3 忘れられた歌
「――だからそうじゃなくて、この指をこう動かして……」
「……」
「あっ……へへ…………どうもー」
道の端に座り込む俺に怪訝な表情を向けながら、通行人が邪魔だと言わんばかりの眼差しで睨んできたので、適当に会釈する。
「えへへ、怒られてやんのー!」
「誰のせいだと思ってんだ、こら!?」
幽霊の少女『ユキ』の為にギターを教えることに俺は、出会った場所、つまり新宿駅南口の道端で寒さに耐えながら座っている。
初めは俺の部屋にでも連れてきて教えようと思っていたのだが、どうやらユキはこの場所から離れることが出来ないらしい。
今の俺の姿は、自己紹介のポップも掲げず、ギターだけを持って座り込み、更にぶつぶつとつぶやきながら謎の動きをする怪しい男。考えただけでも恥ずかしさで顔が赤くなりそうだ……
今日で教え始めてもう5日目。雪はまだ降り続けている。
「Cadd9? あどって何?」
「それはこう、透き通った感じになるコード」
「こう? じゃあFってこんな感じ?」
「それは、そうじゃなくて、こう、手は
「おにーさん! この前から感じ感じって、全然分かんないよー!」
「と言われてもなぁ……」
ユキに教え始めて分かったことがある。俺はどうやら教えるのが下手だということだ。元々誰かに教えた経験など無かったし、何よりも独学でギター学んだ弊害か、うまくやり方を伝えることが出来ない。
それでもユキはめげずに俺の言うことを何とか理解し、実践しようと頑張ってくれている。
「うーん、ちょっと歌ってみるね」
ユキは歌に合わせながら、メロディーに合ったコードを俺が教えた物から模索し始めた。
美しい、心を揺らす歌声。しかしそれに合わない濁ったコードが同時に響き渡る。
それでもなお、ユキは歌でユキ自身、そして歌詞に込められた想いを聴く者に届けようと、楽しそうに歌っている。そしてそれは、俺が目指していくべきだった姿。
――最初は俺もこうなりたかったんだよな……
何日も頑張るユキの姿を見ていると、俺の中にこみ上げて来るものがあった。初心とでも言うのだろうか。打ちのめされ、ただ漠然と日々を過ごしてしまった俺が忘れてしまった気持ち。
俺は手癖で適当に曲を作っている。だが、本当は用いるすべての音色に意味があって、それを曲に当て嵌め、誰かにその曲の持つ意味を伝えなきゃいけない筈なのだ。
適当なメロディーに適当な歌詞を載せ、何も考えず音を奏でる。ただ自分を慰める為だけの歌。
きっと今の俺は、そんな何も意味のない歌を歌っているのだろう。そしてそれこそが、歌うたいとして恥ずべき事なのだと、思う。
誰かの為を思ってこそ、
歌を聴きながら考え事をしていたら、ちょうどユキがサビに差し掛かる所で演奏を終えていた。
「どうだった? あってると思う?」
「知らない曲だからなぁ……でもメロディーにコードはあってると思うよ」
「ほんと!? やったー!」
ユキが分かりやすく喜ぶ。
「ただこの後がなぁ……さすがにメロディーはユキが思い出さなきゃ分からないよ」
「そっかー、まあそうだよねぇ」
俺自身でも不思議な程、ユキの歌うメロディーに合ったコードを探すのにそう手間取らなかったこともあり、ユキはサビまでのコード進行をある程度思い出している様だった。ただ肝心のサビについては、歌詞も、そのメロディーすらも思い出せてはいなかった。
「知ってる曲ならいいんだけどなぁ」
考えに
「ねぇ、おにーさん! せっかくだし何か歌ってよ!」
「歌う? 俺が?」
「うん! 参考にしてみたい!」
俺はあたりを見渡す。夜も遅いので人通りはまばらだ。これなら今の俺でも、自信をもって歌うことが出来るはずだ。
「……少しだけだぞ?」
「やったー!」
ユキの期待の眼差しに少し歯がゆくなるが、俺はギターケースからカポタストを取り出し、2フレットに挟み込んだ。
息を吸い、歌い始める。
曲はオリジナル。自分の中では一番出来が良いと思っている、バラード・ソング。
伸ばした爪で弦を一つづつ
何日かぶりにまともに歌っているが、不思議といつもより上手く歌えていた。
音程とか、細かなテクニックとか、そういう物じゃない。
ユキのように、言葉に、精いっぱいの想いを込めて。
スピーカーを通していないので、通行人に歌は届かない。だが今は、それでも良い。
俺は今、ユキの為に歌えている。
◇
「おおー……」
ぱちぱちとユキが拍手をしている。
曲の一番の終わりで区切り、俺は演奏を終えた。
「これで、何か参考になったか……?」
「いやー? 全然?」
「あっそ……」
「おにーさん、あんまり歌上手くないんだね」
「れ、練習中なんだよ……」
さらっと毒を吐かれ、俺は肩を落とす。
ただユキに比べれば俺の歌が良くは無い事は分かり切っている事なので、特に怒りは沸いて来なかった。
そうした俺を見てか、ユキが焦ったように言葉を紡ぐ。
「で、でもね! すっごく良い曲だなーって思ったよ! この後の歌詞も好きだし!」
「あーそうですか……って、ちゃんと聞いてたか? 俺まだ一番しか歌ってないぞ?」
ユキの言葉に流石に呆れながら俺は返した。
しかしユキは、本気で困惑した表情で俺を見つめている。
「え、でもね、私この曲すっごい好きでね? この後のメロディーだって……」
「あ、あれ……? 私、何で知って――」
「――あ」
ユキの表情が雷に打たれたかのように固まる。そうしてそのまま、何も言わずどこかへ消え去ってしまった。
「おい、ユキ!? どうしたんだ!?」
返事は無かった。何かユキを怒らせるような事を言ってしまっただろうか……?
念の為俺はその場で待っては見たものの、何時間経ってもユキは帰ってはこなかった。
◇
ユキの様子がおかしかった、翌日。
心配になった俺はいつもより少しだけ早く、日が暮れる前にあの場所へと向かった。どうしても、去り際の悲しそうな表情が気になっていたのだ。
繁華街を抜け、駅に急ぐ。
幸いにも、ユキは居た。
ただ、どことなく暗い表情を見せていた。
「お前、昨日どうしたんだ? 俺、何か怒らせるような事言ったかな……?」
ユキは何も言わず、ただ俯いている。怒っては――いない様だ。
俺はなるべくいつも通りの表情で語りかける。
「まあいいや、早速練習して、ユキの歌を思い出させよう――」
「――私」
ユキが俺の言葉を遮る。その声は、震えていた。
「――私、思い出したよ。私の事――」
ユキは俯きながらぽつりと、歌の歌詞を呟いた。
俺は驚きを隠せなかった。
だってそれは――
――それは、俺の歌。2番の歌詞だった。
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