第15話「歪なゴールデンウィーク」

 今日も僕は、部屋で、ゴロゴロしながらスマホを眺めている。


「暇だ」


 大の字になって、天井を仰いだ。


 こういうご時世で、結局、今年のゴールデンウィークも地元には帰れなかった。地元の友だちと遊ぶ計画もダメになったし、そもそも実家にも、大学入学以来帰っていない。今年で二年目になる。この前、母親からラインが来てた。ばあちゃんが寂しがっているそうだ。

 だけど外に出かけることもできないし、結局、こうやってスマホを弄りながら、だらだら過ごす連休になりそうだ。


 ちゃぷん、ちゃぷん……。


 なんだ?


 上半身を起こして、音のする方――キッチンへ首を巡らせた。

 水の音が聞こえる。正確には、波打ち際のような音がする。


 蛇口を締め忘れてたのかもしれない。キッチンへと向かった。



 その状況に驚いた。


 シンクすれすれまで水が溜まっている。時折溢れて、水が流れ出していた。

 蛇口は閉まっている。排水管から逆流しているのだろうか。


 近づいて、シンクを覗く。シンクの底が抜けていて、眼下に街並みが広がっていた。


 僕は、指先に水をつけ、ぺろりと舐めた。


「そういうことか……」


 部屋に引き返し、ウエットスーツに着替えた。

 流し台の淵に立つ。


「よし」


 ひと思いに飛び込んだ。

 街並みの上空を、僕は泳いでいく。


 しかし、ここは一体どこの町だろう?見覚えがないけど。


 少し泳ぐと、街の向こうに何かが見えてきた。

 そっちへ行こうとして、背後に何かを感じ、僕は、さっと後ろを振り返る。

 街並みの奥から、何かが迫ってきているような、そんな胸騒ぎを、かすかに覚えた。


 やつらかもしれない。


「急ぐか」



 辿り着いたのは、鈍い光を放つ、ざらついたリノリウムの丘だった。

 マヨネーズと山葵わさびを混ぜ、教室の吹き溜まりにいる灰色の埃玉ほこりだまを添えたような、そんな色合いの丘が、どこまでも続く。

 僕が通っていた高校の床とそっくりだった。


 ゆっくりと高度を下げて、丘に降り立った。

 ウエットスーツを脱いで服に着替える。


「どこまで続いてんだろ?」


 僕は、リノリウムの丘を登っていった。ひと丘越え、ふた丘越えた先に待っていたのは、美しい城だった。


 どこかで見たことがあるような城だな。確かドイツにある白鳥城とか言うあの城。なんつったっけ?思い出せないけど、あれにそっくりだ。


 城へ伸びる橋の前に立つ。来た道を振り返った。


 丘の向こうから、気配が迫って来ていた。さっきよりも、はっきりと感じられる。僕との距離は徐々に縮まっていた。


 僕は確信した。


「やっぱり……。か」


 鼻で息をいた。どうやら、城へ進むしかなさそうだ。

 橋を渡り、城門をくぐって、中へ入っていった。



 城の中には、人っ子一人いなかった。

 こういう時の対処法は知っている。こういう場合は、地下なのだ。


 地下へ降りる小さな階段を見つけて進んでいく。暗く湿った石造りの階段の先から、やわらかな光が漏れていた。

 急に目の前が開ける。同じく石造りの大きな四角い部屋だった。

 その部屋の中には、小さな山があった。美しく色づく紅葉や銀杏に囲まれて、小山のてっぺんに、一軒の古民家が立っていた。

 部屋の天井からは、秋の夕暮れの陽ざしが降り注いでいる。


 里山の秋――――


 それを見て、僕は、安堵した。


「よかった。ここは、安全地帯アンチだ」


 ぐわんぐわんも、ここには手が出せないのだ。


 民家へ続く小道を、僕は登っていく。夕日に照らされて、ゆっくりと紅と黄の葉が舞い落ちる。


 戸口をノックする。


 ここは知らない家だ。こんな昔話に出てくるような民家も、この場所も知らない。だけど、ここに誰が住んでいるのかは分かっていた。


「ばあちゃん、久しぶり。僕」


 そう言うと、中から声がして、戸が開く。


「あら!よお帰ってきたね」


 ばあちゃんが、笑顔で迎えてくれた。

 部屋の中からは、甘い香りが漂っている。

 僕のお腹が、ぐぅと鳴った。


「そろそろ帰ってくるころ思うて、ぜんざいを作って待っちょったよ」

「そうだったんだ。うれしいな」


 僕は、囲炉裏の前に腰を下ろした。外は冷える。


「お餅、何個食べる?」


 そう訊かれて、ちょっと考えてから「五つで」と、僕は言った。


「そんなに?よく食べるねぇ」と、ばあちゃんが目を丸くする。

「うん。明日、ひと仕事あるからさ。腹ごしらえをしておきたいんだよね」

「そうかい。さ、出来たよ。ほら、餅が冷めないうちにお食べ」


 ばあちゃんから、お椀と箸を受け取る。甘い湯気が、お椀から立ち上っていた。ひと口すする。


「あぁ、温まる。甘さもちょうどいいや。やっぱ、ばあちゃんのぜんざいが一番だよ!」

「そりゃ、よかった。まだまだあるから遠慮せずに食べりんしゃい」


 それから、僕は、囲炉裏を囲んで、夜までおばあちゃんと話に花を咲かせた。



 朝早く、僕は布団から抜け出した。

 布団を畳んでいると、「もう行くんかい?」と、ばあちゃんが訊いてきた。


「うん。そろそろ行かなきゃ」

「気を付けるんだよ」

「うん。ぜんざいとかありがとうね。行ってきます」


 外に出ると、相変わらずの秋の夕暮れ。

 目の前の小道を下ってくと、昨日自分が来た道へと続く。


 僕は、民家の裏手に回った。

 眼下に、急な石段がどこまでも伸びている。その先は、かすんで見えないくらいに長い。


「さて、行くか!」


 自分に気合を入れて、降りていく。

 額に汗しながら歩き続け、やっと最後の一段に足を着けた。

 目の前は見覚えのある丁字路だった。


 やっぱここに出るよね。最初からわかってたんだ。


 ここは、実家の近くにあるお寺の前だった。小さいころは、近所の子たちとよく遊んでいた場所だ。

 懐かしみながら眺めていると、道の奥から、何かがこちらにゆっくりと迫っていた。目では見えないが、確かにその気配がする。


「もうこんなところまで!?」


 ぐわんぐわんだ。


 一見すると何もないようだけど、透明なドロドロとした水飴みたいなのが迫ってきている。あれに捕まるともう逃げられない。


 丁字路の二方向を、ぐわんぐわんに塞がれた。


「……思ったより時間がないな」


 自宅へと向かう通路は、幸い無事だった。僕は走った。


「ただいま!」


 久しぶりの我が家。感傷に浸る暇もなく、玄関に靴を脱ぎ捨てて駆け上がる。


 分かってはいたが、家には誰もいなかった。


 僕は、二階へ駆け上がる。一階よりも二階の方が安全なのだ。それに、二階には僕の部屋もある。


 部屋に駆け込むと、壁にかけてあるリュックをひっつかみ――


 ハサミ、カッターナイフ、懐中電灯、湿布薬、バンドエイド、ペンチ、自転車の鍵、耳かき、ポケットティッシュ、縄跳び、小学三年生の時好きな子にもらった消しゴム、ミニカー


 ――必要と思われるものを手当たり次第に入れていった。



「よし!」


 準備は整った。一階へ降りようと、階段を見やって戦慄する。

 一階は、もうぐわんぐわんに占領されていた。


「くっ……!」


 考えている暇はない。


 なんて考えている間にも、ぐわんぐわんは、流動し、階段を一段また一段、舐め上がって来る。


 こうなったら、あいつらに頼るしかないな。


 僕は、窓際まで来ると、天井を仰いだ。


「みんな、集合――っ!!」


 大声で叫んだ。


「隠れてないで出て来いよ!子どもの頃から、お前らがいるの知ってたんだぜ?今もいるんだろ?手を貸してくれよ!」


 何もない中空に問いかける。

 すると、どこからともなく、何かがぴょこぴょこ跳ねてきた。

 ハエトリグモだ。

 次々、集まって来る。5匹、10匹、15匹……。

 いったいどこに隠れていたのやら。集まったのは30匹くらい。ここまで大量発生すると、さすがに鳥肌ものだった。


 僕はハエトリグモたちに言った。


「お前ら、代々、この家に住んでるよな?追い出したりしないから助けてくれよ。母さんにも、お前らを潰したり掃除機で吸ったりしないように、今度言っとくからさ、頼むよ」


 僕の提案に、ハエトリグモたちは、お互いの顔を見て、何か話し合っているようだった。

 そして、お尻から糸を出して、それを一本につむぎ合わせていく。あっという間に、ハエトリグモの糸ロープの完成だ。


 ぼくは、その糸の端を壁に引っ付けた。試しに力強く引っ張ってみるが、さすが蜘蛛の糸。そう簡単には剥がれそうにない。


 リュックを背負うと、ロープを片手に、窓を開けて屋根へ出た。


「助かったよ!ありがとう!」


 ハエトリグモたちにお礼を言って、ロープに捕まって下に降りていく。


「よっしゃ!まだ間に合うな!」


 駐車場へ回ると、高校時代まで使っていたマウンテンバイクを引っ張り出した。


「空気がちょっと少なくなってるけど、乗れなくはないな」


 自転車にまたがって急いだ。


 進むうちにペダルが重くなってきた。タイヤの空気が少ないせいだと思ったが、そうじゃなかった。

 地面を見ると、一面にぐわんぐわんが広がっていたのだ。


 自由が利かなくなって、僕は、横倒しになった。

 ぐわんぐわんがまとわりついてくる。ついに捕まってしまった。


「うわっ!や、やめろ!」


 ぐわんぐわんに捕まった僕は、そのまま、どこかへと連れ去られてしまって――


■■■■■


「――てことで、ここに連れてこられた訳ですけど。僕って、どこかオカシイんですか?」


 椅子に座って、僕は、白衣を着た目の前の男性にそう問うた。


「うん。ちょっと入院しましょう」


 僕の話を聞き終えると、白衣の男はそう言って笑った。

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