第22話
ガタン、と大きな振動の後、急に目の前が暗くなった。
いや、これもまた錯覚だ。眩しいところから急に出ると、周囲が暗く、ぼんやりと見えてしまう。それと同じ現象が起きているらしい。
僕は呻き声を上げまいとしながら、しばらく耐ショック姿勢を取り続けた。
いつまでこうしていようか。そう考えていた僕に声をかけてきたのは、いつも冷静なトニーだった。
「アル様、ご覧ください。地球です」
僕は『えっ』とも『はっ』ともつかない呼吸音を立てて、がばりと顔を上げた。
既に七色の光は消え去り、眩しくも何ともない。しかし、光学映像用のスクリーンには、何も映っていない。
「ト、トニー? 何も映ってないけど……」
「失礼しました、ちょうど月の陰に入ってしまったようです」
何だか焦らされているようで、あまりいい気はしない。だが、それを払拭する通信が入った。
《こちら地球周回軌道管理局。貴船は、サトシ・ミヤマ博士から軌道降下許可を得ています。今後も安全な航行をお続けください》
「ああ……」
僕の口から空気が漏れる。どうやら、地球に来たのは本当らしい。
やがて、真っ暗だったスクリーンに弓なりに曲がった白いものが映った。これは恐らく、月面の太陽が当たっている部分だ。
そしてさらにその向こうから、じわり、とコバルトブルーの輝きが滲んできた。
滲んでいたのは、僕の視界の方かもしれないけれど。
僕は呼吸すら忘れて、その姿に見入った。いや、魅入られた。
「うわぁ……綺麗……!」
僕の代わりに声を上げたのはレーナだった。振り返りはしなかったが、彼女の驚きと歓喜の表情は、目に見えるようだった。
「ついにやってきたんだね」
フィンまでもが、そんな呟きを漏らしている。
「トニー、光学カメラの映像じゃなくて、直接目視できないか?」
「かしこまりました、アル様。今から周回軌道に入りますので、左側をご覧ください」
すると、左側の壁面が消え去った。いや、透明になった。流石に宇宙空間に出ることは叶わなかったが、これ以上贅沢は言っていられない。
そこには、スクリーンで見たよりも遥かに大きな地球があった。ごくり、と自分の喉仏が鳴るのが聞こえる。
「地球は青かった、か……」
僕は初めて宇宙から地球を見た宇宙飛行士の、その名言を思い出していた。
「これでも大気汚染は進んでいます。かつてはこれほど紫色に近いものではなかったそうですが」
「ちょっと黙ってなさいよ、トニー」
僕に気を遣ってか、フィンがトニーにツッコミを入れる。だが、そんなこと構いやしない。ここが、この青い星こそが、僕たち人類のルーツなのだ。
僕はかつて、地球で『信者ならば訪れるべし』とされていた場所のことを考えていた。宗教というものに詳しくはないが、確かバチカンとか、メッカとか、ガンジス川といった具合だ。
宇宙に人類が進出したとなれば、やはり訪れるべきはこの星、ということになるのだろうな。
《こちらミヤマ、聞こえるか、トニー?》
「はい。問題ありません」
《無事ワームホールを通り抜けたようだな。次はいよいよ、私が諸君を迎え入れる番だ。今座標を送るから、それに従ってくれ》
「かしこまりました」
その短い通信の直後、何者かに背中を押された。
「うわっ!」
「やったね、アル!」
レーナが抱き着いてきたのだった。先ほどまでの沈鬱な雰囲気はどこへやら、振り返るまでもなく、僕は彼女が満面の笑みを浮かべていることが察せられた。
「これが、地球……」
フィンまでもが、上手く言葉を発することができないでいる。
見ようによっては、ただの青い宝石みたいなもの。しかし、きっと僕たちの身体に刻まれたDNAが疼くのかもしれない。この宝石こそが、自分たちの生まれたルーツなのだと、強烈な叫び声を上げているのかもしれない。
「皆様、きちんと目に焼き付けられましたか?」
この中で最も関心の薄い様子のトニーが、僕たちに呼びかけてくる。
僕たちに返答に値する言葉はない。構わずにトニーは話を進める。
「あと六百秒で、本船からミヤマ博士のラボに到着します。気圧調整の必要はありません」
六百秒……十分か。僕はそれまでの時間を、自らの羨望の眼差しの向く方に任せることにした。
その一方で、フィンについて博士が何か知っているかもしれない、という期待も抱いていた。彼女が生身であれサイボーグであれ、僕たちにはかけがえのない友人なのだ。
素性は明らかにしてもらって、知識として共有しておきたい。
そんなことを考えている間に、細い線が日光を浴びて輝いているのが見えた。
地球からにょきにょきと伸びている。
「軌道エレベーター……」
スペースプレーンの離発着を容易にするために、地球上から宇宙にまで建設された超長距離に及ぶ建造物。
ところどころに光点が見えるのは、近傍を航行中の宇宙船に警戒を促すための警告灯だろうか。それとも、デブリを破砕する短距離レーザー光線の輝きだろうか。
その先端には、広大で分厚い直方体がついている。その上面が、どうやらプラットホームになっているようだ。真っ暗な中にぽっかり浮いている、薄い緑色に染められた四角い空間。
スケールが掴みにくいが、スクリーンの縮尺で見てみると、厚さは二・五キロメートル、幅と奥行きは共に六・〇キロメートルに及ぶようだ。
地上でこれだけの構造物を造るのは、極めて困難だろう。恐らく、軌道エレベーターを先に建設し、それを通して部品を引っ張り上げて構築したものと考えられる。
近づいていくと、ようやくその広さが実感されてきた。僕たちが乗っているスペースプレーンなら、ぎりぎり十機は離着陸できそうな、極めて大きな空間だ。
「人工重力下に着陸します。皆様、またシートに座って身体を固定してください」
だんだん迫ってくる、ラボの屋上部分。ガイドビーコンが輝き、機体操作用コンソールに『着陸可能』のランプが灯る。
《最上層部を展開する。そのまま降下してくれ。船全体をエアロックで防護する》
「了解」
※
スペースプレーンは、展開されたラボの屋上に向かって降下を開始した。
深さがどれほどあるかはよく分からない。しかし、ちょうど船のシルエットをなぞるようにガイドビーコンが伸びてきて、適切に誘導してくれているようだ。
ここにも人工重力が生じているのだろう。僕はだんだん、自分の身体がシートに押し付けられるのを感じた。背伸びをして、何とか一瞬でも長く、地球の輝きを視界に収めようとする。
「アル様、危険です。シートベルトを」
是非もない口調のトニーに諭される形で、僕はようやく腰をシートに落ち着けた。
それでも、僕の目には青い弓状に輝く地球の姿は焼き付いている。
それはそれとして。
僕は背後で、何やら妙な動きがあることに気がついた。レーナがフィンのシートに近づき、何やら囁いている。まるで、僕からその話題を遠ざけようとしているかのようだ。
僕は一旦、脳内から地球の光景を押し出し、二人の会話に耳を凝らした。
そして、最も聞きたくない単語を耳にしてしまった――サイボーグ、と。
「おい、何を言ってるんだ、レーナ!」
フィンがこちらを見た。それに対し、レーナはぴくりと肩を震わせ、ぐっと唇を噛み締める。こちらに背を向けたままだ。
人工重力がちょうど安定したところで、僕は急いでシートベルトを振り払い、レーナの肩を掴んだ。すると思いの外簡単に、彼女は振り向いて、あろうことか僕の胸を突き飛ばした。
僕の予想の範疇を逸した、まさに異常な行為だった。
僕もレーナも、何かを口にしようとしたのだと思う。しかし、それよりも先に言葉を発した人物がいた。他ならぬフィンである。
「アル、あんたがそこまで慌てる、ってことは、あんたも否定できないわけだ。あたしの身体のこと」
「ッ……」
無意識のうちに、僕もレーナ同様、唇を噛んでいた。
何とかフィンから目を離すまいとする。僕やレーナほど、涙もろくはないフィン。この時も彼女は、冷徹な、どこか達観したような目をしていた。
「いいよ、無理に説明しなくても。あたしはサイボーグ……なんだね」
「そっ、それは!」
僕はまだ確認したわけじゃない。そう言おうとして、しかし、フィンの目つきと皮肉に歪んだ口元に、沈黙を余儀なくされた。
「いいんだよ、アル。あんたよりもレーナの方が、医療技術には詳しいんだ。レーナの意見だけでも十分さ」
僕が息を吸い込むと、再び先回りするようにしてフィンは言う。
「あたしが、自分がサイボーグだと知らされてショックを受けてるんじゃないか。それが心配なのかい?」
僕は息を飲み、こくこくと頷いた。
「馬鹿だね、アル。気づかなければ、あんたまで気を遣わなくて済んだのに」
そんな言い草、あってたまるか。しかし、その思いはすぐさま蹴散らされた。もしフィンではなく、自分がサイボーグだったとしたら。それを想像してしまったら、沈黙するしかないではないか。
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