第10話 七々扇の天才
(……七々扇、か……)
術師であれば誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、呪術を扱う有名な一族の名だ。
古来より長きに渡り、日本を動かす企業家や政治家、その他各業界の重鎮などを顧客に抱え、その呪術の腕は折り紙つき。
確かな信頼と実績を積み重ね、各地にその名を轟かせる一族だ。
術師を統括する術師会の中でも大きな力を持っており、実質術師会を機能させている家の一つとも言える。
今まで術師会に、ひいては術師というものに深く関わってこなかった千景でさえ、その名は聞いたことがあった。
それくらい有名な一族。この程度の知識ならば持っていて当然である。
だが、彼らの会話の中で気になるのはその先だ。
ただでさえ普通の術師からすれば、七々扇家というだけで一流術師に見えるほどハイレベルな家柄なのだ。
その上さらに”天才”と称される人間がいたことはさすがに知らなかった。
(七々扇の天才ねえ……)
斜め前に座る女性に「超カッコいい」と興奮混じりに絶賛される天才とやらの御尊顔を拝もうと、彼女たちの視線が向く方を追う。
顔を知らずとも、誰がその人物かはすぐに分かった。
(品格、いや、オーラか)
上座の壁際。
静かに目を伏せる男がひとり。
黒い着物に漆黒の髪、情緒の欠片も見当たらない無機質な表情。
直感的に夜が似合うと感じるその男は、なるほど確かに上玉だ。
お近づきになりたい人は男女問わず腐るほどいそうな相貌だ。しかし纏う空気はピリッと冷たく、人を一切寄せ付けない。
遠目からでもわかる圧倒的な存在感は、彼が『七々扇の天才』であることを如実に物語っていた。
想像していたよりも相当若い。
あれはおそらく千景とさして歳は離れていないだろう。
「たしかに綺麗な顔してんなぁ。芸能界に鞍替えしたほうが稼げんじゃないの?」
「相変わらず夢のあらへんこと言うなぁ。たまには女の子らしゅうキャーキャー騒いでみぃ」
「銀ってば私にそういうこと求めちゃう? ムリムリ、キャラじゃない」
「自分で言わんといてえ。否定はしぃひんけど」
そのまま生産性のない会話にもつれ込みそうになったところで、これまで全く微動だにしなかった朱殷がわずかに身じろいだ。
会話に混ざりたい、なんて天地がひっくり返りそうな意思表示ではなく。
これは『誰か来た』の合図だ。その証拠に、銀の口角もやや上がる。
上座の襖が音もなく開く。着物姿の人が数人入って来た。
その中には先ほど門のところにいた老人の姿もある。
「本日はお集まり頂き有難う御座います。この場を取り仕切らせて頂きます、術師会の
淡々とそう名乗った男に見覚えはない。
ここに来る前に、術師会について少しくらい予習でもしておいたほうが良かったのだろうか。
「四宮も有力な術師一族やね。情勢やらが変わってへんかったら、七々扇派閥の人間やろなぁ」
そんな予習は必要なかったようだ。
千景には耳元でこっそりと情報を与えてくれる白い狐いるのだから。
「ちなみに、あのおじいちゃんは七々扇の人間やね」
「やっぱり? そんなこったろうと思ったよ」
副音声による情報補完を行いながら、四宮の話に耳を傾ける。
「本日皆さんに集まって頂いたのは、こちらで所有している
四宮は呪符で巻かれた手のひら大の物を、全員に見えるように少し高い位置に掲げた。
「これはつい先日発見した霊物です。何が封じられているのかは定かではありませんが、呪具のような類だと我々は考えています。これには強力な封印がかけられており、簡単に解くことは困難です。皆さんもご存知の通りだとは思いますが、呪術による封印というものは解く方法が様々あります。何がきっかけでどんな力が解封に作用するかは分かりません。どんな力を使って頂いても構いませんので、皆様にはこれの解封をお願いしたく存じます」
どうやら今回術師が集めた理由は、あの封印された霊物を解くためだったようだ。
四宮が言っていた通り、呪術による封印はこれといって決まった解き方があるわけではない。
例えば同じ封印であったとしても、一定の手順を踏んで呪符を剥がす解き方もあれば、封印と相応する呪力を流すだけで簡単に解ける場合もある。
つまり、ひとつの封印に対して何通りもの解封方法があるということだ。
しかし何事にも例外というものは存在する。
前述したものはほとんどの封印に当て嵌まりはするものの、全てではない。
中には、術をかけた本人が定められた手順を踏むことでしか解封できない封印も存在する。
もしも今回の封印がそれに相当するものであるならば、解封は限りなく不可能に近いと言える。
だがこれは概念として存在しているだけであって、事例としては滅多にない。
世の中に存在する呪術による封印のほとんどは、強弱の差はあれど、人員と時間さえかければ大抵解けるようになっているのだ。
今回の場合は数打ちゃ当たる方式で、より多くの術師に解封を試みさせる。
何かのきっかけで解けるかもしれないその偶然を狙っているというわけだ。
「皆さんに解いて頂きたい霊物は全部で四つです。これはそのうちの一つに過ぎません。各部屋に一つずつ用意しておりますので、是非挑戦して頂きたく思います。また、もし解いて下さった場合には、中のものを差し上げることはできませんが、それに見合った報酬はお出しします。期限は明日の日没まで。その間、この屋敷はご自由にお使い下さい。術師会の人間も常駐しておりますので、何かお困りの際はご相談を。もちろん屋敷の外に出て頂いても構いません。では皆様、宜しくお願い致します」
そう話を締め括ったのがスタートの合図だった。
集まっていた術師たちは一斉に動き始めた。
その様子を、千景はしばらく眺めていた。
「さて、どないしまひょか?」
「もちろんやるでしょ。屋敷の探索」
「そう言う思てましたわぁ」
「でもまあせっかく来たんだし、霊物の封印ってのも一通り見てみるか」
「そうやねえ」
ものの数十秒もすればだいぶ大広間の人数も減っていた。
さてと、と立ち上がろうとして、何気なく前を見たとき。
パチ、と。
それはもうばっちりと、深海を彷彿とさせる青玉のような瞳と目が合った。
表情同様に何の感情も乗せない冷たい青は、たしかにこちらに向いている。
(……なんだろ、今日はよく人と目が合う…)
一秒、二秒、三秒。
実際はもっと短い時間だったかもしれないが、千景にはそれくらい長い時間に感じた。
そしてどちらからともなく視線を外した。
この数秒の行動に、自分のことながらはっきりとした理由は見出せない。
ただひとつ言えることは、七々扇の天才は綺麗な深い青の瞳をしていたということだけだった。
霊物の一つ目は、大広間の隣の部屋に用意されていた。
そこから一つずつ部屋を空けてそれぞれが置かれていた。
大きさは様々だ。
最初に四宮が見せてくれたものと同じような大きさのものがもう一つと、それ以上のものが二つ。
集まった術師たちはそれぞれ触ってみたり、呪文を唱えてみたり、何かの儀式に用いてみたりと、思い思いに解封を試みている。
各部屋には術師会関係者と思しき人間が最低二人はついていた。
参加者が解封する様子を眺め、テキパキと交代を促している。
さすがは術師会が提示したものなだけあって、まだ始まったばかりではあるが、どの術師も進捗具合は難航しているようだった。
「……まったくもっていけ好かないねえ」
「同感やわ」
封印の中身は多少気になるが、彼らの輪の中に混ざる気にはなれなかった。
一通り霊物を確認してはみた。
なんとも予想通りな展開すぎて更なるやる気を削がれた千景は、やはり今回の招集とは全く無関係な屋敷内の散策を進めることにした。
先ほど、四宮から屋敷は自由に使っていい、つまり自由に歩き回って構わないという許可は下りている。
曲解だって? さて、なんのことやら。言葉通り自由にさせてもらうとしよう。
「厄介な奴に遭遇するのも嫌だしね。気配感知は頼んだよ」
「任せときい」
安心安全品質保証付きの狐(今は人の姿だが)と蛇を連れ、とりあえず人気のない廊下を奥へ奥へと突き進んだ。
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