第19話

《アル様、レーナ様、ご無事ですか? 今の爆発は何事ですか? フィン様のお怪我の程度は?》


 そう言うトニーの声は、不思議と震えていた。正体を知らずに声だけ聞いたら、人間の声と区別がつかなかっただろう。それほどトニー(に搭載されているAI)が、動揺していたということか。

 何よりトニーは、僕たちからは声を届けられない、ということを失念している。それほど予想外の出来事だったのだろう。


《敵性勢力は大方沈黙した模様です。アル様にお願い致します。レーナ様とフィン様を、非常用エアロックから船内に運び込んでください。わたくしも、フレディ様を伴って一旦そちらに参ります》


 落ち着きを取り戻したらしいトニーに要請され、僕はのっそりとあたりを見回した。

 レーナはワイヤーでエアロック内部の突起に結ばれ、今は船外後方に流されている。それでも、エアーノズルを使って姿勢を制御しようとしていることから、僕は彼女が無事だと判断した。


 問題はフィンだ。先ほどの銃撃戦では、一瞬とはいえ集中砲火を浴びていた。

 僕もレーナ同様、エアーノズルを駆使して、フィンに近づいた。無気力に立ち尽くすフィンの背後から、彼女の肩に手を載せる。


「フィン、だいじょ――ああ」


 しまった。僕もまた、通信不能であることを忘れていた。

 しかし、フィンは僕の言わんとすることを察してくれたらしい。宇宙服のあちこちに、気密保持用の応急テープが貼られている。

 僕は大袈裟に驚いてみせた。こんなに被弾していたのか?

 

 だがそれ以上に驚かされたのは、フィンが肩を竦めて、何でもないかのような所作を取ったことだ。


「し、しっかりしろ、フィン!」


 最早聞こえようが聞こえまいが関係なく、僕はフィンの両肩を掴んで揺さぶった。

 それに対しフィンは、軽く僕の手を払い除け、さっさとエアロックの方へ向かってしまった。まあ、大事がなければそれに越したことはないのだけれど。


 レーナの方に目を戻すと、地面に下り立ち、ぼんやりと管制塔の方を見つめていた。

 フィンの時と同様に、レーナの肩に手を載せる。

 するとレーナは、びくり、と身を震わせ、勢いよく振り向いた。こつん、とヘルメット同士がぶつかり合う。


 僕が驚かされたのは、レーナの表情だった。これでもかと目を見開き、全ての気力も感情も抜け落ちてしまったような、顔つき。まるで、絶望を具現化しているかのようだった。

 宇宙服の上からでも、彼女が全身を震わせていることが分かる。


 言葉が通じなければ、伝わるものも伝わらない。

 僕は彼女の手を握り、エアロックへといざなった。出入口の真下に立って、軽く屈伸するようにして跳躍する。レーナも抵抗せずについて来る様子だ。


 エアロックの端から頭部を覗かせると、既にフィンがそこにいた。すっと手を伸ばし、僕、それにレーナを引っ張り上げてくれる。

 レーナは脱力し切っているにも関わらず、その身体は異様に軽かった。


《あと三十秒でそちらに参ります。フレディ様を同乗させて差し上げてください》


 その言葉に、僕は寝そべるようにして身を乗り出した。今度は僕が、味方を引っ張り上げてやる番だ。

 トニーに持ち上げられたフレディさんは、予想以上に重傷だった。宇宙服越しにとはいえ、腹部に大口径の銃弾を喰らったようだ。

 だが、気圧調整が住む前に、宇宙服を脱がせて治療することはできない。


《燃料供給作業は完了しました。本船は直ちに発進します。レーナ様、気圧調整が終了し次第、フィン様のお身体を診て差し上げてください。少し驚かれるかもしれませんが》


 言葉が聞こえずとも、僕はレーナがぴくり、と身体を震わせるのが分かった。

 僕は逆に、安堵した。レーナだけにフィンの治療を任せるということは、当然男性である僕の目からフィンの裸体を遠ざけるためであって、それだけフィンに生存可能性の余裕が残っている、ということでもある。


 いずれにせよ、気圧調整の時間――今回は三十分で済むらしい――が経過すれば、僕たちは宇宙服から解放され、船内を自由に動き回ることができるようになる。

 安全確認の後、エアロックは封鎖され、細々とではあるが、僕たちは互いに会話ができるようになった。


「フィン、大丈夫か? 痛むところは?」

「あんたの出番じゃないよ、アル」

「で、でも!」

「トニーはあたしの治療をレーナに任せたんだ。こういう時は、パイロットの指示に従うって習ったろ?」

「そ、そうだね、ごめん」


 そんな幼稚な遣り取りをしている間に、もう一人の重傷者は、全く別なことを考えていた。


「トニー、こちらフレディだ。この船のサブコントロールへと通路を開けてくれ」

「何をなさるおつもりですか?」

「燃料を満載したとはいえ、精密作業は必要だ。俺は燃料噴射の補助作業をするつもりだ」

「それほどのお怪我をなさっているのに、ですか?」

「ああ、あんまり気にすんな」


 僕が心配の念を湛えて見遣ると、しかしフレディさんは、既に別なエアロックの向こう側へと滑り込んでいくところだった。


「それでは、発進します。カウントダウンは省略。急激なGにご注意ください」


 皆の返答も待たずに、トニーはスペースプレーンを離陸させた。まっさらな滑走路からの発進であるため、先ほどよりも大きなGが下向きにかかる。


 思いがけない勢いに押され、僕はレーナに肩をぶつけてしまった。


「ああ、ごめん、レーナ」


 しかし、レーナは僕に答えるでもなく、呆然としている。そして、俯いて自分の両の掌を見下ろした。


「レーナ、どうかし――」

「ねえアル、あなた、この旅に出てから、目の前が真っ赤になること、なかった?」


 僕は一瞬、万力で喉元を押さえつけられるような気がした。


「そ、それは――」

「私、さっきそんな状態に陥ったの」

「……」

「人を殺したくなんてなかった。増してや、そこにあったロケットランチャーを使うだなんてね。でも、目の前が真っ赤になって、何が何だか分からないでいるうちに、身体が動いて……」


『どこからが私の意志で、どこまでが身体の勝手な動きなのかは分からないけれど』――と、レーナは付け加えた。


 それを聞いて、僕は唖然としていた。

 まるで――まるで、僕と同じじゃないか。


 僕には、他人を殺傷する度胸は(普段だったら)ないけれど、あの赤い光に視界を奪われた時は違う。

 自分でも言うのも奇妙だが、人が変わったようになるのだ。それは、両親が厳しく軍事訓練を施したために、そうした精神状態に入ってしまうことがあるものだとばかり思っていた。


 だがまさか、レーナが――僕たちの中で最も温厚で臆病なレーナが、僕と同じ状態に陥るだなんて。正直、信じられなかったし、信じたくもなかった。


 それでも、自分をの肩を抱いて震えているレーナを見れば、彼女が嘘をついたとは考えられない。そもそも、そんな女性を僕が好きになれるはずがない。

 フィンは大切な友人だが、恋愛対象と思って見たことは一度もないのだ。


 そう、フィンだ。フィンはどうなのだろう? やはり視界が真っ赤になるものだろうか?


「フィン、訊きたいことが――」


 と言いかけて、僕はエアロックに自分一人しかいないことに気づいた。

 そうだ。既に気圧調整に必要な三十分は経過し、レーナとフィンは医務室へ、フレディさんはサブコントロールへ行ってしまったのだ。


「トニー、もう宇宙服は脱いでも大丈夫かい?」

「はい、問題ございません」


 僕はふっと息をつき、ヘルメットを外した。確かに、ここの空気は清浄だった。

 エアロックには自分一人しかいないので、やや苦労して僕は宇宙服を脱ぎ去った。

 ちなみに、宇宙服の下には、ややゆとりのあるボディスーツを着用している。長袖のシャツとズボンを軽く身につけている感じだ。


「……」


 僕は言葉もなく、後頭部をガシガシと掻きむしった。

 その時、キィン、と耳鳴りがした。医務室の方だ。悲鳴に聞こえた。


 僕ははっとして振り返り、喚いた。『レーナ!』とも『フィン!』ともつかない大声が、僕の喉から絞り出される。

 慌てて医務室に繋がるスライドドアの開放ボタンを押し込んだが、内側から封鎖されていて入れない。


 落ち着け、と自分に言い聞かせた。確かレーナは、選択科目で緊急医療術を履修していた。ここは誰より、レーナに任せるべきなのだ。

 僕は自分の胸に手を当て、何とか呼吸を整えた。きっと、フィンが予想以上の重傷を負っていたために、レーナが驚いたのだろう。


「そうだ、落ち着けアレックス……」


 僕がかぶりを振った、その時だった。非常事態警報が鳴り響いたのは。

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