第27話【第五章】

【第五章】


 はっとして目を開ける。

 飛び込んできたのは、四方八方が真っ白であるという事実。風もないし、匂いもしない。


 ここはどこだ、と口にしようとして、僕は自分が声を出せないことに気がついた。

自分が一糸纏わぬ姿であることにも。


「!」


 慌てて周囲を見渡した。

 何か着るものはないのか? 布切れでもいい、せめて腰に巻けるタオルのようなものが欲しい。


 しかし、僕は唐突に、それを求めるのが無益な行為であることに気づいた。

 ここには僕以外、誰もいないのだ。

 さらに言えば、自分の足の裏の接地面以外、何も存在しない様子である。この部屋が白く見えるというのは結果であって、原因たる光源と呼べるものも存在しない。したがって、影すら生じていない。


 僕はそっと首を巡らせて、自分の左脇腹を見下ろした。

 傷がある。僕は慌てて、出血を防ぐべく両手を押し当てた。呼吸が荒いのが自覚される。


 しかし、手先から伝わってくるのは生温かさだけ。液体が溢れ出る感覚はない。


「……?」


 僕はいつの間にか、ぎゅっと閉じていた目を開けて、脇腹から手をどけた。

 筋肉が軽く切り裂かれるくらいの負傷はしているかもしれない。生々しい光景を覚悟して、再び傷口を覗き込む。

 そして、


「ッ!」


 堪らず嘔吐した。吐瀉物は、しかしすぐさま消え去っていく。本当に僕以外の物体の存在は許されていないらしい。


 何故、突然吐いてしまったのか。はっきりと見てしまったからだ。

 自分の腹部の隙間から覗く、金属部品を。


 ぐうっ、という呻きが、喉の奥から漏れる。それと同時に、傷口に当てていた掌に違和感を覚えた。

 震えだした肩を気力で押し留め、ゆっくりと両腕を上げる。そして、目の前の現象に唖然とした。


 腕が、溶けている。どろどろ、びちゃびちゃと。皮膚が捲れ、隙間からゼリー状になった筋組織が落ちていく。


 声の出ない喉が、切り裂かれながら締め上げられるような感覚がある。

 そのくせ、腕は痛みもなく崩壊していく。融解、と言ってもいい。悲鳴を上げられないぶん、胸が圧迫される。心臓が飛び出してきそうだ。脳髄が痺れて、まともな思考ができない。


 ただ目を皿のようにして、腕を見ている。痛みはないが、どんどん軽くなっていくのが伝わってくる。ということは、完全に溶け切ってしまったわけではない、ということか。


 まともに考えられないぶん、外界の変化はすぐに受け入れられた。

 手先から腕と、溶け落ちていく身体。その中心に、芯になるようなものがあることに気づいたのだ。


 それは、光沢のある銀色の素材だった。明らかに金属である。

 造りは複雑で、節や配線のようなものも垣間見える。


 ああ、やはり自分はサイボーグだったのだ。フィンと同様に。

 あまりの衝撃の大きさに、ただでさえショートしていた脳みそが、理解を拒んでいる。もはや恐怖や絶望を感じる余裕すらない。


 そこで顔を上げると、自分のそばに一枚の板が配されていることに気づいた。

 いつの間に置かれたのだろう? 全く気づかなかった。それが全身を映す鏡であると把握するのに、数十秒の時間を要した。


 鏡に見入る。すると全身、否、全身に纏った『生体組織』の崩壊が、全身で発生していた。相変わらず痛みはなく、淡々と溶けては床面に吸い込まれていく。

 やがてそれは、頭部でも始まった。じわりじわりと、金属骨格が見えてくる。そして、右目の瞼から上がずるり、と滑り落ちた。そこにあったのは、トニーのそれにそっくりな眼球型の光学映像受像機だった――。


         ※


「うわあああああああっ!」


 僕は自分の絶叫で目を覚ました。がばりと上半身を起こし、何か硬いものに額を打ちつける。


「いてっ!」

「アル様、ご無事ですか?」


 顔を上げると、トニーがそっと身を引くところだった。僕は彼の胸板に頭突きを喰らわせてしまったらしい。


「あ、あぁ、あ」


 僕は肩で息をしながら、全身をペタペタと触った。どこも融解などしていない。

 深くため息をつき、自分の胸に手を当てる。そしてその手をゆっくりと下ろした。

 この期に及んで、ようやく僕は自分が上半身裸であることに気づく。治療の際に脱がされたのだろう。


 しかし、僕は無傷ではなかった。脇腹に包帯が巻かれている。どうやら、ポールに刺されたのは事実らしい。

 そっとその包帯に触れようとした、その時。


「待って!」


 驚いて顔を上げると、そこにはレーナがいた。そばにはフィンの姿もある。

 ゆっくりあたりを見渡すと、自分たちが森の中にいることが分かった。


「待ってアル、傷に触らないで」

「い、いや……。まだ敵がいるかも……」


 そう言いながら、尚も無意識に手を遣る僕。すると、パチンといい音がした。レーナが僕に、平手打ちを喰らわせたのだ。


「駄目だよ、アル。この包帯を外しちゃ」

「だって動きにくいじゃないか」


 僕が真顔で答えると、レーナは突然涙を浮かべた。顔を背けてうずくまり、泣き声を上げ始める。


「あのなあ、アル」

「フィン……。レーナはどうしたんだ? 僕が何か、悪いことを言ったのか?」


 はあっ、と大きなため息をついて、フィンは膝をつき、目線を合わせた。


「レーナは、自分のボーイフレンドがサイボーグだと知って、酷くショックを受けたんだ。それに、このぶんだと自分もサイボーグなんだろうって思ってる。お前一人がうなされていればいい、って問題じゃねえんだよ」


 フィンの言葉に込められた気の強さは、いつも通り。しかし、覇気がない。絶望というものを潜り抜ける間に、精神が摩耗してしまったのだろうか。


「僕もサイボーグ、なのか」

「そうらしい」


 さめざめとしたレーナの嗚咽が、草木の揺らぎに掻き消されていく。

 沈黙の中で、僕の思考は霧がかかったようにぼんやりとしている。だが、一つだけ思い当たることがあった。


「フィン、ごめん」

「は? どうしてあたしに謝るんだ?」

「僕は……。僕は、自分とレーナがサイボーグでなければそれでいいと思っていたんだ。心の奥底ではね。だから、ごめん。フィンのことを気にかけてあげられなくて」


 呆然自失でありながらも、僕は白状した。僕が俯くのと、フィンが再び、しかし弱々しいため息をつくのは同時。


「いいんだよ、あたしのことは。あたしは、身寄りがないから。話さなかったっけ? 両親がシャトルの事故で死んだ、ってのは?」

「い、いや。初耳だ」

「あたし、兄弟姉妹いないし、ポールは……死んじゃったし、もう、いいんだ」


 僕は咄嗟に言い返そうとした。

 そんなのはただの言い訳だ。自分がサイボーグだと知って、自棄になっているから、身寄りがなくてよかった、などと考えてしまうのだ。


 僕だってサイボーグだが、それでも知っている人がいてくれるから、生きていくことができ――あれ?


 それは突然の出来事だった。記憶の中の光景が、古びたテレビの砂嵐のようなものに塞がれてしまったのだ。

 両親の顔が思い出せない。学校に入る前のことがよく分からない。自分のことなのに。

 一体僕の身に、何が起こっているんだ?


 僕がおろおろと、焦点の合わない目で周囲を見渡していると、トニーがさっと立ち上がった。


「どうした? またポールの偽物か?」

「いえ、違います、フィン様。ミヤマ博士からの通信です」


 そう言ってトニーは振り返り、自分の胸の高さに腕を掲げた。その手首に仕込まれた立体映像投影機から、博士の姿が浮かび上がる。


《やあやあ諸君! 先ほどは失礼した! 君たちに、自分たちの立場を説明していなかったね。あっちのグループはもう察しをつけていたんだ。だから一方的にアルくんを襲ったわけだけれど……。まあ、聞いてくれ。大事な話だ》

「僕たちの立場? あっちのグループ?」


 僕は立ち上がり、ようやっと視点を博士の映像に合わせた。博士はマグカップに口をつけ、喉を潤している。


《あっちのグループというのは、アンドロイドたちのことだ。対する君たちはサイボーグ。どちらが優秀な労働力足り得るか、それを検証していたんだよ》


 再び僕は声が出なくなった。アンドロイド? 労働力? どういう意味だ?


《ポールくんそっくりの少年と、交戦状態に入ったね? あれは、アンドロイド側のポールくんだ。もっとも、あの身体を創るために遺伝子提供をしてくれた人物は同一だから、半ばクローンとも言えるがね》

「博士、あなたは僕たちがサイボーグだと知っていたんですか?」

《当然だとも!》


 相変わらず、明快に答える博士。


《いいかい? これは競争なんだ。サイボーグとアンドロイド、その勝者を決める。そして、勝った方を外宇宙探索及びテラフォーミングの主要労働力として委員会に推薦する。それが、私の仕事だ。いや、そんなつまらないものではないな》


 博士はカップの中の液体を飲み干し、ごくりと喉を鳴らした。そして、こう言い放った。


《この宇宙は、私にとって最高にして最大の実験箱だったんだよ!》


 と。

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