第20話
「ッ! 何事だ、トニー!」
僕は思わず声を荒げた。
「地対空ミサイルです! デブリ対策用のミサイルが、本船に向かって発射されました! 回避、間に合いません!」
「なっ!」
時間が止まったかと思った。
「何とか撃ち落とせないのか!」
「本船に対物兵器は搭載されておりません!」
「電波攪乱は?」
「調整に十分かかります! 着弾までは、あと三分!」
今回僕の視野を染めたのは、赤ではなく黒だった。それこそ、光源のない宇宙のような。
くらり、と頭が揺らぎ、足元がふらつく。
そんな僕の意識を引き戻したのは、聞き慣れた大人の、低い声だった。
《そう来るとおもったぜ。俺がサブコントロールにいて正解だったな》
「フ、フレディさん?」
《トニー、姿勢制御して、予備の燃料タンクを落下させろ。衛星基地と本船の中間で、ミサイルと接触するように》
「それだけでは、微細な調整が効きません」
冷静に戻ったらしいトニーが答える。
《構わねえ。最後は俺が自分で調整する》
「え? フレディさん、今何て?」
一瞬の間があった。フレディさんが逡巡したのかもしれないし、単にため息をつく間がほしかったのかもしれない。
《アル、よく聞け。今からトニーには、予備の燃料タンクと一緒に、俺のいるサブコントロールもパージしてもらう。サブコントロールは予備タンクと直結してるから、俺がミサイルに体当たりをかませば、スペースプレーン本体は助かる。もちろん、十分な燃料を温存したままでな》
「って、フレディさん! あなた、死ぬ気ですか!」
《でなけりゃこんなこと、言い出すわきゃねえだろうが》
僕は無意識に、喉仏が上下するのを感じた。嫌な汗がこめかみから頬を伝い、顎の先から宙に舞っていく。
「あなた……は……」
《ん?》
「あなたの家族はどうなるんですか!」
僕は怒声を張り上げていた。いや、一種の悲鳴だったかもしれない。
だが、構うものか。僕は一気呵成に言葉を繋げた。
「あなたの奥さんとお子さんは地球にいるんでしょう? せっかく帰れるかもしれないのに、どうして死ねるんですか? そんなことをしたら、誰も救われない!」
《お前たちは救われるぞ、アル》
「なっ……」
《いいか。俺はミヤマって男の素性を知らん。だが、こんなところまで、ワームホールを介して通信できる立場の人間なんて、そうそういるもんじゃない。あいつの言ってることは、きっと本当だろう》
つまり、僕たちが地球に降り立って、外宇宙開発委員会に実情を訴えれば、ポールたちのような子供たちを減らすことができる。いや、根絶できる。
誰が好き好んで、コンピュータの一部になんてなるものか。でも……。
「でも、あなたが死んでしまうなんて、フレディさん……!」
《俺は警備員だ。危険は俺も家族も承知している。覚悟している、と言った方がいいな。だから気にするな》
「気にします! あなたは僕たちをずっと守ってくれた! 僕たちはあなたに恩を返さなければ……!」
《なら、生きろ》
その一言に、僕は全身が脱力するような錯覚に陥った。
《生きるんだ、アル。お前たちには、あるべき未来が確かにある。それに、レーナだっているじゃないか。どこの哲学者だか忘れたが、こんなことを言ってたぞ。『恋をすることは、人間にとって最も尊い感情なのだ』ってな》
「レーナ……」
僕の眼前に、レーナと過ごした思い出が次々と現れては消えていった。
走馬灯を見るべきは、僕ではなくフレディさんだろうに。
「フレディ様、時間限界です」
《よしトニー、サブコントロールを予備の燃料タンクと一緒にパージしろ》
「フレディさん!」
《達者で暮らせ、アレックス》
通信の途絶を示すのは、プツッ、という呆気ない音だけだった。
今度こそ、僕は確実に脱力しコンソールからふわり、と離れた。
それから十秒ほどが経過しただろうか、後方から真っ白い光が差し込み、船は軋むような音を立てて振動した。
はっと意識を取り戻した時、僕はトニーが眼前にいて、僕の肩を揺すっていることに気づいた。
「アル様、アル様!」
「ト、トニー……。フレディ、さんは……」
するとトニーは僕から手を離し、やたらと人間臭い動作で項垂れ、頭部を左右に回した。かぶりを振るかのように。
「そんな……。フレディさん……」
「生存は絶望的です。誠に残念です」
僕は憚りなく悲鳴を上げ、トニーの厚い胸板を殴りながら泣きじゃくった。
※
「うっ……ううう……あぁ……」
どのくらいの間、そうしていただろうか。僕はトニーの金属製の胸部を殴りつけながら、堪えることなく落涙していた。いや、無重力だから厳密には『落』涙ではないのだけれど。
しかし、こんなことがあっていいのだろうか。
確かに、フレディさんは重傷を負っていた。この船内での処置だけでは、遅かれ早かれ絶命していたかもしれない。
だがその命と引き換えにして、僕たちは今、生かされている。明確な意志、決意を託されて。そしてそれは、僕たちが元々抱いていたものだ。
「僕たちが、フレディさんを殺したのか」
震える声で、そう言った。トニーは何も言ってはこない。あたかも、機能を停止してしまったかのように。
そうでないと分かるのは、彼が僕の背中に両腕を回してくれてるからだ。力を失った僕の身体が、無重力下で浮き上がってしまわないように。
「アル?」
「……」
「アル、大丈夫?」
そっと、トニーは腕を解いた。すると後ろから、ロボットにはない温もりに抱きすくめられた。花弁を連想させるような、柔らかな匂いがする。
「……レーナ」
ぽつりと呟くと、レーナは僕の訊きたいことを先読みしてこう言った。
「フィンは無事みたい。今は鎮静剤で眠ってる」
「そうか」
正直、僕はフィンの無事よりも、レーナが落ち着いていることの方に安堵感を覚えた。
「ただね、分かっちゃったことがあるの。トニー、あなたにはまた後で伝えるから、今は聞かないでいてもらえる?」
「かしこまりました、レーナ様」
トニーは軽く上体を傾け、メインコントロールの方へと身体を向けた。スライドドアが展開し、すぐに彼の背中は見えなくなる。
それを見計らっていたのか、レーナは今までにない表情で僕を見た。
不安。困惑。恐怖。慄然。その全てがごっちゃになったような表情だった。
「私、フィンの手当てをしたの。被弾箇所は、大小含めて十二か所」
「十二か所?」
僕は素っ頓狂な声を上げた。そんなに撃たれてもまだ生きていられるとは。
フィンの日頃の鍛練の結果なのか。そう思ったが、それだけで生き残れるような生温い戦闘ではなかった。
「レーナ、どういうことなんだ? フィンの身に何が――」
「フィンは、主要な骨格が金属でできているの」
僕は口を『あ』の形に開いて、固まった。
「な……何だって?」
「そうでなければ、とっくに命を落としてる。肋骨が臓器を、頭蓋骨が脳をそれぞれ守っていたんだよ」
「そ、それは……」
何かの間違いだろう。そう言いかけた僕を、レーナは続く言葉で押し留めた。
「主要な筋肉は最新型の強化カーボン製。柔軟性を持たせたやつ。フィンがあんなに強い理由は、ここにあったのね」
説明を聞いている間だけ、僕はフレディさんのことを忘れていた。
だが、改めて考え直すと、フレディさんが亡くなってフィンが生き残る確率など、どれほどのものだろうか?
あれだけ筋骨隆々としたフレディさんでさえ、腹部に一発の銃弾を喰らい、自分の命が長くないことを悟った。それなのに、フィンが生きているというのは、確かにおかしい。
その理由こそ、たった今レーナの口から語られたことだ。
フィンが生きていてくれた。それはもちろん嬉しい。だが、レーナの説明を聞く限りでは、
「まるで、フィンがサイボーグだって言ってるみたいじゃないか……」
あれほど僕たちと意気投合し、ポールのことを慕っていたフィン。何故彼女がサイボーグでなければならないのか。
僕を庇護してくれていた大人が死に、親友は実はサイボーグだったという。
信じられない。信じたくない。そんな、まさか。
気づいた時には、今度はレーナが泣きじゃくっていた。
フレディさんの死と、フィンの正体に関する事実。その両方を同時に受け止められるほど、僕たちは大人ではなかった。
僕とレーナの立場は逆転していた。
フレディさんの死を嘆くレーナと、フィンのサイボーグ疑惑にショックを隠せない僕。
僕たちの存在とは、一体何なのか。
僕が頭を抱えようとしたところ、がんがん、とスライドドアが向こうからノックされた。
「アル様、レーナ様。これより地球周辺宙域直通のワームホールに突入致します。お話が終わり次第、メインコントロール手前の座席にご着席ください。フィン様もシートに腰かけさせ、シートベルトを締めて差し上げてください」
「分かった。すぐ行く」
「ちょっと、アル!」
頭の整理がつかないのか、レーナが僕を呼び止める。しかし、僕は躊躇わなかった。
混乱しすぎていて、早くこの場を去りたかったのだ。
「行くよ、レーナ」
それだけ言って、僕はスライドドアの向こうへ足を踏み出した。
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