第3話

 貴種などという呼び名をつけながら、ヒトは彼らを迫害した。

 同じ姿でありながらあらゆる点で優れた貴種をヒトは恐れたのだ。年を取らずに若く美しい姿のままで生きる彼らは、神のように崇められたケースもあるが、多くは恐れられ、避けられた。


 貴種が人と同じか、少し劣る程度の繁殖力を持っていれば、世界は彼らの物になっただろう。しかし数が少なければ、個々がどれだけ優れていても争えば負ける。やがて彼らの大半は人を避けて寄り集まり、ひっそりと暮らすようになった。中には人に交じり、居を転々としながら過ごした者もいるが、ごく少数だった。

 人里から離れたところで生活しても、必要とする物はヒトと変わらない。食べていくためには作物を作るか狩るかあがなうかしなければならず、人手の少なさはそのまま生産性の低さに繋がった。故に、彼らが完全にヒトとの交流を断ち切ることはできなかったのだ。


 そして里が見つかることもあった。美しい者だけが暮らす隠れ里は、ある者には桃源郷のように思われ、また別の者にはの如きあやかしが住む地と恐れられた。――そして、そういった一部の人間の恐慌によって村は焼かれ、貴種は追い立てられた。



 常に怯えながら暮らすことに疲れ果てた彼らは、近代になってからとうとう逃げることをやめた。

 それは文明開化の花咲き乱れた明治時代のことであり、貴種はヒトとは違うその長寿の仕組みを研究させるのと引き換えに権力者の保護を得た。不老長寿は金と権力を握った人間にとっては永遠の命題であり、貴種はその身をなげうち、自ら検体となることで安住の地を得たのだ。


 貴種の支援者はそれなりにいたが、中でも中河内財閥は医療部門を立ち上げてまで積極的に彼らを支援した。変わり者であることで有名だった中河内の当主が、貴種に深く同情して財を割いたらしい。初めは中河内の別荘などに分かれて住んでいた貴種が、この地に新しく作られた研究所兼住居に居を移したのがおおよそ百年前。


 それから現在までの間に戦争があり、財閥解体があり、当主も何度も代を替えたが、幸いなことに程度の差こそあれ中河内は常に貴種の良き友人だった。建前上は現在の研究所も中河内製薬の持ち物である。


 しかし、徐々に数を減らしていた貴種は、安住の地を得た途端に急激に絶滅へと向かった。数が減り、長年に渡って近い血を重ねざるを得なかった弊害もあっただろう。百年の間に生まれた子供はたったひとり。その上、若い者ほど長生きしなかった。人間と愛し合った末に子をもうけた女性もいたが、生まれた子供からその先へと血は繋がらない。


 あるいは、過酷な生活から解き放たれて、安堵のあまり力尽きた者もいたのかもしれない。六十年前には貴種は僅か六人まで減っていた。



 そして、事件は起きた。ここで生まれたもっとも年若い青年と、その叔母に当たる二番目に若い女性が研究所から逃げ出したのだ。

 若い者ほど危険はないはずの生活に閉塞感を感じていたのだと、周囲が気づいたのはふたりがいなくなってからのことだった。

 捜索の甲斐もなくふたりの行方はわからず、十年後に幼い貴種が保護された。


 それが紗代――手に手を取って逃げたふたりの貴種の間に奇跡的に生まれた少女だった。

 


「ふたりの貴種がここから脱走をしたことで、残った貴種は改めて各自の意思を確認した。その時点でここにいたのは四人。全員がここを去る意思はなく、残りの生を静かに過ごしたいと願っていた。それを受けて老朽化した建物を建て替えて、自分たちに逃げる気はないのだと示すような今の造りになった。――俺がホスピスと言ったのは、そういうわけだ。

 ところが、今から四十三年前に紗代が見つかった。あいつが発見された理由は、小学校に向かう途中で交通事故に遭って、病院へ救急搬送されたからだそうだ。命に別状ないとはいえ重傷だった。手術が必要で血液型を調べたら、人間には当てはまらない結果が出た。それで、もはや一般的には物語の中の存在のようになっていた貴種なのだとわかって、現場の病院は軽くパニックになったらしい。

 そこで中河内製薬を通して紗代はここに保護された。紗代が貴種だとわかって職員が慌てて家に向かったが、既に両親は姿を消していた。

 怖かったんだろうな、一度得た自由を失うのが。特に紗代の母親にとっては、一度は奪われたものであり、危険を冒してようやく取り戻したものであり……」


「それでも、子供をひとり置き去りにしてでも失いたくないほど大事なものなんだろうか。僕は子供を持ったことがないから、そんなことを言える立場じゃないかもしれないけど。幼い子供を残して逃げるなんて」


 すっかり冷めたコーヒーを陽樹は一気にあおった。心の中にわだかまる苦さと、舌の上に残る苦さはよく似ている。無理矢理飲み込んだそれは腹の中でどろどろと渦巻いて、陽樹を一層暗い気持ちにさせた。

 目を伏せてすっかり沈み込んでしまった陽樹を見やって、永井は重いため息をついた。


「娘を追って行けば、何百年壁の中に閉じ込められて生きることになるかわからないんだぞ。実際のところ、紗代の両親がどうなったのか本当はわからないんだしな。もしかしたら紗代のところに向かう途中で何かがあったのかもしれない。本当に逃げたのかもしれない。――本当に逃げたんだとしても、俺たちに責める権利はない。貴種を高い壁の中に閉じ込めて生きるしかないように追い詰めたのは人間なんだ」


「僕は……正直なところ、いろいろとよくわからないんだ。さっきの彼女を見ていると貴種がどう人間と違うのかわからなくなる。体の構造も同じで、メンタルだって変わりが無いとしか思えない。差異があるのは認めるけども、彼らがそんなに恐れられなければならなかった理由が僕にはわからない」


 額を押さえて陽樹は呻いた。やはり陽樹にとってはこのラボと関わることになる前までは、貴種は現実感のない存在だった。もちろん恐れる対象ではなかったし、永井の話を聞いても貴種が何故そこまで疎外されたかが実感できない。

 それに対して、永井は軽く眉を上げて低い声で言葉を連ねた。彼は何かに怒っているようであり、悲しんでいるようにも陽樹には見えた。


「おまえもわかってるだろう。社会の中で罪の無い異端が、ただ異端だという理由だけで虐げられる事を。マジョリティを自称する奴らから見たら、違いがあるだけでそれは相手を貶め、虐げていい理由になるんだ。肌の色とか外見のわかりやすい違いや、何らかの能力が劣っている事、そして、逆に抜きん出て優れている事――なんでもいいんだ。

 それに、人間は自分より優れているものを本能的に恐れる。同じ人間相手ですらそうなんだ。それが『似て非なるより優れたもの』に対して集団でどう対処するかなんて容易に想像付くだろう。

 俺もおまえも組織の中で『異端』だったからここに追われた。紗代だけじゃない。俺とおまえ、三人にとってここはシェルターみたいなものだ。この外に出れば、安全は保証されない。なにせ『異端』だからな」


 永井の言葉に反論することができず、酷く打ちのめされた気分になって陽樹は目を閉じた。



 永井に傷つけられたとは思わなかった。自分を取り巻いた不条理について薄々感じていた疑問が、ひとつの答えを見つけたような気もする。

 気持ちが落ち込んだのは、自分もまた醜ささえ感じるそんな「人間」のひとりに違いないからだった。

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