2 その少女、幽霊につき



 流石に可哀そうになった俺は、大きな歩道の端側でこちらに手を伸ばし、泣きそうになっていた少女に歩み寄った。


「何? 一体何の話?」


「ご、ごめんなさい! 興奮しちゃって……!」


 先程の自分の様子を恥ずかしく思ったのか、少女は顔を赤らめてこちらに向き合う。改めて正面から見た少女の姿に、俺は違和感を感じた。

 

 軽く内側に巻いたショートボブの少女。ここまでは普通だ。

 だが今は、12月だ。雪が降るほど寒い。だというのに、少女が着ているセーラー服は半袖の物で、どう見ても夏の装いだった。

 周りを見渡してもギターケースは見当たらず、それどころか鞄すら無い。肩から吊るしたアコースティックギターは、裸のままここまで持ってきたのだろうか?


 訝しむ俺に、少女はより一層意味の分からない言葉を発した。


「えっとね、実は私、ー」


「――えぇ?」


「それでね、私の事が見える人、おにーさんが初めてなんだよ!」


 ――なんて言った? ? 見える? 俺が? 

 

 どうやら俺の前に立つ少女は、相当ぶっ飛んでいるらしい……

 新手の宗教か何かだろうか。とにかく、これ以上関わるのはバカバカしいと感じた俺は再度話を切り上げて立ち去ろうとするが――


「ちょ! ちょっと! だから待ってってば!」


 何度も呼び止められ半ばキレかかっていた俺は、文句の一つでも行ってやろうと振り向く。


「だから、しつこいって……の――」


 その光景に俺は言葉を失った。


 少女が



 「ね? 信じてくれた?」


 「……いや、どうだろうか……」


 信じられない。ギターを持った少女が俺の目の前で宙に浮かんでいる。

 夢、なのだろうか? 確認のために自分の頬をつねってみる。痛い。

 

 もしかして、最近またふつふつと頭に浮かんでいる夢を諦めるという想いが、変な幻覚を作り出しているのだろうか――


「ちょっと、おにーさん! 話聞いてる?」


「……あぁ、聞いてる、けど……」


 見上げながら大きな瞳をこちらに向ける少女。


 どう見ても、人間だ。しかし、足は地面についていない。浮いている。

 だめだ、混乱して今の状況に着いて行けない……

 俺はその場に、人目も気にせずへたり込んだ。


 その姿をどう解釈したのか、少女が俺の横にぺたんと座り込んで事の経緯とやらを話し出した。


「なんか目覚めたときにはここに居てね、こうやってギター持ってたの。それ以外の事はなーんにも覚えてないんだー」


「でね、周りの人は私の事見向きもしないし、私浮いてるし……だからね、多分私、死んでるんだなーって」


「幽霊ってやつなのかな? わかんないけど!」


 放心状態の俺の返事も待たず楽しそうに話す少女。言ってることが本当なら、久々の話し相手だから、と言ったところだろうか。


「でね、暇してたら、何か頭に歌が浮かんできてね?」


「歌って、さっきの……?」

 

「そうそう!Bメロまでしか分かんないんだけどね」


「歌ってると、なんか懐かしい感じがするんだー」


 少女が遠い目をしながら語っている。 


「だからね! もしかしたら私が生きてた頃に好きだった歌なのかもって思ってるんだけど、やっぱり思い出せなくて」


「おにーさん、ギター持ってるでしょ! 弾けるんだよね?」


「いや、まあ弾けるけど……」


「おにーさんが私を見つけてくれた時、良いこと思いついたんだ!」


 少女は浮かび上がり、高らかに自分の主張を宣言する。


「おにーさん、私にギター教えて! そしたらなんか思い出すかもしれないし!」


「――――はぁ!?」


 再度俺を混乱させる一言を放つ少女。話の勢いにまるで着いて行けない。


 ――完全に、面倒ごとに巻き込まれた。俺はライブをりに来ただけなのに……

 混乱する視界の端には、道端でへたり込んだ俺に対して怪訝けげんな目を向ける通行人が見える。しかし、誰一人として俺の前に浮かぶ少女に視線を向ける者はいない。


 どうやら、本当に俺以外には誰も見えていないようだ……

 突然の非現実に放り込まれた俺は返事もまともにできない状況に陥る。

 

 俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、少女は嬉しそうに腕を上げた。


「ありがとうおにーさん! 約束ね! 今日はもう遅いから、また明日、日が暮れたら待ってるね! それじゃ!」


 まくしたてる様に少女が言葉を紡ぐ。どこに去ろうというのか、別れの挨拶まで添えて。


「えっちょ……ちょっと待って!」


「な、名前は? 君の名前は!?」


 俺は混乱して、聞く必要のない様な事を問いかけてしまった。


「なまえ――私の……名前!」


 どこかに立ち去ろうとする少女は振り向き、俺の問いに笑顔で答えた。


「私の名前は――そう、ユキ! 思い出した!」


「ユキ――」


「明日からよろしくねー! おにーさん!」


「お、おい、ちょっと……!」


 再度声を掛けようとしたときには、少女は雑踏の中に溶ける様にその姿を消していた。


「な、なんだったんだ……」

 

 はっと我に返ると、周りの通行人が不審者を見る様な目でへたり込んだまま叫ぶ俺を見ていることに気が付く。

 急に恥ずかしくなり、俺はそのまま自分のアパートにそそくさと逃げ帰る様に足を運んだ。



 翌日。


 夢であって欲しいと思いつつも、少女の願いを無下むげにすることもできず、俺は昨日、幽霊の少女と出会った場所へ重い荷物を背負い向かっている。どうしてか、あの少女を放ってはおく事は出来なかった。


 相も変わらず今日も雪が降っている。繁華街を進み、寒い手を擦りながら駅前に向かうと、そこには――


「あ、おにーさん! 来てくれたんだね」


「――っ!」


 決して上手くは無いギターの音と共に、幽霊少女は待っていた。


「ま、マジか……」


「早速ギター、教えてね!」


 こうして俺は、冬空の下、謎の幽霊少女『ユキ』にギターを教える事になったのだ。


 

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