アメリカ独立戦争(カナダ侵攻作戦)-1

 1775年の4月、レキシントン・コンコードの戦いを契機に、アメリカ独立戦争が始まった。しかし、戦況はすぐに膠着し、ボストンのイギリス軍に対する包囲戦が続く。

 1775年5月、イギリス軍のタイコンデロガ砦は防御が手薄で、大砲や火薬が置いてあることに気付いたベネディクト・アーノルドとイーサン・アレンがタイコンデロガ砦とクラウンポイント砦を占領し、セントジョンズ砦を襲撃した。これらの砦は全てほんの僅かな守備兵で守られていたのだ。

 タイコンデロガ砦とクラウンポイント砦は6月にベンジャミン・ハインマンの指揮するコネチカット民兵1100名によって守られることになった。


 1774年に会した第一次大陸会議は、10月26日付けの公式書簡で1775年5月に開催される第二次会議に、フランス系カナダ人たちのケベック植民地も革命に参加する様に招請する。第二次大陸会議においても、1775年5月に同様の書簡を2度送ったが、どちらの書簡にも実質的な反応は無かった。


 タイコンデロガ砦の奪取したアーノルドとアレンは、イギリス軍のアメリカ植民地を分割しようという試みに対して、タイコンデロガ砦を防御拠点とする必要性を主張する。あわせて、ケベックの守りが薄いことも指摘した。

 アーノルドとアレンは、1200〜1500名規模の部隊でも、ケベック植民地からイギリス軍を追い出すには十分なことを示す。そして、それぞれ別にケベックに対する遠征を提案した。

 大陸会議は当初タイコンデロガなどの砦の放棄を命令し、ニューヨークとコネチカットの各植民地には基本的に防衛の目的で軍隊と物資を出すように促した。しかし、ニューイングランドやニューヨーク植民地の一般大衆からは、大陸会議にその姿勢を変えるよう抗議の声が上がる。

 この時、ケベック総督のガイ・カールトン将軍がセントジョンズ砦の防御を強化しており、ニューヨーク植民地北部のイロコイ族を巻き込もうとしていることも明らかになったため、大陸会議はより積極的な姿勢が必要であるとの決断を下した。

 1775年6月27日、大陸会議はフィリップ・スカイラー将軍にその地域を調査するよう認め、必要ならば侵攻することを承認する。指揮権を与えられなかったベネディクト・アーノルドはボストンに向かい、ジョージ・ワシントン将軍を説得して、アーノルドの指揮で別働隊をケベックに向けて派遣させることにした。


 カールトンはセントジョンズ砦の襲撃があった後に、南から侵攻される危険性を大いに感じ、ボストンにいるトマス・ゲイジ将軍へ援軍を要請する。

 また、カールトンはモントリオールとケベック市の防衛のために地元の民兵隊立ち上げに取り掛かったものののほとんど成功することはなかった。カールトンは、フランス系住民が自発的に植民地の防衛にあたることを期待していたが、当の住民の大多数は英米どちらの側にもつかず、中立であることを望んだのである。

 イギリス側はタイコンデロガ砦が奪取され、セントジョンズ砦が襲われたことに反応し、モントリオールの南、リシュリュー川沿いにあるセントジョンズ砦を守る為に700名の部隊を派遣した。そして、シャンプレーン湖で使う為の船舶建造を命令する。船舶の防衛のためにモホーク族インディアン約100名も兵士として採用したのであった。

 主な防御はセントジョンズ砦に頼っていたため、カールトン自身は僅か150名の正規兵を連れ、モントリオールの防衛を監督しする。ケベック市の防衛は副総督のヘクター・クラマヘの指揮に委ねることとなった。


 ニューヨーク植民地モホーク川流域に住むロイヤリスト(王党派)でイギリスのインディアン代理人だったガイ・ジョンソンは、ニューヨーク植民地のイロコイ族と極めて親密にしていた。そのため、パトリオット(愛国者)側の意見がニューヨークで支配的であることが明らかになってからは、自身と家族の身を案じることとなる。

 ジョンソンはイギリスとの商売を安全に行うことができなくなったと確信すると、200人の追随者やモホーク族の支持者等とともにニューヨークの領地を離れた。まずはオンタリオ砦に向かい、6月17日にインディアン部族の指導者たち(大半はイロコイ族とヒューロン族)に、この地域での物資と通信の供給線を途絶えさせないことと、「敵による困りごと」があるときはイギリスを支援することという約束を取り付けた。

 そこからはモントリオールに向かい、カールトン将軍や1500名以上のインディアンと会談する。インディアン部族の指導者たちと同様な合意を交渉し、「いつでも臨戦態勢を取れるように」戦争の帯を配る。

 しかし、これら合意に加わった者の大半はモホーク族だった。イロコイ連邦の他の部族は、これらの協議を避け、中立であろうとする。

 会談後もモホーク族の多くはモントリオール地域に留まった。しかし、大陸軍が1775年中に本当に侵攻を開始するかが不確かに思えたため、その大半は8月の中旬までに各々の土地に戻っていった。


 大陸会議は、イロコイ連邦の6部族を戦争の局外に置いておこう考える。1775年7月、オナイダ族に影響力のあった伝道師サミュエル・カークランドが、「私たちはあなた方が故郷に留まり、どちらの軍にも加わらず、戦いの手斧を深く埋めておくことを望む」という大陸会議からの声明文を持って行った。

 オナイダ族やタスカローラ族は公式には中立をる。しかし、オナイダ族の中では個人的にアメリカ側への同調を表明したものが多く現れた。

 ジョンソンがモントリオールで会議を開いたという知らせを聞いたスカイラー将軍は、オナイダ族に影響力があったので、オールバニでの協議会を招集し、8月半ばに開催する。この会合には約400人のインディアン(主にオナイダ族とタスカローラ族、さらに幾らかのモホーク族)が参加した。

 スカイラーと他のインディアン・コミッショナーが、イギリスから植民地を分かつ問題を説明し、植民地人は自分達の権利を守る為に戦うことを主張する。また、インディアンへの征服を意図しているのではないことを強調した。

 集まった部族長たちは、中立を守ることに合意する。しかし、このように中立を宣言する一方で、アメリカ側からの譲歩を引き出した。その譲歩には、彼らインディアンの土地への白人開拓者の侵入といった打ち続く苦情に対して、アメリカ側が対処するという約束も含まれていたのである。


 侵攻部隊の主力はスカイラー将軍が率い、シャンプレーン湖を上ってモントリオールとケベック市を襲撃することになった。遠征隊はニューヨーク、コネチカット及びニューハンプシャー各植民地からの部隊で構成されている。それにセス・ワーナーのグリーン・マウンテン・ボーイズもこれに加わり、糧食はニューヨークから供給されることになった。

 しかし、スカイラーは過度に慎重で、兵を集め終わるのに8月末までかかるなど準備に手間取る。そのため、8月半ばにはカールトン将軍がモントリオール郊外に防衛陣地を強化していた。また、イギリス軍に加担したインディアン部族もいるという報告を受け取ることになる。


 8月25日、スカイラーがまだインディアンと協議していた中、モントゴメリーはセントジョンズ砦で建造中の船舶が完成間近であるとの報せを受け取った。モントゴメリーはスカイラーが不在であることを利用し、タイコンデロガ砦で集めた兵士1200名を率いてリシュリュー川沿いのイル・オ・ノワにある前進基地に向かい、9月4日に到着する。

 この頃、病身のスカイラーは途中でモントゴメリーの部隊に追いつく。スカイラーは、その地域でアメリカ側を支援するために地元の民兵隊立ち上げの準備をしていたカナダ人ジェイムズ・リビングストンに伝言を送り、モントリオール南の地域を巡回するよう伝えた。

 翌日、リビングストンの部隊は川を下ってセントジョンズ砦に向かう。そして、その防御の度合いを視察し、小競り合いの後にイル・オ・ノワまで撤退した。

 この小競り合いの際、イギリス軍側で戦ったのはインディアンたちが大半であったが、砦からの支援が無かったため、インディアンたちはこの紛争から身を退くようになる。

 また、オナイダ族が地域に折りよく到着したことで、イギリス軍に対する別のインディアンからの援軍も遮られた。

 オナイダ族はモホーク族戦士隊がコーナワガからセントジョンズ砦に向かっていたのを妨害する。この時、モホーク族の村にはガイ・ジョンソン、ダニエル・クラウスおよびジョセフ・ブラントらが来てモホーク族の援助を得ようとしていた。オナイダ族はモホーク族に自分の村に戻るよう説得する。そして、オナイダ族はジョンソンやクラウスと直接会うことを拒否し、ブラントやモホーク族の面々にオールバニでの同意事項の条件について説明した。

 結局、ブラントとイギリスの代理人は支援の約束をとりつけることが出来ず、その場を去る。


 その頃、小競り合いの後でスカイラーの病気が重くなり、指揮を続けられなくなってしまう。そのため、指揮権をモントゴメリーに譲る。スカイラーは数日後にタイコンデロガ砦に引き返すこととなった。

 モントゴメリーは、9月10日の攻撃においても、兵たちが混乱するなどして、攻撃に失敗する。しかし、コネチカット、ニューハンプシャーおよびニューヨークからの支援部隊800ないし1000名とグリーン・マウンテン・ボーイズの一部が到着した。そのため、9月17日に遂にセントジョンズ砦とその傍の町の包囲を開始する。

 モントゴメリーは、モントリオールの連絡網を遮断し、砦に向かう物資を鹵獲した。

 翌週、イーサン・アレンは、単に地元の民兵を徴募しろという指示を受けただけだったにもかかわらずその指示を逸脱する。少数の部隊でモントリオールを占拠しようとしてロングポイントの戦いで捕虜になったのだ。

 この出来事で、イギリス軍を支援する民兵の士気が上がったものの、効果は長続きせず、その後には脱走者が続出した。


 セントジョンズ砦はシャンプレーン湖の北端にあり、リシュリュー川を通ってカナダに入る要衝である。砦にはチャールズ・プレストン少佐の指揮で300名の歩兵正規軍がいた。この植民地では最も防御を構えた町である。

 大陸軍は病気、悪天候、兵站の難しさに災いされたものの、迫撃砲を据えて砦の中まで弾を打てるようになった。砦の弾薬は十分にあったが、糧食などの物資は乏しくなる。

 プレストンは2000名の部隊と共に、モントリオールに駐屯しているガイ・カールトン将軍に援軍を要請した。しかし、カールトンはケベック市の安全を損なうことに気が進まず、援軍を送ることを拒絶する。この判断ミスによって、カールトンはモントリオールを失い、後にはケベックシティで彼自身が包囲されることになるのだが。

 10月18日、大陸軍はイギリス軍の小さな前哨基地シャンブリー砦を落とした。そのため、プレストンを完全に孤立させる。セントジョンズ砦は毎日砲撃され、砦の中は着実に破壊されていった。

 しかし、プレストンは砦の守備を続ける。10月30日、カールトンが砦の包囲を解こうとした試みたものの、失敗に終わる。

 結局、援軍のあての無いプレストンは、10週間の包囲後の11月3日、冬の厳しさに備えて住民の助命を望み降伏した。


 モントゴメリーは部隊を率いて北に進み、11月8日にセントローレンス川にあるセントポール島を占領する。翌日には対岸のポイントセントチャールズに渉り、解放者として迎えられた。

 11月13日、取り立てて抵抗を受けることもなくモントリオールを陥落させる。カールトンはセントジョンズ陥落の知らせによって、かなりの数の民兵が脱走したこともあってモントリオール市が守れないと判断し、撤退した。

 カールトンの部隊は風のために直ぐに出発できなかったので、市の下流側で川を渡って上陸した大陸軍に危うく捕まりそうになる。

 カールトンの部隊がソレルの町に近付いたとき、白旗を掲げた1隻のボートが現れた。そのボートは降伏勧告の書状を運んできており、カールトンに降伏を迫る。降伏しなければ下流の砲台をもって、船団を砲撃すると伝えた。カールトンは、実際に砲台があるか確信を得られなかったものの、もし降伏しなければならなくなったときのために火薬や砲弾を捨てさせる。その後で、船団を密かに発進させる道を選んだ。実際に砲台はあったが、その主張していたほど強力ではなかったが。

 11月19日、カールトンの部隊は降伏した。しかし、カールトンは平民の服装に身を窶し、ケベック市に向かって逃げる。

 大陸軍が捕獲した船には、イギリス軍が捕えていた捕虜も乗せられていた。その中にはマサチューセッツ生まれでセントジョンズ砦近くに土地を持っていた国外居住者モーゼス・ヘイズンいた。ヘイズンはイギリス軍に粗略に取り扱われたので、イギリスに反抗していたため、ヘイズンはモントゴメリーの軍隊に加わる。ヘイズンは元々フレンチ・インディアン戦争での戦闘体験があった。ヘイズンは、その後独立戦争を通じて第2カナダ人連隊を率いることになる。


 モントゴメリーは、モントリオールからケベック市に向かうに前に市民にメッセージを発した。大陸会議はケベックが仲間に入り、大陸会議に送る代表を選出を求めている。そのため、植民地会議を開く目的で、アメリカへの同調者との討議に入ることを望んでいることを伝えた。

 また、スカイラー将軍には、外交目的で大陸会議の代表団を派遣してくれるよう要請する。

 モントゴメリー軍の大半は、モントリオール占領後に徴兵期間が切れて隊を離れていった。モントゴメリーは捕獲した船に約300名の兵士を乗せ、11月28日にケベック市に出発する。モントリオール市には、デイビッド・ウースター将軍の指揮で約200名を残した。モントゴメリーはケベックに向かう途中で、ジェイムズ・リビングストンが新たに徴募した第1カナダ人連隊約200名を部隊に加える。

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