第12話 白蛇の秘密



 最初に感じたのは、どこか甘さを残した香のかおり。

 続いて、一度見たら忘れられない綺麗な青玉。


 互いの身長差で自然とこちらを見下ろすその瞳は、どこまでも静かで無感情な色をしていた。


「…うわっ、とすみません」


「…………」


 なんの感情も乗せない淡々とした表情は無機質な機械を思わせる。

 こと人間関係において、感情の表出というのは大事なんだななんて、どうでもいい思考が頭をよぎった。


「ほんとスミマセン。じゃあこれで……」


 失礼します、と立ち去ろうとして。


 しかし、千景がぶつかった人物───”七々扇の天才”の静かな眼差しは、こちらを捉えて離さない。

 心なしか少々眉根を寄せているような気がしなくもない。



 男はあいも変わらず、静かに口を開いた。


「お前、何を連れている?」


 一瞬、質問の意図がわからなかった。


 それでも訝しむような視線がこちらに向いていることに気づいて。

 彼が言うところの”何”が”誰”を指しているのか、容易に想像できた。


(……さすがは天才。鋭いねぇ)


 だからと言って、馬鹿正直に答えるわけがない。

 はぐらかすという言葉がこういう時のために存在しているのだ。


 千景はちらりと横目で銀を見て、然りげなく首を傾げた。


「何って……人間?」


 我ながら頓珍漢な返答だったと思う。


 話題の的はそこではない。

 「何か連れている」ではなく「何を連れている」と断定した形で訊かれている時点で、すでに男の中では千景が何かを連れていることは確定事項なのだろう。


 しかしこちらとしても、あっさり認めるつもりはない。

 ノーヒントで彼がどこまで掴んでいるのかも気になるところだ。


 というわけで、とりあえず往生際悪くシラを切ってみたのだった。



 これに対する彼の反応は、これまた予想外なものだった。


「そいつも。人間じゃねえだろ」


 おや、と思わず感心してしまった。

 まさか銀の正体まで見破られるとは。


 どちらも相当上手く気配を誤魔化している。

 銀にいたっては、視える人間からすれば人か霊かの区別はほぼ不可能に近いレベルのクオリティだ。


 それをこの男はこうも容易く看破してくれた。


「あは、さっすが天才」


 途端にこれ以上すっとぼける小芝居が馬鹿らしくなってしまった。

 トントン、と服の上から朱殷の体をつつく。


「おいで」


 呼びかけに応じた朱殷は襟元から顔を覗かせ、そのまま蜷局を巻くように、定位置である首元に体を滑らせた。


 もちろん周囲に気配がないことはチェック済みだ。

 銀が何も言わず、朱殷も大人しく出てきたということは、つまりはそういうことなのだろう。


「紹介するよ。うちの白蛇くん。かわいいだろ」


 まさか蛇が出てくるとは思わなかったのか。

 千景がこうもあっさり認めたことが意外だったのか。


  ”七々扇の天才”は、じっくり朱殷を検分する。

 とりあえず親バカ紛いの紹介には一切のリアクションを返してくれなかった。


 やがて、彼は信じられないものでも見るかのような視線を投げてきた。

 その青い双眸はこちらの意図を推し量ろうとしている。


「……その蛇」


「ん? かわいいだろ」


「よくこの屋敷に入って来られたな」


「というと?」


「どう見ても悪霊だろ。そいつ」


 さらっと吐き出された言葉に、今度は千景が驚きに目を瞠った。

 

「……ふふ、あははっ。お前、やばいね」


 思わず笑いが込み上げてきた。


 何故笑う、と言いたげな男の視線が痛い。

 しかし千景としても笑わずにはいられないのだから仕方ない。


 世間がどういう定義で彼を”天才”と定めているかは知らずとも、今この時点で『物事の本質を掴む知覚と洞察力』という点においては、彼は紛れもない天才だった。



 彼の言う通り、朱殷はただの霊ではない。

 所謂”悪霊”に分類される存在だ。


 白蛇は神の使いだという俗話もあるが、これはそんな高尚な蛇ではない。

 怒りと怨み、それとありったけの怨毒から生まれた呪いの象徴。

 それを白蛇という偽りの皮を被ることで、ドス黒い部分を身の内に隠しているだけのこと。


 その事実は、おそらく今まで出会ってきた視えるもしくは感じることのできる人間はもちろん、千景の側にいることが多い志摩や、術師を生業としている術師会の人間でさえも気づきはしないだろう。


 それだけ巧妙に、寸分も疑う余地を与えない精度で偽ってきた。


 それなのに。


 それを初対面の人間に難なく見破られてしまっては、お手上げと賞賛の意を込めた笑いが込み上げるのも仕方ない。


「……ごめんね、私あんたのこと舐めてたわ。七々扇の天才クン」


 一頻り喉を震わせた千景は、愛おしいものでも愛でるかのように、朱殷の体をひと撫でする。


「こいつが此処に入って来れた理由だっけ? たしかにこの屋敷、魔除けとか浄化とかの効力すごいよね」


「術師の屋敷だからな」


「ふふ、そりゃそうだ。でもねぇ、そんなものこいつにとってはなーんの障碍にもなんないの」


「大抵の霊に効くようになってはいるが」


「甘いねぇ。ウチのコを止めたいんなら、最上級の魔除けでも置いとかなきゃダメだよ」


「……化け物め」


 もっと無口な男かと思っていたが、意外にもぽんぽんと会話が続いた。


 ただ、やはり表情に感情は乗らず、声音も極端に抑揚が乏しいせいか、冷淡で人間味が薄い印象はちっとも変わらないが。



 もう少しこの男と会話という名の情報交換に興じていても良かったが、千景とてこんな場所に呑気に留まるつもりはない。

 何より、早く空腹を満たしたかった。


 朱殷の頭を一度つつけば、出てきた時と同じようにシュルリと服下に潜り込んだ。


「んじゃ私は帰るよ」


「霊物の封印は解いていかないのか」


「ハッ、笑わせんなよ。胸糞悪い」


 唾棄するように、遠慮なく鼻で笑わせてもらった。


「あんな小細工まで施しちゃってさ。術師会はそんなに野良術師の情報を得たいわけ? あんたも術師会の人間なら言っといてよ。やるならもっと上手くやれってさ」


「……気づいていたのか」


「さあね」


 千景が早々に霊物の解封をやめて屋敷内の探索に目的を切り替えたのは、四宮が説明のために持っていた封印済みの霊物を見て、気づいたから。


 封印を解こうとした場合、普通は何かしらの手を施せば、封印が緩んだり封印符に傷が入ったりする。

 完全に解くまではいかずとも、多少の変化を期待できることが多い。


 にも関わらず、四宮が持っていた霊物は無傷だった。

 封印を解こうとした痕跡がひとつもなかった。


 せっかく手に入れたはずの霊物の解封を術師会が試みないことなどあるのだろうか。

 否、強欲な術師会に限っては万に一つもあり得ない。


 最後に見た一つだけは、多少の手をつけた痕跡が見られたが、あれは千景が見に来る前に集まった術師の誰かが試みた結果だろう。


 それに、各霊物に施された封印は寸分違わず全て同じものだった。

 しかも並大抵の術師では絶対に解けないと言い切れるほどの代物。



 以上のことから考えるに。

 あの四つの霊物を封印したのは術師会だという事実。

 つまりは自作自演ということだ。


 今回の招集目的は、術師会の管理下にない術師の呪術及び呪力のデータを収集すること。

 その手段として霊物の解封を試みさせたのだろう。

 あわよくば術師会に引き入れてしまおうという魂胆まであったのかもしれない。


 その仮説を裏付ける物的証拠として、巧妙に隠されてはいたが、霊物の置かれた各部屋には監視カメラと呪符がそれぞれ設置されていた。

 その呪符の機能まではあえて探らなかったが、見つからないよう監視カメラ共々上手く隠されていたことから、碌でもない使い途は容易に想像がつく。


 それらを知った上で、わざわざ自身の呪術を晒すような馬鹿がどこにいるのか。

 もしそんな馬鹿がいるのなら、是非とも顔を拝んでみたいものだ。


「というわけで、私は報酬よりも保身を優先するから帰るよ」


「ああ」


「あ、それと向こうの庭。何か入り込んでるっぽいけど放ってきたから」


「いい。俺が処理しておく」


「そ、じゃあよろしくね。術師会のことは気に喰わないけど、お前とはまた会いたいかも」


 笑顔とは無縁の男にありったけの笑みを投げておいた。


 結局互いに名は名乗らなかった。

 交わした会話も朱殷と銀のこと、あとは術師会についてくらいだ。

 それでも、無感情で無愛想なこの男との次の機会を考えるくらいには好印象を抱いていた。


(ハハ、恋かな)


 アホみたいな思考が千景の頭をよぎったが、自分にはあまりにも不似合いなその響きに「ハッ、ねぇな」と一笑に付したのだった。



 屋敷を出れば、入った時と同様に再び門付近で呼び止められた。


「外出ですか? お帰りですか?」


「帰ります」


「お疲れ様でした。ではこちらをどうぞ」


 差し出されたのは黒檀の容器に入った塗香ずこうが少量と、小さな勾玉が一つ、霊符が二枚。


 塗香は呪術でよく用いられる呪具だ。

 勾玉は十種神宝とくさのかんだからに見立てたものか。霊符も絵柄からみて厄除けの役割を果たすのだろう。


 どれも術師にとっては役立つ呪具ばかりだ。


「お越し頂いた方に、ささやかながら返礼としてお渡ししております。どうぞお使いください」


 せっかくくれるというのだから有り難く受け取り、代わりに使い所のなかった『12』と書かれた番号札を返した。


「本日は有り難う御座いました。また凶事の際はお力添えをお願い致します」


「どーも」

  

 別に何もしてないけど、なんて余計なことは言わず、もう二度と来ないだろうと思いながらさっさと屋敷を後にした。


 空は来た時と同じく、気持ちの良い快晴だった。


  

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