第2話「何してたっけ?」

「――った。……あれ?俺、何してたっけ?」


 部屋に突っ立ったまま、ふと我に返る。かすかにラベンダーの匂いが漂っていた。俺の好きな香りだった。


 ポーン、ポーン。


 壁掛け時計が時を告げていた。時刻は昼の三時だ。

 視線を落とすと、テーブルに、マグカップとスマホが置いてある。


 確か、コーヒー飲みながらゲームしてて……。そうだ。トイレ行こうとしてたんだ。


 尿意を思い出す。戸を開けて廊下に出て行った。


「ただいまー」


 廊下に出た直後、玄関ドアが開いた。

 友だちのテツくんが帰ってきたのだ。俺とテツくんは、同じ大学に通っている。そして このアパートでシェアハウスをして暮らしていた。


「あ、テツくんお帰り~」

「ユウタ、コンビニでお菓子とアイス買ってきたからさ。一緒にお茶でもしようぜ」


 テツくんは、俺に向かって そう言うとニッコリと笑った。


「お!いいね」


 俺は、テツくんと一緒にリビングに戻った。

 テツくんが買い物袋をまさぐる。何かに気がついて驚きの声を上げた。


「えっ!?これって、銀のブラモンじゃん!」

「銀のブラモン?」


 ブラモンとは、俺たちが暮らす町で作られている地元アイスである。ブラモンのパッケージには、本来 青い空と雪をかぶったアルプス山脈が描かれている。でも テツくんが手にしているパッケージは、全体的に銀色だった。


「珍しいの?」

「知らないの?銀のブラモンの都市伝説」

「都市伝説?」


 取りあえず、二人してテーブルに座る。

 テツくんは、銀のブラモンを俺に渡すと、スマホで何やら調べ始めた。


「都市伝説wikiってのがあるんだけど、それで見たんだよ。ブラモンには、銀色の幻の包装があって、シルバーパッケージって呼ばれてるんだって」

「へぇ。それって、銀のエンゼルみたいな(笑)?」

「ユウタ、開けてみろよ」

「え、俺、食べていいの?」

「うん、いいよ」


 俺は袋を開くと、棒をまんでアイスを出した。チョコでコーティングされ クランチがまぶしてある長方形のアイスだ。


「見た目はフツーだな」

「うん。でも都市伝説によると、シルバーパッケージのブラモンには不思議な力があるらしいよ」


 俺は、ブラモンをかじりながら 話を聞いた。味も、いたって普通のブラモンである。


「なんでも、食べると五分間だけタイムスリップできるとか、できないとか……」

「タイムスリップ?」


 テツくんが、顔を上げてこちらを見る。俺は、すでに半分以上、ブラモンを食していた。


「なんともない?」

「うん、全然。てか、タイムスリップは さすがにフェイクでしょ(笑)」

「まぁ、それもそっか」

「それに、五分間だけタイムスリップできても、何もでき――」


 話している途中だった。不意に俺の意識はブラックアウトした。


▲ ▲ ▲ ▼ ▼ ▼


「――ない、じゃん。……えっ?」


 気が付くとテツくんの姿が忽然こつぜんと消えた。

 様子が変である。今まで持っていたはずのブラモンもない。テーブルにあるのは、マグカップと自分のスマホだけだった。


「まさか!」


 スマホで時間を確かめる。

 日付は今日で間違いない。でも時間は、二時五十五分。三十分近く前だった。


「マジで、タイムスリップしてる」


 スマホを置いて立ち上がる。


「あれ?でも、過去の自分がいない。三十分前って何してたっけ?」


 俺は、きょろきょろと部屋を見渡した。


 ピロロロロロ♪


 急にテーブルのスマホに着信が入る。


「うおっ!?ビビったぁ」


 驚いて小さく飛びあがった。


「……」


 近づいて、スマホを手に取る。


「おい」


 ふいに背中から声をかけられた。

 スマホを手にしたまま振り返る。


 すると奥の部屋から人影が姿を現し、俺は思わず息をんだ。


 顔にはボロボロのゴーグルをつけ、赤銅色しゃくどういろのマントを羽織っている。マントで口元も隠れ 顔はよく見えないが、声とシルエットから察するに男だろう。マントの下は全身黒ずくめである。

 そんな人物が、スナイパーライフルのようなごつい銃を構えて、こちらに狙いを定めていた。


 俺は、スマホを持ったまま、思わず両手を上げた。緊張で全身が硬直こうちょくする。


「だ、誰ですか?」

「そんなことはどうでもいい!早く そのスマホを置け!」


 男は、短くそう言った。ゆっくりと こちらへ近づいてくる。


「早く置くんだ」


 スマホは、さきほどから ずっと鳴りっぱなしである。

 俺は、ちらりと頭上のスマホに視線を向けた。

 男がその素振そぶりを見て銃を構えなおす。


「妙な気は起こすなよ」


 俺は、黙って指示に従った。テーブルにスマホを置く。


「それでいい。ゆっくりとこっちへ来い。スマホから離れるんだ」


 俺が男に近づいていくと、男も、一定の距離を保つように後ろに下がった。


 鳴り続けていた着信音は、ある瞬間にピタリと止んだ。


 それを確認すると、男は、銃を構えるのを止めた。俺とその男は、同時に ため息を漏らした。


「間に合ってよかったよ」


 男はうなずいた。その声に、先ほどまでの刺々とげとげしさはなくなっていた。


「一体何なんですか?」

「信じられないかもしれないが、お前があの電話を取ることが、世界戦争の引き金になったんだ」

「世界戦争って……。あなたは一体何者なんですか?」

「いずれ分かるさ」


 男は、わずかに ほほ笑んだように見えた。


「さ、そろそろ時間だ。おっと!大事なことを忘れるところだった」


 男は、そう言うと、胸ポケットから何かを取り出した。細長く折りたたまれたシートのようなものだ。


「未来のお前へのプレゼントだ」

「未来の?」


 男は、指先に摘まんだそれを、半ば強引に俺の服のポケットに押し込んだ。その瞬間に、鼻先にラベンダーの香りを感じた。香水でもしているのだろうか。


「戻ったら、ちゃんと読んでくれよ?」


 そう言いながら、奥の部屋に引き返していく。


「ちょっと待って」


 追いかける俺を、男は手で静止した。


「それ以上 近寄るな。時空転移に巻き込まれたら身体が切断されるぞ」


 男は、そう言うと、部屋の中央にまっすぐ立った。

 すると何もない空間が、切り分けられたようにゆがむ。


「またな」


 その言葉を残して、男は一瞬にして消えた。


 ポーン、ポーン……。


 壁掛け時計が時を告げる。

 ちょうど三時だった。


「あ、五分た――」


 言葉の途中で、俺の意識はブラックアウトした。


▲ ▲ ▲ ▼ ▼ ▼ 


「…タ!…しろ!」


 耳の奥に かすかに声が届く。


「ユウタ!しっかりしろって!」


 テツくんの声だ。


「!?」


 意識を取り戻した俺は、目を見開いて上半身を起こした。

 テツくんが顔面蒼白そうはくで こちらを見ている。俺は、リビングの床で横になっていた。


「よかった。急に意識がなくなったから、俺、どうしようと思って……。ホラ!お茶飲めよ」


 テツくんが、麦茶が入ったコップを渡す。


「ありがとう……」


 コップを受け取って麦茶を飲んだ。まだ頭がボーッとしている。半分 夢の中にいるような感覚だ。

 上の空の俺を、テツくんは心配そうに見ている。


「本当に大丈夫なのか?」

「うん……。テツくん。ガチだったわ」

「なにが?」

「都市伝説だよ。俺、タイムスリップしてた。ほんの三十分くらい前に、だけどね」

「えっ!?いや、でもそんなはずはないよ。だって、俺ずっとユウタのそばにいたんだから。急に意識失ったからここに寝かせて……。お前、ずっとここにいたよ?」

「いや、確かにタイムスリップしてたんだよ……」


 俺は、さっきまでのことをテツくんに話して聞かせた。


「それってさ」


 考え込むようにテツくんはつぶやいた。


「そういう夢を見ただけじゃないの?」

「本当だって。あ、そうだ。証拠に、コレ!」


 俺は、服のポケットに手を突っ込んだ。


 あった。あの男から渡されたシートだ。


 シートを開いてみる。それを見て、俺もテツくんも驚いた。


「ブラモンの包装だ」

「しかもこれって……」

 

 パッケージは、キラキラと金色に輝いていた。


「金のパッケージだ。都市伝説のサイトでも見たことないよ」

「あれっ?ちょっと待って。裏になんか書いてある」


 裏返す。すると太字のマジックで文字が書いてあった。


【十年後の今日。お前は仕事帰りに「たそがれ通り」という商店街に迷い込む。その商店街を突っ切って右に行くとコンビニがある。そこで お前はアイスを買う。

 ボックスのカバーを開けるとシルバーパッケージのブラモンが目に入る。お前にとっては十年ぶりのシルバーパッケージだ。

 だが、それはトラップだ!シルバーパッケージのブラモンは絶対に手に取るな。絶対にだ!ボックスの裏、天井に、ブラモンが一つくっついている。それを選べ。いいな?ボックスの天井に隠されたブラモンを買うんだ。

 それじゃあ、幸運を祈る。】


「十年後……。なあ、ユウタ?お前が会ったのってさ」

「ッ!」


 テツくんをよそに、俺は無言で立ち上がった。お茶を飲み落ち着きを取り戻した俺は、ずっと忘れていた大事なことを思い出していた。


「ちょ、ゴメン。おしっこ行きたい」

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