第11話 勧誘



 これほど大きな屋敷を地図もなく、全体像もわからず進み続ければ何が起こるのか。

 小三の算数ドリルよりも答えは簡単だ。


「……うぇ、ここどこだよ…」


 迷子である。

 そう、千景は迷ったのだった。


 先ほどからいくつもの角を曲がり、いくつもの部屋を通り抜け、千景本人は完全に現在地を見失っていた。


 だがウチの子たちを舐めてもらっては困る

 一言「帰ろう」と言えば、玄関までの道筋を示してくれることだろう。



 この屋敷は想像以上に部屋数が多かった。

 最初に通された大広間のような部屋が他にも二つほどあり、あとは六畳一間程度の小部屋が延々と続く。


 台所や風呂場、トイレなどの生活に必要な空間もあったが、生活感は見られない。

 代わりに呪具や祭壇、その他様々な小道具が各部屋に置かれていた。


 つまるところこの屋敷は、所謂別荘のような役割を果たしているのだろう。

 人が住むためにというよりは、呪術を行うための場所として存在しているようだった。


 屋敷には他にも、そこら中に霊符やら盛り塩やらが設置されていた。

 その効力から考えるに、低級はもちろん、もしかしたら中級程度の悪霊でも侵入は不可能かもしれない。


 また、屋敷内各所はしっかり清められていた。

 たとえ屋敷内への侵入を許したとしても、悪霊が自由に動き回れる空間はないに等しい。


「………恐るべし術師会の屋敷……」


金縷梅堂まんさくどうもこないな感じちゃいますか?」


「うちはもっとウェルカムな感じでしょーが」


「店の入り口だけは、な。他はこことあんま変わらへんよ」


 今日は術師会の人間は霊物の置かれた各部屋近辺にいるためか、奥まで来てしまえば全くと言っていいほど人はいない。


 たまたま通りかかった部屋の襖を開け、陽光が降り注ぐ縁側に腰掛ける。

 そこから見える庭は綺麗な紋を描く枯山水になっていた。

 先ほど大広間から見えた庭とはまた違った風情がある。



 現在時刻は午後一時。

 ちょうどこの屋敷に着いたのが正午あたりだったから、来てから一時間ほどは経過したようだ。


 きゅるりと腹の虫が鳴く。

 そういえば朝食を食べたっきり、何も口にしていなかったことを思い出した。

 

「腹も減ってきたことやし、そろそろ行きまひょか?」


「うん」


 くすくす笑う銀の提案に頷き、来た道を戻ろうとしたとき。



 カサッ──。



 庭の端で枝葉が擦れた。

 風に揺れたわけではない。明らかにソコに”なにか”がいるという人為的な証明。


(あー…何かいるな。めんどくせ…)


 虫でも鳥でも小動物でもない、恐らくこれはこちらの領分の存在。

 どうしたものかとしばし頭を悩ませていると、今度は銀が眼を眇めた。


「千景はん、あの廊下の奥。誰か来はりますわ」


 平和な時はとことん平和だが、厄介ごとはとことん重なる。

 何も同じタイミングで現れなくてもいいものを、と小さく心中でごちた。


「……誰? そっちは人間?」


「二人。どっちも人間やね。ああ、でもこれ……うち一人はあのおじいちゃんやなぁ」


「なんでこのタイミングで来るかなぁ。ほんっとめんどくせ」


「どないしましょ」


 木の陰にいる存在はこの際無視だ。

 ここには術師が山ほどいる。わざわざ手を出さなくとも誰かがなんとかしてくれるだろう。


 というわけで、とりあえず目先の問題は、銀曰く七々扇の関係者である老人をどうするかだ。


 顔を合わせるか、気付かれる前に立ち去るか。


「……ほんと、めんどくさいなぁ…」


 二択を迫られたのち、千景は再び座りなおしたのだった。



 間もなくして、人間の耳でも聞き取れる距離まで音が近づいてきた。

 足音と、それからトン、トン、とおそらく杖をついている音。


 それに合わせて、銀が少しだけこちらに身を寄せた。



「───おい、そこの。此処で何をしておる」



 嗄れた低い声がずしりと重く響いた。


 意味もなく庭を眺めていた千景は、たった今気づきましたと言わんばかりに目を瞬かせ、にこりと笑ってみせた。


「この屋敷は自由に使っていいと聞いたので……まずかったですか?」


「いや、構わん」

 

 老人は何やら思案するかのように眉間に皺を寄せ、渋い顔のまま黙り込んでしまった。


 そんな老人の背後には男が控えていた。

 術師会の中でもトップに近い人物の側にいるということは、彼もそれ相応の家柄なのか。あるいはかなりの実力者か。


 どちらにせよ貼り付けたような微笑が胡散臭いので関わりたくはない。


「……お主ら、術師会には入っておらんと言っておったな」


「ええ、まあ」


「個人でやっとるのか」


「そういうことになりますね」


 一言一言圧を含ませるように、老人はゆっくりと言葉を落とす。


 それだけで、この老人が力で押さえつけるタイプの人間だということが垣間見えた。早くも嫌いの方に天秤が傾きそうになる。


「ならば──」


 あえてそこで切られた言葉に、内心盛大に顔を顰めた。 

 嫌な予感というものはかなりの確率で的中することを知っているから。



「お主ら、術師会に入れ」



 この瞬間、老人に対する好き嫌いの天秤は完全に嫌いの方に傾いた。


 否を言わせぬ高圧的な声音と、上から見下ろす冷たい眼。

 命令然としたその口調以上に、その声と視線が、こちらを屈服させようとする意思を含んでいた。


(…おー怖っ。そんな顔でこんなこと言われたら普通断れないだろ)


 しかし大人しく人の下につく気質でもない千景にとって、老人の命令を受け入れるメリットはひとつもない。

 他の術師と関わりたくないという意志が揺らいだわけでもない。


 何より、一瞬にして纏う空気を凍りつかせた銀と、おそらく無意識のうちに巻きつく体に力を込めた朱殷が殺気立っている。

 どちらも他人がいるこの状況を忘れて感情を出すほど愚かではないし、変化と呼べるほど顕著なものでもない。


 ただ、四六時中共に過ごしているからこそわかる。

 この二匹が、心の底からの嫌悪と拒絶を示していることを。



 ふふ、と千景は変わらぬ笑みを唇に敷いて。

 初めから決まっていた答えを躊躇なく口にする。


「お断りします。術師会に入る気なんてさらさらありませんから」


 まさかこんな小娘にキッパリ断られるとは思っていなかったのか。

 僅かに目を瞠った老人はすぐさま冷たい表情に戻った。


 微かに目元に刻まれた皺が、身の内に燻る苛立ちを抑え込んでいるようにも見えた。


「……そうか。佐伯さえき


「……あっ、はい」


 そう呼ばれたのは老人の背後に控える胡散臭い笑みの男。

 先ほどから、否を唱えた千景を信じられないものでも見るかのように凝視していたが、老人の呼びかけで我に返り、名刺大の紙を一枚差し出した。


「もし気が変わったのなら連絡してくるがよい。いつでも歓迎しよう」


「ドーモ」


 個人のというよりは術師会の名刺らしいその紙には、複数の連絡先が書かれていた。

 この先もこの番号に電話をかける予定はまったくないが貰えるものはもらっておく精神の下、ひとまずポケットに忍ばせておいた。



 もはやその顔が平常なのではと思わせるほど終始眉間に皺を寄せていた老人は、最後に不気味な笑みを浮かべ、男を連れて屋敷の奥へ去っていった。


「……もう会いたくないっつの、クソジジイ……」


「ほな早う帰りましょ」


 銀は何事もなかったかのようにニコニコ笑っていた。

 ただ、千景の手を引く力がそこそこ強かったことから、心中そこまで穏やかでもないらしい。


 朱殷の方は完全に通常運転に戻っていたが、その内心まで追求するのはやめておいた。なんてったって恐ろしすぎるから。



 実は千景以上に他者からの支配を嫌い、高いプライドを持つ二匹。

 彼らの思考はいつもいたって冷静なもので、感情を乱すことも引き摺ることも滅多にない。

 今日のこれも、乱れたというよりはほんの少しだけ、感情の放出弁が緩んだだけのこと。

 

 そんな優秀な二匹だが、たまに、ほんとたまに、凡ミスをする。


「あ」


「ん?」


「ほんま堪忍なあ」


「ん??」


「まったく気づかへんかったわ。なあ?」


「んん???」

 

 ちょうど曲がり角に差し掛かった時。

 一方的な謝罪とともにいきなり銀が立ち止まり、つられて千景も足を止めようとした。

 

 しかしすでに次の一歩を踏み出していたため、体半歩分前に出た。



 ───ドンッ。



 誰かにぶつかった。

 そう気づいたのは、視界の端で同じように蹌踉よろめく黒髪を見た時だった。


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