持つ魔術師と持たざる魔術師では雲泥の差だ。一般に普及した術式しか即ち、魔術師にとっての最大の武器ということだ。


、と言われると語弊がありますけど、一応僕の術式ではあることになっています」


 そう言った時、ユートの胸に心臓掴まれたようなズキリとした鈍い痛みが走る。あぁそうだ、僕はあの時、を………  



「む。どうやら、これ以上掘り下げるのは野暮なようだな」


 ユートの心情を察してか、シルヴィアは先程とは違う、優しい声で告げる。


「お前、過去に何か悲しい経験をしたようだな。それも並大抵のものじゃない……なら話はここ等で終わるとしよう。他人の過去を深掘りするのは私としても避けたい。どうせ同じように私の過去を掘り下げても、出てくるのは今更どうすることも出来ない悲哀に満ちた悲劇おもいでだけさ。人は誰しもが過去に悔いて生きている。それはお前も私も同じだ」



 シルヴィアの瞳には暗い影がかかっているようなが気がした。なんだか悲しいような、困り果てた子供のような。


「だから、この話は終わりにしよう。過去を振り返って悔いてみても、辛いだけだ」



 それは贖罪のような、悲愴に満ちた悲しい声だった。彼女に何か言おうと思ったが何も言えない。ユートは言葉を探したが、その開いた口からは言葉が出てくることはなかった。読心されては、何も言い返せないのだ。



「それに、さっきは面白いものを見せてもらったことだし、いいだろう、その護送任務とやらに協力してやろう。ありがたく思えよ?」

「……妙に聞き分けが良いですね。何か僕を出し抜く考えでもあるんですか?」


 その問いに、シルヴィアは答えなかった。



     *  *  *  *  *



「おい、そこの二人、止まれ」

 

 急に声を掛けられ、ユートはビクッと小さく震える。先程家を出た後、ユートとシルヴィアの二人は大使館に向かって歩いていた。何か話す訳でもなく、そしてあと少しでシティ・グレイの出口といったところで背後から声をかけられた。ユートとシルヴィアはゆっくりと振り返る、背後にいたのは黒いコートに身を包んだ男だった。


 ヴン、と探知サーチの音が聞こえた。この人、魔術師だ。ユートはすぐさま戦闘態勢をとる。洗練された自然な探知に加えこちらが戦闘態勢をとっても動じている様子がない。この人、かなりの手練れだ。



「おいそこの女。お前、魔術師だな?」

「はぁ? 私は確かに魔術師だが、実は横のこいつも魔術師なんだがな。何者だ?」


 シルヴィアは余裕たっぷりに答える。


「その餓鬼はどうでもいい。それに正体を明かす必要も無ぇ。女、お前の首をが欲しがってんだよ」


 男の言うとは何のことなのだろうか。


「私の首は誰にもくれてやるつもりは無いんでね、残念だったな。お生憎様」


 軽口を聞いた男の体から殺意が溢れ出している。このままでは危険だ。ユートはシルヴィアの前に立つ。


「おやおや、まさかこんな美男に身を挺して護って頂けるとはな。嬉しいねぇ。惚れてしまいそうだ」

「下がってください」



 シルヴィアの軽口も無視してユートは気を引き締める。男は体に魔力を流している。


「ならその餓鬼ごとあの世に送ってやるよ」


 そう言うと男は距離を詰める。そして急加速すると一瞬で岩石のような拳を突き出してくる。ユートはそれを左手で受け流すと男の脇腹に蹴りを入れる。そしてすぐさま男の顔に渾身の掌底を食らわせた。男は少しよろめいたがすぐに立ち直すとユートに前蹴りを放つ。ユートは眼前に両手を交差させて身を守るが、強烈な蹴りにひるんでしまった。その隙に、男はユートに《強化エンチャント》された右手で殴り掛かってくる。防御しようとしても間に合わず、鳩尾みぞおちに強烈なパンチを食らい、ユートはその場に膝をついた。意識が飛びそうなほどの衝撃に、ユートの胃の中のものが吐き出される。


 そして男はシルヴィアの方を向くと指をさす。あの構えはまずい、《魔弾まだん》を撃つ気だ。


「……!? 待て! そんなことしたら!」

「お前はこの女の次だ。餓鬼は引っ込んでろ! 今は、先にこの女を殺してやる」


 ユートの叫びも聞いていないようで、男の指先に光が集まっていく。対するシルヴィアはただ腕を組んで男を睨み付けている。どうする? どうしたら止められる? どうすればシルヴィアを護れる? 限られた時間の中で必死に考える。



……一つだけ思いついた。何て無謀な賭けだと正気を疑いたくなるような作戦だが、シルヴィアを護るためにはこれしかない。それに今回の任務はシルヴィアの護送だ。彼女の身を護りきるためなら、。ユートは足に魔力を集中させると加速する、そして男とシルヴィアの間に体を滑り込ませた。




 直後に閃光、男の指先から魔弾が放たれた。



 魔弾はユートの腹部に直撃した。"強化"の効果もあってかどうやら貫通はしなかったらしく、捨て身の作戦ではあったものの、シルヴィアを護ることには成功した。そのまま倒れ込んだと同時に激痛がユートの体を突き刺す。呼吸が浅く、速くなり、全身が脱力して四肢の感覚が無くなっていく。それでも聴覚だけはいつにも増して研ぎ澄まされ、速くなった心臓の鼓動と迫り来る足音が厭にはっきりと聞こえる。腹部からは血が流れ出しているようで、傷を触った手を見ると、ぴちゃぴちゃとした赤色で染まりきっていた。


「……なっ!? おい!」


 シルヴィアの慌てた声が聞こえる。彼女は駆け寄って来るとユートの腹部に触れ、応急で治療術式を展開した。凛とした声には隠し切れない動揺を孕み、彼女はユートの血に濡れた手を強く握った。


「大丈夫か!? 気をしっかり持て!」


 その言葉とは裏腹に、ユートの手を握るシルヴィアの白い、今は血の色に染まってしまった手は震えていた。機能を手放した耳から微かに靴音が聞こえる、男がこっちへ歩み寄ってくる音だ。


「……いてて。ぼ、僕は大丈夫です。それよりも早く、逃げてください」

「馬鹿! お前を放っておけるわけないだろ! 勝手に身代わりに何てなりやがって! だが安心しろ、死なせはしない。きっとうまく逃げおおせてやるさ」


 そう聞こえたのを最後に、シルヴィアの声が遠くなる。次第に意識も無くなりそうだ。

 あーあ、死んだかなコレ。まだまだ長生きしたかったんだけどな。


 最期の時くらい笑ってやろうと、ユートはその顔に笑みを浮かべた。



 そして光が遠ざかる。ユートの意識は黒い奔流に塗り潰されていった。

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