第23話「脳が、かゆい」
夏祭りで通りは賑わっていた。今日と明日、商店街には屋台が立ち並び、いろんなイベントも行われる。
通り沿いの公園では、浴衣や甚平姿の人々が思い思いに過ごしていた。
その公園の隅に、Tシャツとジーパン姿のすらりとした青年が立っていた。
私は、ベンチに座ったまま、かれこれ三十分以上、その青年を観察している。
通りかかった人々が、青年を一瞥すると、避けるように歩き去っていく。青年からは、どことなく異様な雰囲気が伝わってくるため、当然と言えば当然の反応だった。
私は、空になったかき氷のカップをゴミ箱に捨てると、おもむろに青年に近づいていった。
「ボー、ヴォウー……」
彼は重低音で唸っていた。
「君」
私が声をかけると、彼は、驚いたようにこちらを見た。目深にかぶったキャップのせいで表情は あまりうかがい知れなかったが、細面のスッキリとした顔立ちである。
「さっきから見ていたのだけど、それはホーミーってやつかい?モンゴルの伝統的な歌い方の」
「いえ、違うのです」
不審げに私を見やると、彼は
「脳がかゆいので、喉を震わせていたのです」と 少しためらいがちに、でも はにかんで答えた。
「脳が、かゆい?頭がかゆいってこと?」
キャップをちらと見て私は訊き返した。この暑さだ。蒸れてかゆそうだった。
私の視線を遮るように、彼は、キャップのツバをつまみ更に目深にかぶる。
「違います。頭皮が かゆいのではなくて、本当に脳が かゆいのです。脳の中心──芯の部分が かゆくて仕方がなくて……。ありませんか、そういうこと?」
「いや、ないかな……。でも、そういう人もいるのかもね」
私はためらいがちに返した。
「脳じゃなくても、たとえば腕や足がかゆくて、でも実際に掻いてみると、本当にかゆいのは皮膚じゃなくて、肌の奥が かゆいなんてこと、ありませんか?」
「ああ!それならば経験があるな。かゆみの信号が内部から発せられているのに直接掻けないもどかしい感じ。なるほど、あんな感じか」
「ええ」
「すると、先ほどのホーミーが かゆみに効くのだね?」
「はい。振動が脳に伝わってくるので。ですが、それもあまり効かなくなってきました」
青年の話では、脳がかゆくなり始めたのは10日ほど前。最初はホーミーで十分にかゆみが取れていたらしいのだが、次第にかゆみが増して、それでは治まらなくなってきたらしい。
「もっとこう、脳の奥を直接ボリボリ掻くような、ガツンと気持ちのいいやり方はないものか考えているのですが、思いつかなくて。このままだと かゆみで夜も眠れません」
「う~ん。それはつらいなぁ……。もしかすると何か脳の異常かもしれないし、病院で診てもらったらどうかな?」
「いえ、それは──」
青年は、私の提案を、言葉をかぶせるように拒絶した。
「……そうか」
私は空を仰いだ。寂しいくらいに高く真っ青な夏空である。
「ならば私について来たまえ」
「どこへです?」
「心配はいらない。きっと君も気にいるだろうから」
■ ■ ■ ■ ■
青年を連れて来たのは、近くの寺院であった。親戚の葬儀でもお世話になったことがあり、住職とも顔なじみである。
住職に訳を話し、私は、青年を寺の鐘つき堂に案内した。
「いいかい。鳴らしてみるよ?」
私は、ロープを握ると
「おお……!」
青年は、感動したように声を漏らした。思わず釣鐘に近づいていく。
「まあ、慌てずに。もう一度鳴らすから、好きなように頭を近づけてみるといい。でも 頭を打たないように気を付けるんだよ」
私は軽く梵鐘を鳴らした。青年は、頭を傾けて、一番脳に響く場所を探しているようだった。
「もう一度いくよ?」
「お願いします。もう少し強くていいです」
「わかった」
ごーーん……。
「ああ、いい。これはいいです」
よろよろと鐘に近づいて、青年は、鐘に額をぴたりとつけて振動を脳に響かせているようだった。
「さ、もう一度。もっと強く」
「危ないよ。頭を離して。思った以上に響くと思うから」
「いいんです。さ、早くお願いします」
「わかった」
ごーーーん……!
「…………!!」
あまりの気持ちよさに、青年は、とろんとした表情をしていた。
「もうちょっと、もうほんの少しで脳の中心に届きそうです」
どうやら まだ満足していないようだ。鐘を見上げ、腰を低くして鐘の中に入ってしまった。
「おいおい……、さすがにそれは危険ではないかね?耳をやられてしまうよ」
私は戸惑った。
「いいのです。強く、思いっきり強く叩いてください」
「……わかった」
私は、めいっぱいに鐘木を振るって釣鐘に叩きつけた。
梵鐘の音に混じって「あぁ、すごい……!」と言う青年の
■ ■ ■ ■ ■
「ずいぶんと気持ちよさそうだったね?」
鐘の中から出てきた青年に私は訊いた。
「はい。紙やすりで直接脳の芯をごしごしと
恍惚の余韻に浸りながら青年はそう言った。
「それは、ちょっと痛そうではあるね」
「いえ、ですが気持ちよさの方が
「何はともあれ、スッキリできたのであれば よかったよ」
そう言って、私は大きく息を
「はい。本当にありがとうございました」
パキッ──!!
突然、乾いた音が響いた。硬い殻が裂けたような音だった。そして青年の目深にかぶったキャップがひとりでに持ち上がった。
瞬間、強い風が吹き抜けていく。汗をかいた身体には心地よかった。
キャップが風にあおられて夏空に舞った。青年は、ハッとして表情を強張らせた。
青年の頭頂部から、十五センチ程の新芽が伸びあがり紫色の大きな双葉が開いていた。青年は慌ててそれを手で隠した。
私は笑顔を作ると、彼に右手を伸ばした。
「無事に発芽できたようだね。おめでとう」
彼の顔には恐怖の色が浮かんでいたが、私の態度を見ると安堵したのか握手に応じた。
「ありがとうございます」
屈託のない笑顔でそう返した。
「芽が出たということは、数日中に……?」と 私は訳知り顔で訊いた。
「はい、明日までには」と 青年は静かにうなずいた。
「場所は決めているの?この辺りは住宅街だし、植物が成長するには あんまり適していないと思うけれど」
「あの公園にしようと思っています。大きな池もあるし」
「あんな町なかの公園じゃあ、すぐに見つかって切り倒されてしまうよ。それに明日まで夏祭りで余計に人通りも多いしね」
「ですが、この近くにはあそこしか良い環境がないんです」
「ならば、私がもっと良い場所まで案内しようか?山の中なんだけどね。
「……わかりました。ですが 一度見てもいいですか?」
「もちろん。車を取って来るから表で待っていたまえ。なに、気に入らなければ やめたらよいだけさ」
私は、急いで自宅に戻り すぐに車で取って返した。寺院の前に彼がちゃんと待っていて内心ほっとした。
彼を助手席に乗せ、はやる気持ちを抑え車を走らせる。田畑を抜けて、夏の強い日差しで白く浮かび上がる高速道路の高架をくぐると山が間近に迫ってきた。
山奥の小さな駐車場に私は車と停めた。二人で車を降りる。
目の前には広大な湿原が広がっていた。自然公園になっており、絶滅危惧種や この地の固有種などが多く生息している場所だった。特段に監視されているわけではないが、条例にて、外から故意に動植物を持ち込んだり公園の生き物を持ち帰ったりすることは禁じられていた。
「山奥だから人もほとんど来ない。埋まるには都合がいいんじゃないかな?」
湿原を見やったまま、私は独り言のように言った。
「素晴らしいです。水も多いし きれいそうだ。町の中より落ち着きます」
「ここにするかね?」
「はい……」
うなずくと青年は私と目を合わせた。
「ならば、こうして君と会話ができるのも これきりと言う訳か」
私も彼を見て言った。胸の奥に、じんわりと痛みを感じる。
「だけど最後におしゃべりするのが、こんな しょぼくれたおっさんで よかったのかな?どうせなら同い年くらいの若いお嬢さんが よかったんだろうが」
私は、その痛みをはぐらかすように冗談めかして笑った。
「そんなことはありませんよ」と 青年はゆっくりと首を横に振る。
「埋まる前、最後に出会えたのが貴方でよかったです。ほんの少しでしたが、奇跡のような出会いでした。貴方に出会えなければ、こんな良い場所も探せなかったし、もしかしたら発芽さえできずに枯れていたかもしれない」
私は、トランクに積んでいた大きなシャベルを彼に手渡した。
「埋まる場所は知られたくないだろうから、私はもう行くよ」
「はい」
「シャベルは、埋まる近くに置いてくれればいい。数日後に取りに来よう」
「わかりました」
「それじゃあ、元気で」
「貴方も。本当にありがとう。お元気で」
私たちは、もう一度固く握手を交わして別れた。
ゆっくりと駐車場を出る。バックミラーに、こちらに手を振っている彼が映った。私が軽くクラクションを鳴らすと、彼は、踵を返し公園へと入っていった。その様子を、私は暗い気分で確認した。
■ ■ ■ ■ ■
夏季休暇最終日、私は再び湿原を訪れていた。
車から降りてスマホを取り出す。発信音を聞きながら空を仰ぐ。どんよりとした雲が空一面を覆っている。
「はい。県・
まだ瑞々しさの残る口調が聞こえてくる。今年入庁した新人くんだ。
「山本くんか。私だ」
「あれっ、課長ですか?お疲れ様です!」
「ん?別に疲れてはいないよ」
私は、心の中の雲を晴らすように軽い冗談を返した。山本くんが笑う。
「どうしたんですか?今日までお休みでしたよね?」
「うん、そうなんだが、実は休暇中に外来星物を見つけてね。処理をお願いしたくて電話したんだ」
「そうなんですか。どういった種類の
「君の班が担当している植物人だ。詳しい種族までは分からないがね。委託契約している駆除業者を、すぐに呼んでもらえないだろうか」
「わかりました。でも 私有地の場合は許可がすぐに取れるかどうか……」
「その点は問題ない。対象がいるのは、県の環境保全区域だから。君も知っているだろ?あの湿原だ」
「ああ、あそこですか……。あの、もしかして課長、いま外から掛けてます?」
「ああ。ちょうどその自然公園の駐車場にいる」
「そうなんですか?き、危険ではないですか?」
「だいじょうぶ。対象は、すでに動物的活動期間を終えて植物化しているはずだ。危険はないと思う。だが 業者には念のために武装するよう伝えてくれ。ここの環境に影響が及ぶ前に早く処理したほうがいいだろう」
「わかりました」
「それから、湿原だし環境保護ためにも重機は使えない。手掘りになることも伝えてくれ。薬剤なども使えない。植物人用のチェーンソーは忘れないように」
「ははは、わかりました!せっかくの休暇だったのに ご苦労様ですね」
「仕方ない。仕事だ。私は駐車場で待っている」
「了解です。でも 課長、正確な場所は分かるんですか?」
「ああ、目印があるからね」
「……そうですか。もしかして植物化前に接触、したんですか?」
「ん?まあ、明日話すよ」
「わかりました。では すぐに業者さんに連絡します」
「うん、頼む」
スマホをポケットにしまうと、公園の入り口を眺めた。二日前の青年の姿が思い浮かぶ。あの屈託のない笑顔が。
別の星からきた青年よ。すまない。私がこんな仕事をしていなければ、私たちにはまた別の道があったのかもしれないが……。
私は、君たちのことを知りすぎてしまっている。君たちは、この星の樹木と比較にならぬほどの旺盛な栄養吸収によって地の養分も水分も枯らし尽くす。看過はできないのだ。本当にすまない。
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