第9話 術師の集まり
空は晴天。
風は微風。
気温はやや暖かい。
どこからどう見てもお天気お姉さんが笑顔で『今日はお散歩日和です!』なんて宣言しそうな天気の下、千景は綺麗に整備された山道を歩いていた。
観光も兼ねて二泊三日を予定している京都への旅は、こうして快晴の一日目を迎えたのだった。
ほとんどワンパターン化した私服はいつも通り露出のない黒で固め、そろそろプリンの兆候を見せそうなミルクティー色の髪はひとつに纏めて結んでいる。
そしていつもと違う光景といえば。
「千景はん千景はん、そっちじゃあらしまへんよ。地図にはこっちって書いとるやろ」
「そんなこと言われましても。目印の少ない地図って苦手なんだよね」
「ほな、わてが地図見ますさかいついてきぃや」
「はあい」
差し出された手に地図アプリを開いたスマホを乗せ、迷いなく歩みを進める男を追う。
そう、今日は銀が狐ではなく人間の姿なのだ。
現在向かっているのは術師会より提示された場所である。
初めて術師の集まりというものに行く千景は、とりあえず面倒なことには巻き込まれたくないという思いが強い。
しかし常に蛇と狐を連れていれば、目立つのは必然だ。
もし何か聞かれた場合に、この二匹について説明するのは非常に難しい。
というか簡単だろうと難しかろうと、二匹について説明する気はさらさらなかった。”ちょっと面倒”が”かなり面倒”になることが目に見える。
何より、術師の中でもこういった存在をそばに置いているケースはごく稀だ。
術師会連中に「お前何者だ」的なベタな問い掛けをされるのが一番嫌だし面倒極まりないのだ。
だから比較的社交的な銀を人間の姿にして同伴させることにした。
朱殷はというと、どんな姿であってもほとんど口を開かないため、蛇のまま服の下に潜り込ませた。
気配感知に優れているのは銀の方だが、気配操作が巧妙なのは朱殷の方だ。よほど感知に長けた人間でない限り気づかれる心配はない。
実は方向音痴疑惑の上がった千景を、こっちこっちと手招きして先導する白い着物の美丈夫。
真っ白い髪に琥珀色に輝く瞳の色合いは狐姿と同じだ。
首輪のように首元につけていた赤い数珠は、今は首飾りのようになっている。
ニコニコと目を細めながら笑う表情と口調から、いつものことながらこの姿にはどうしても胡散臭さが否めない。
以前、お前詐欺師に向いてそうと言った際に「そら嬉しいわぁ。おおきに」と満面の笑みを返されたことがあった。千景の猜疑は確信に変わった。
人目に触れる場所で銀がこの姿を晒すのは稀である。
だが家の中では普段からわりと人姿で家事を手伝ってくれていた。
故に、千景にとってはこの胡散臭いこの男に物珍しさなどまるでない。
「お、千景はん。着いたみたいやわぁ」
銀が示した先。
ぐるりと周囲を塀で囲んだ大きな屋敷が見えた。
門には術師会関係者と思われる着物の人が数人と、その周辺には集められたであろう術師が短い列を成していた。
どうやら屋敷に入る前に何かしらの問答があるようだ。
人生初『術師会』というものに関わる千景は、興味深げに周囲を見渡しながらも、集まった一人の術師としてその列に混ざった。
ぼーっとしながら立派な門を眺めていると、あっという間に順番は回ってきた。ちらりと見た後方にはまたパラパラと列が形成されている。
「こんにちは。本日はお越し頂き有難うございます」
「どーも」
「あなたは術師でお間違いありませんか?」
「まあ、はい」
「ではこちらがあなたの番号札になります。僭越ながら、本日は無所属の方を番号で区別させて頂いております」
「ほう」
機械のように淡々と捌いていく男から渡された札には『12』の数字が書かれていた。
すぐ後ろで同じような問答をしていた銀の手元には『13』の札がある。
この番号は来た順番を表しているらしい。
名前を聞けば済む話ではあるのだが、それをしないのは術師としての最低限のマナーだ。
呪術の中でも、対象人物の名前を使って術を行うものは数多い。
つまり名を知られるということは、それだけ呪いを掛けられやすくなる。さらにはその術の精度も上がるということ。
そのため、番号で個人を区別するこの方法は、それらを回避するには手っ取り早い手法なのだ。
もし呪術のプロ集団である術師会が、初っ端から名を訊こうとする無作法な連中であったなら、その信用はとっくに地に落ちていることだろう。
業界を支配する術師会でも、それくらいの自制と礼儀は持ち合わせていたようだ。
銀と連れ立って正門をくぐる。
その時、不意にその門の傍、杖をついて佇む老人と目が合った。
というより、老人がずっとこちらを見ていたようで、たまたま千景が目を向けたがために視線がぶつかったと表現した方が正しい。
どこか貫禄を感じる老人の眼光は鋭く千景を捉えている。
何か探られている。
それを感じ取った千景は、それはもう花が咲くようにニコリと笑いかけた。
しかし一切立ち止まることなく、すぐさま視線を外してその横を通り過ぎる。
間違いなく初対面であろう老人のことを千景は知らない。
けれども向こうはあれほど見ていたのだ。
何かしらの用事、もしくは聞きたいことがあったのかもしれない。
だからと言って、こちらがその不躾な視線に応じてやる必要もない。
未だに背中に刺さる視線を感じながら、千景はひっそりと笑みを零した。
「なぁ、あのおじいちゃんと知り合いなん?」
「うーん、知らない人だと思うけど」
「ククッ、ほな何者か教えよか?」
「え、お前知ってんの」
まさかの提案に思わず食いついてしまったが、銀から返ってきた答えにさすがの千景も少し驚いた。
「あのおじいちゃん、術師会の最高権力者の一人やね」
「…おう、まじか……」
銀は口元を袖で隠しながら、くつくつと笑うように言葉を紡ぐ。
その目は愉しそうに細められ、人の姿だからこその表情が窺えた。
「それを知ってるってことは、お前の知り合い?」
「そらちゃいます。昔、少し会うたことあんねん。もちろんこの姿で会うてへんし、会話もしてへんよぉ」
「そう」
銀の言う”昔”がいつのことかは深く詮索しない。
とりあえずただの老人ではないと思っていた老人が、本当にただの老人ではないことはわかった。
だがそこから先を探るほど、あの老人に興味も関心もない。
だからこれ以上この話題が続くことはなかった。
門を抜けて、案内されるまま屋敷の中に入れば、ふわりと木材の匂いに包まれた。
立派な純和風の木造建築。
床を歩くたび、微かに軋む木の音が静かな廊下に響き、日本家屋特有の風情を醸し出す。
「へえ。結構いろんな人がいるんだね」
通された大広間にいた人たちは思い思いに過ごしている。
その様子をぐるりと見渡しながら、千景も後方の壁に背を預けて座る。もちろん隣には銀も一緒に。
老若男女問わず、集まった人は本当に様々だった。
もしも彼らを分類するとするならば、大きく分けて二つ。
一つは、あからさまに術師ですといった風貌の人。
着物を着た人が多く、数珠や呪具らしきものを身につけている。
肌の傷や痣、体の欠損など、呪いを受けたであろう呪痕が残る人もいた。
例えば神職や住職であったり、術師一族の人間であったり。
よくよく考えれば、今の銀の姿は完全にこの括りに含まれるだろう。
そしてもう一つは、ただの一般人にしか見えない人。
そのまま駅前やデパートにいても何の違和感もなく溶け込める。自ら術師ですと打ち明けてもらわなければ、その辺を歩いている人と何ら遜色はない。
これは千景のようなパターンだ。
比率としては、前者の方が多い。
後者にはそこはかとなく「お前本当に術師かよ」とでも言いたげな、周囲からは猜疑の視線が向けられていた。それは千景も例外なく。
「なぁおい、あいつだろ。
そんななか、見知らぬ誰かの会話が耳に入ってきた。
「…え、あいつが? てか何でこんなただの集まりに来てんだよ。滅多に人前に出ねえって有名な奴じゃなかったか?」
「知らねえけどたぶん主催者側なんだろ。七々扇って術師会の中でもかなり有力な一族だし」
「…ていうかっ! 何でもいいけど超カッコいいんですけどっ!!」
ひそひそと、斜め前に座る愉快な三人組が何やら面白そうな話を繰り広げていた。
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