アメリカ独立戦争(カナダ侵攻作戦)-2

 大陸軍の2番目の遠征隊は、ベネディクト・アーノルドに率いられていた。大陸会議は、アーノルドが立てたカナダ侵攻計画を大筋で認める。しかし、アーノルド自身はその実行部隊に組み入れられなかった。

 すげなくされたと感じたアーノルドは、マサチューセッツのケンブリッジに戻り、ジョージ・ワシントンに接近する。そして、ケベックシティを標的とした支援部隊を東方から送る案を提案した。

 6月のバンカーヒルの戦い以後、ボストンでは殆ど戦闘が無い状態のだったため、多くの部隊が駐屯任務に飽きていた。そして、多くの部隊が戦闘することを望んでいた事もあり、ワシントンはアーノルドの提案に同意する。

 ワシントンは、アーノルドを大陸軍の大佐に任命し、二人で守備隊を見て回り遠征隊の志願兵を募った。アーノルドは最終的に約1000名の者を選出する。ワシントンはそこにダニエル・モーガンの部隊と他に何人かの狙撃兵を加えた。バージニア植民地やペンシルベニア植民地の荒れ地から来た開拓者達は、包囲戦よりも荒れ地での戦闘に向いているとの考えからだった。


 アーノルドの遠征隊が、ケベックに向けてケネベック川を遡る行程は20日の間に180マイル(290 km) 進む必要がある。イギリス軍の指揮官カールトンがモントリオールでスカイラー軍に対抗するのに忙しいため、アーノルドは比較的抵抗もなく進めるものと予測していた。

 アーノルドはウェスターン砦に部隊の一部を先行させ、物資とバトー(平底船)を用意させる。遠征隊は海を渡ってウェスターン砦まで5日で到着し、物資をまとめて船を準備した。

 アーノルドの部隊は、ガーディナーストンのコルバーン造船所で3日間滞在する。ここではリューベン・コルバーンがワシントンの要請に応えて15日間でバトーを造り上げていた。しかし、このバトーは乾燥した材木が得られないため、切り出したばかりの松材で造られていたのだ。

 9月25日、アーノルドの部隊はウェスターン砦を発した。その先は、ケネベック川を遡り、またショーディエール川を下ってケベックに至ることが予定されている。しかし、用意されたバトーはオールで漕ぐことができず、竿をさして進むやり方だったため、予定に狂いが生じることとなった。

 コルバーンは軍隊に同行し、バトーの修繕を繰り返したものの、川を遡りまた流れの速いショーディエール川を下る過程で火薬など多くの物資と数人の人命が失われる。その上、分水界付近は湿地の多い湖沼と水路の集まりであり、雨や嵐が追い打ちを掛けた。その結果、ロジャー・エノス中佐の部隊300名が、物資と共に退却する。

 アーノルドの遠征隊が持って来た地図は、実はイギリス軍が敵を欺くために出版した、不正確なものであった。そこあめ実際に予定された旅程は180マイルではなく、350マイル(560 km)だったのだ。その結果、物資が枯渇してしまう。兵たちは、連れて行った犬・靴・弾薬箱・皮・苔・樹皮などを食べざるをえなかった。


 11月6日、アーノルド遠征隊は、セントローレンス川の南岸に到着する。しかし、その時点で1100名いた部隊は600名にまで減少していた。彼らは、400マイル (640 km) 近い道なき道を踏破してきていたのだ。

 しかし、この時点においてもアーノルドは町を奪取できると考えていた。イギリス軍守備兵は、アレン・マクリーン中佐以下の正規軍約100名と、装備が貧弱な数百民兵である。大陸軍が正確な射撃で民兵を蹴散らしてしまえば、正規軍の数で大陸軍が優位に立てると考えたからだった。

 11月14日、エイブラハム平原に着いた時に、アーノルドは白旗を掲げた交渉役を送り、ケベック市のイギリス軍へ降伏を要求する。しかし、この要求は受け入れられなかった。アーノルドが上流に向かう間、カールトンが川伝いにケベック市に戻ってきていたのだ。

 大陸軍は大砲も無く、ほとんど戦闘には適していないまま、防御を固めた町と対峙する。アーノルドは市内から敵が出撃が計画されていることを耳にし、モントリオール市を占領したばかりのモントゴメリー軍を待つことにした。

 そのため、11月19日にアーノルドの部隊はポイント・オ・トランブルまで後退する。


 12月2日、モントゴメリーがモントリオールから川を下り、500名の部隊とイギリス軍から鹵獲した物資を持って現れた。アーノルドとモントゴメリーの部隊は合流し、改めて町を攻撃する作戦が練られる。3日後、大陸軍は再びエイブラハム平原に立ち、ケベック市包囲を始めた。

 モントゴメリーがケベック市攻撃の作戦を立てている時、トロワリビエール近くに住んでいるフランス人クリストフ・ペリシエが訪れる。ペリシエはアメリカ側を政治的に支援しており、セントモーリスで鉄工所を経営していた。

 モントゴメリーはペリシエと植民地会議を開催する考えについて議論する。ペリシエはケベック市を占領し、市民たちの安全が保障され、自由に行動出来る様になるまでは、会議を開かないほうが良いと言った。2人の間ではペリシエの鉄工所が包囲戦に必要な銃弾を提供することで合意する。それは、1776年5月に大陸軍が撤退するまで続いた。ペリシエはその後に逃亡し、最後はフランスに戻ることとなる。


 ケベックを包囲していたモントゴメリーとアーノルドの部隊であったが、実働可能な兵はおよそ1000名しかいなかった。更に食糧不足や天然痘、そして冬の寒さに苦しめられる。

 そうした中、多くの兵の軍隊在籍期間が切れる12月31日を目前とした12月31日の午前4時に戦闘が開始された。アーノルドとモントゴメリーは部隊を2手に分ける。アーノルドが総勢600名を率き連れて町の北側を攻撃し、モントゴメリーは300名の部隊で南側を攻撃することとなった。

 2つの攻撃部隊はセントローレンス川に接する1点で落ち合い、そこから防壁の中へ突入する予定である。しかし、防御は非常に堅く力押しでは落ちなかった上、夜明け前に吹雪がはじまっていた。

 モントゴメリーの部隊は、川沿いにケープダイアモンド稜堡の下を進んでいたが、30名のカナダ人民兵が籠もるバリケードに出くわす。戦端が開かれ、最初の一斉射撃でモントゴメリーが戦死し、他にも多くが死傷する。大陸軍は吹雪の中では使えないマスケット銃しか持っていなかったため、反撃も上手くいかないまま川岸を退却せざるを得なかった。


 一方、アーノルドはモントゴメリーの戦死と攻撃失敗を知らないまま、北側のバリケードに向かい、町の防壁を守るイギリス軍と民兵の反撃を受ける。ソルト・オ・マテローという名の通りにある道路バリケードで、アーノルドはマスケット銃の弾を左くるぶしに被弾し後方に搬送された。アーノルドに代わり副官のダニエル・モーガンが指揮を執ってこのバリケードを突破する。しかし、次の命令を待つ間に、大陸軍は通りや近くの家の中の民兵の攻撃にさらされた。そして、イギリス軍の反撃によって、バリケードが再度奪取された事で、モーガンと彼の部下が狭い通りに孤立してしまう。こうして、モーガンの部隊はイギリス軍に降伏した。10時までにモーガン以外にも、町に取り残されていた部隊が降伏し、戦闘は終了したのであった。


 この戦闘で、アーノルドの部隊は30名以上が死亡し、モーガン以下426名が捕虜となった。モントゴメリーの部隊では少なくとも12名が南の川岸で死傷している。

 一方、イギリス軍の被害は、指揮官ガイ・カールトンによると、海軍士官1名とフランス系カナダ人民兵5名の死亡、正規軍兵士4名と民兵15名の負傷であった。


 アーノルドは戦闘後、敗北を報告し援軍を要請するため、モーゼス・ヘイズンともう一人の国外居住者であるエドワード・アンティルを、モントリオールにいるデイビッド・ウースターとフィラデルフィアの大陸会議に派遣する。

 カールトンは大陸軍を追撃しないことに決め、市の防御工作物の中に留まる道を選ぶ。春になって川の氷が溶ければ期待できる援軍を待つことにしたのだ。

 アーノルドは兵力比が3対1になっても、イミの無いケベック包囲を続けたが、1776年3月にモントリオールに戻る。ウースター将軍と交代するよう命じられたのだ。

 包囲軍は厳しい冬季の期間、気象条件に苦しみ、天然痘が宿営所に蔓延し始める。非戦闘損耗によって、毎月到着する小さな中隊単位の援軍があっても兵力は相殺された。

 3月14日、市の下流に住む製材業者のジャン=バティスト・シャシュールがケベック市に入って、カールトンに川の南岸にいる200名が大陸軍に対抗する用意があることを伝える。それに加えて、更に多くの兵が動員されたが、サンピエールの戦いで、川の南岸に駐屯していたアメリカ寄り地元民兵隊の派遣部隊によって敗北した。


 3月になって、ジョン・トーマス将軍に率いられた大陸軍の援軍が到し到着する。総3000名まで回復したものの、天然痘などのため、その4分の1は戦えない状態であった。

更にロイヤリストの執拗な情報宣伝のため、500名のカナダ人を指揮していたリビングストンとヘイズンが兵士や協力市民の忠誠心について悲観的になってしまう。


 モントゴメリー将軍は、モントリオールを発ってケベック市に向かう際、市の管理をコネチカット出身のデイビッド・ウースター准将の手に預けていた。ウースターは当初そこの地域社会とまともな関係を築いていたものの、地元の大衆がアメリカの軍隊が駐屯していることを嫌い始めるような多くの失政を行ってしまう。

 アメリカ人の抱く理想を大衆に約束した後でロイヤリストを逮捕し、アメリカ側に楯突く者は誰でも逮捕と刑罰で脅すようになったのだ。また、幾つかの地域社会を武装解除させ、地元の民兵隊員にはイギリスからの任命を放棄するよう強制する。それを拒んだ者は逮捕されシャンブリー砦に拘禁された。

 それらの行動は、アメリカ側が物資や労働に対して硬貨ではなく紙幣で払っていたという事実と相まって、アメリカ側がやろうとしていること全体に対する地元住民の幻滅を生むことになる。

 1776年3月20日、ウースターはケベック市包囲中の部隊の指揮を執るためにモントリオールを離れ、アーノルドが到着する4月19日までの間、第2カナダ人連隊を立ち上げたモーゼス・ヘイズンにモントリオールの管理を委ねた。


 4月29日、大陸会議からの代表団3名が、フィラデルフィアからのカトリックの聖職者1名、フランス人出版者1名と共にモントリオールに到着する。大陸会議はこの代表団に、ケベックの状況を評価し、世論をアメリカ側に誘導するような任務を宛てていた。代表団にはベンジャミン・フランクリンも参加している。

 しかし、既に住民との関係がひどく悪化していたため、ほとんど何もできなかった。代表団は、住民への累積された負債を解決するために硬貨を持ってきたわけでもない。カトリックの聖職者がアメリカ側の大義につかせようとしたが、これも失敗する。地元の聖職者はイギリスの議会によって成立していたケベック法で、彼らの望むことは与えられていると指摘した。

 出版者のフルーリー・メスプレは新聞発行の準備をする。その一方で、代表団にとって事態が空回りし始める前に工作をする時間が無かった。

 ケベック市の大陸軍がパニック状態に陥って退却をしているという知らせを受けた後、フランクリンと聖職者は5月11日にモントリオールを離れ、フィラデルフィアに戻る。代表団はサミュエル・チェイスとチャールズ・キャロルの2名は残り、モントリオールの南部と東部の軍事的状況を分析した。そして、防御線を布く好位置を見つけ出す。5月27日、彼らは大陸会議に対して、この事態の報告書を書き、南に向けて出発した。


 モントリオールの上流には、大陸軍が占領中に意に介さなかったイギリス軍の小さな駐屯地が並んでいる。春が近付くと、カユガ族、セネカ族及びミシソーガ族の戦士たちが駐屯地の一つであるオスウェガッチーに集まり始めた。そこの指揮官であるジョージ・フォスター大尉は、モントリオールから逃げてきた1人のロイヤリストの勧めで彼らを戦力に含め、アメリカに対抗しようと決める。

 ウースターが物資をイギリス側に使われることを恐れたため、上流側に物資を送れず、上流のインディアンとの交易を許可されていなかった。それが愛国者側およびロイヤリスト側の商人たちにとって悩みの種だったが、大陸会議の代表団がこの決定を覆したので物資が上流側に流れ始める。


 モーゼス・ヘイズンは上流のイギリス側へ物資が流れることを阻止するため、またインディアンが集まっているという噂に反応し、ティモシー・ベデル大佐と390名の部隊を40マイル (64 km) 上流のレ・セドルという地点に派遣する。そして、そこで柵で囲んだ防御工作物を造らせた。

 フォスターは、この動きをインディアンのスパイやロイヤリストから知らされる。6月15日、インディアン、民兵及び正規兵の混成部隊約250名で下流への行軍を始めた。複数回の戦闘(シーダーズの戦い)の中で、ベデルの副官アイザック・バターフィールドが18日に戦わずして全軍降伏する。また、他に援軍として送られた100名も19日の短時間の小競り合いの後で降伏することとなった。


 アーノルドはバターフィールドが捕まったという報せを受け取ると、即座に捕虜奪還のための部隊を集め始める。そして、モントリオールから直ぐ上流のラシーンで塹壕を掘らせた。

 レ・セドルの防御柵内に捕虜を留め置いたフォスターは、500名ほどになった部隊でモントリオールに接近する。5月24日までにアーノルド部隊の位置情報を掴む。また、アーノルドが自隊を凌駕するような増援を期待していることを知った。

 フォスターの部隊は兵数が減りつつあったため、セントジョンズ砦の包囲戦で捕虜になっていたイギリス兵と今捕まえているアメリカ兵の交換を交渉する。カンズシェーヌで短時間の砲撃が交わされた後、アーノルドも捕虜交換に応じ、5月27日から30日の間で実施された。

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