その幽霊、歌うたいにつき。

夏村シュウ

1 歌うたいの少女



 その日は、雪が降っていた。


 大小華やかなイルミネーションが立ち並ぶ街路樹に灯り、赤白の鮮やかな色彩を持つ装飾が辺り街中に広がっている。


 そんなクリスマスの気配を漂わせる夜の繁華街を、俺は歩く。

 

 「さむ」


 重たい荷物を背中とカートに乗せ、独りごちながらある場所へと向かっている。


 荷物は手作りのポップ等雑多なものと、マイクと充電式スピーカー、そしてシーガル・T35。簡単に言えばアコースティックギターだ。


 カナダにあるマイナーなメーカーのギターで、細いヘッドの外見が特別感を醸し出す。実際には高価な品物ではないが、その特徴的な外見と抜けの良い箱鳴り具合に地元の楽器屋で一目惚れし、高校生の時にバイトでせっせと金を稼いで買った物だった。

 

 黒色の重たいハードケースに入った、俺の相棒。


 今から俺は路上ライブを演奏する。その為に寒い中で重たい荷物を運び、一人繁華街を歩いているのだ。


◇ 


 俺は「ヒロト」という名で音楽活動をしている。

 とは言っても、有名ではない。所謂売れない、どこにでもいるストリートミュージシャンだ。

 

 高校卒業を機に、ミュージシャンとして活動する為に田舎にある実家を飛び出し都内の格安賃貸に転がり込むまでは良かったが、いろいろな方法で名を売ろうと試すもいまだ鳴かず飛ばずの状態であった。



 都内に着き、ターミナル駅で人の路上ライブを初めて聴いた時。俺はそのレベルに圧倒された。自分が大切に磨いていた誇りを、ただのゴミ屑に感じたほどだった。


 それからは、俺はどんどん歌う事が恥ずかしくなってしまっていた。


 結局そうしてずるずると時間だけが経ち25歳を迎えようとしている俺の胸の内には、夢を諦めると言う認めたくない思いがどんどんと募り続ける。


 打ちのめされて、それでも諦めきれなくて。


 こうして俺は半ば意地の様な物だけでなんとか活動を続けられている。

 

 才能がなくても運があれば。誰かが拾ってくれたら。そんな儚い想いを胸に、今日も俺はひっそりと路上ライブをる為に歩く。



 繁華街を抜けた先にある、新宿駅の南口。そこには幅の広い大きな歩道が面しており、人通りも多い。路上ライブをするには格好のスポットだ。


 いつもであれば複数のストリートミュージシャンが活動しているのだが、雪が降っていることもあり誰もいないようだ。

 

 まあ、それを狙ってこの日を選んだのだが。狙い通りで、ラッキーだ。

 道の端の、少し目立ちにくい場所。俺はそこで、背負っていたハードケースをアスファルトに下ろし、カートに乗せた音響道具を縛るゴム紐を解こうと――


 ――ふと、音が聞こえた。


 微かだが聞こえる金属をはじく音色。アコースティックギターの音だ。

 しかし雑踏の音に紛れてその殆どがかき消されている。ここは人通りも多く、駅を挟んだ向かい側には幹線道路が走る都会の道だ。スピーカーも無しに演奏するとは……素人さんなのだろうか?


 何故かは分からなかった、だがどうしても聞こえてくる音が気になって、俺は演奏の準備の手を止め再度荷物をまとめ直し、その方向へ引き寄せられる様に歩いて行った。


 人ごみを縫うように足を進めると、次第に音が大きくなり、それを曲として、音楽として認識できるようになって行く。



 そうして進んだ先の、少し開けた場所。


 アコースティックギターを肩に吊るした、セーラー服の少女が見えた。



 目を閉じて、うつむきがちに演奏する少女。外見から見て、中学生くらいだろうか。正直演奏の腕は平凡、いやほぼ初心者レベルだ。

 手には目立つオレンジ色のボディーのアコースティックギター。表面には花の蜜を吸うハチドリの意匠が描かれている。人気の高い、ハミングバードと呼ばれる物だ。


 少女の持つピックが弦をはじき、ふくよかで柔らかい音色でごく単純なコードを響かせている。


 音が小さいこともあってか、周りを歩く人たちは誰一人として少女に見向きはしない。足を止めているのは、俺だけだ。

 前奏が終わったのだろう。少女は息を吸い、歌い始めた。

 


 ――その瞬間、周りの音が遠ざかり、歌声だけが響いているかの様に、俺は錯覚した。


 今までに聴いた事のない、バラード・ソング。恐らくではあるが、オリジナル曲なのだろう。先程と同じ単純なコードに乗せて、聞き覚えがある様な、無い様な。そんな歌詞を少女は歌う。


 少女が紡ぐ歌声。それは、下手なアコースティックギターの演奏にはあまりにも不釣り合いな物だった。


 どこをとってもその実力は一流だった。だがそれ以上に俺の心を惹いたのは、生まれ持ったものなのだろう少しハスキーな、美しい歌声。

 語彙のとぼしい俺が表現するとすれば、それは、天使の歌声だ。歌う者の想いを余すことなく伝え、聴く者の心を惹き付ける、そんな声。

 俺は息をすることも忘れて聴き入っていた。


 天才的な歌声が響き渡り、少女の持つ世界観に吸い込まれて行く。

 今正に歌の最も伝えたい部分、サビに差し掛かる――


 しかし、少女はその直前に、突然演奏を辞めてしまった。少女の奏でる音楽が止み、一気に現実の世界に引き戻される。



 どうしたものかと不思議がった俺に、顔を上げた少女は目を合わせ――



「おにーさん、もしかして私が見えるの?」


「――は?」


 演奏を辞めた少女が、俺に何とも不思議な言葉を問いかけて来た。



 何かの聞き間違いなのか。いや、よく分からないことを言ったのか。少女の意図を理解できぬまま、俺は言葉を返す。


「あ、えっと、そりゃ君の歌を聴いていたけど」


「やっぱり! やっぱり聴こえてるんだ!」


 興奮しながら、まるで宝物を見つけたかの様に喜ぶ少女。やはり俺には少女の発する言葉の意図が分からなかった。


「い、良い歌だったよ。それじゃ……」


 面倒な話になりそうだ……と、俺はその場をさっさと後にしようとしたが――


「ね、ねぇ! 待ってよ! 待ってってば!!」


 ――少女の縋るような声に、足を止める他無かった。


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