第18話「深海アパート」【SF】

「あれ?テツくん?」


 夜、トイレに起きると、ルームメイトのテツくんの姿がなかった。持っていたスマホが鳴る。


「テツくんからだ……。もしもし、テツくん」


 電話口からパニくった声が聞こえてくる。


「ユウタ、助けて!閉じ込められた」

「テツくん、今どこにいるの?」

「部屋だよ、部屋」

「部屋って、アパートの?」

「そう」

「え?俺も、今アパートにいるよ?」

「いや、アパートなんだけど、でも違うんだよ。分かんないけど、起きたらなんか様子が変でさ。窓の外にもヤバイのいるんだよ」

「やばいの?」


 俺は、つられてベランダ窓を見やった。カーテンを開ける。いつもと変わらぬ夜の景色がそこにはあった。外灯の明かりが部屋を照らす。


「玄関も開かないし。て言うか、開けちゃまずそうだしさ。なんか知んないけど、海底にいるみたいなんだよ。俺、変な空間に飛ばされちゃったのかもしれない」

「テツくん、今玄関にいんの?」

「そう」


 そこで俺も玄関へ向かった。照明をつける。

 ここもいつもと変わらない。


「あれ?なんだ、このボタン?」


 壁に見知らぬスイッチがあった。縦長のスイッチで、上が水色、下が黒っぽい青色をしている。上の方が押された状態になっていた。


「……」


 俺は恐る恐る指を伸ばした。パチリとスイッチを押してみた。急に照明が落ちて、あたりが真っ暗になる。


 ビビった。ただの照明のスイッチか。


「え?」


 照明を点けようと壁を触っても、たった今まであったスイッチが見つからない。スマホのライトを点けて壁を照らす。やはり、あの青色のスイッチは消えていた。

 いつもの玄関照明のスイッチを押す。明かりは灯ったが、なんだかいつもより薄暗い。


 様子が変である。


 ドア枠の隙間から、じゅぶじゅぶと水があふれては引いていく。まるで玄関が呼吸しているようだった。ドアにも靴脱ぎにも、なにかがびっしりとこびりついていた。


「これって、フジツボか?」


 海特有の潮のにおいが部屋に充満していた。


「あれ?ちょっと待って」


 テツくんの声がする。ドアが開く音が聞こえた。


「あれ!外に出られた!よかった!俺、戻れた!」


 安堵したようにテツくんが言っている。


 だが、俺はそれどころではなかった。スマホのライトを頼りに、薄暗い廊下を進んでいく。何かが壁を勢いよく駆け抜けていった。一匹や二匹ではない。


「ひぃ!ゴキブリ!」


 俺は悲鳴を上げた。ライトを向けると、波が引くように逃げていく。それは大量のフナムシだった。


 ゴトゴトゴト。


 今度は、キッチンから妙な物音がする。


「次は何だよぉ」


 情けない声を出しながらキッチンを照らす。シンクの上の棚が急に開いて、大量のカニがなだれ落ちた。


「どういうこと?」


 俺はリビングに進んでいった。さっきまで外灯の明かりが伸びていた窓も真っ暗である。カーテンは開け放したままになっている。恐る恐る近づいていく。

 ライトを向けると、白いゴミのような浮遊物が無数に舞っていた。その白い粒を照らしながら、光は底なしの闇に吸い込まれている。

 海の底にいるようだった。アパート全体が暗い海底に沈んでいる感じだ。


 急に窓全体がビリビリと震えた。吸盤のついた赤黒い触手が伸びてきて、一本また一本窓に引っ付く。触手に引っ張られるように何かが近づいてきて、巨大な一つ目がぎょろりとこちらを見た。光で瞳孔が収縮する。


 俺は腰が抜けて尻もちをついた。弾みでスマホ落とす。


「や、やべぇ。やべぇ!」


 息を殺して、ゆっくりとカーテンを閉めた。


「ユウタ、どうした?大丈夫か?」


 スマホからテツくんの声が漏れる。俺はスマホを拾い上げた。


「ユウタ、お前、部屋にいるんだよね?どこいんの?俺、戻れたんだけどさ」

「テツくん、こ、今度はこっちが閉じ込められた。深海のアパートみたいなとこ」

「ええっ……!?どうなってんの」

「あ」


 俺には心当たりがあった。あの妙なスイッチだ。


「テツくん。ちょっと玄関に行ってみて」

「え?わかった。……来たよ。あれ?」

「変なスイッチあるでしょ?青色のやつ。それ、押してみてよ」


 そう言ったけれど、テツくんは黙ったまま返事をしなかった。


「テツくん?」


 もう一度呼びかけると、ちょっとの間を置いてテツくんは言った。


「……スイッチなんてないよ」

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