亜麻色の髪の乙女

第２話 原子の炎１

Ｅ＝ｍｃ²

全てはこのアインシュタインの質量とエネルギーの等価性の法則から始まりました

「ふう」

　オッペンハイマーは眼鏡を外すと、机の上の膨大な書類の山から目を窓の外に向けた。外では真冬の冷たい風が枯れた木々を揺らしていた。

１９４４年１月。

　彼はアメリカのニューメキシコ州ロスアラモスに居た。そこで、マンハッタン計画の研究所長をしている。彼は３７歳の若さで抜擢された。それだけ、彼は優秀な物理学者だったのである。

「お疲れのようですね。所長」

　亜麻色の髪の少女が、コーヒーカップを持って部屋へ入って来た。そして、熱いコーヒーを彼の机の上に置いた。

「ありがとう。ターニャ」

　オッペンハイマーはターニャと呼んだ少女に微笑んだ。亜麻色の髪の少女も、ゆっくりと彼に微笑んだ。

　美しい。

　改めてオッペンハイマーはターニャを見つめた。このような研究所には、似つかわしく無い少女である。しかし彼女は、この若さでハーバード大学の物理学の博士号を修得している。オッペンハイマーが所長を務める、マンハッタン計画のれっきとした一員だった。

「・・・・我は死なり。世界の破壊者なり」

　ターニャは窓の外を見ながら呟いた。

「まったく君は、ジョン・ダンが好きだな」

「あら。彼の詩って、とってもステキじゃありません? 」

　ジョン・ダンの初期の詩はエロティックなものが多いのだが、ターニャの唇から漏れると、それはとても清楚なものに感じられた。しばらく窓の外を見ていた彼女はオッペンハイマーの方に向き直った。

「あまり芳（かんば）しくありませんの ？ 」

「あぁ」

　オッペンハイマーは苦々しげに呻いた。

「ウラン２３５が圧倒的に足りない」

　天然ウランには核分裂を起こしやすいウラン２３５は０.７%しか存在せず、残りは核分裂を起こしにくいウラン２３８である。核兵器として使用するにはウラン２３５を９０%以上に濃縮しなければならず、それは当時の技術力では難しいものだった。

「今はガス拡散法を採用しているのだが」

　天然ウランをフッ素と化合させ、六フッ化ウランとする。圧縮機で気化した六フッ化ウランを無数の数十Åの孔（あな）が空いた隔壁を通す事で、質量の小さいウラン２３５の方がより多く通り抜ける事により、ウラン２３５の濃縮率を上げる事ができる。

　さらにターニャが提案した遠心分離方を用いて、さらに濃縮率を上げているのだが破壊兵器として使用できるだけの量には達していない。

　書類を見ながら唸りこんでいるオッペンハイマーにターニャが囁いた。

「所長。私が提案した遠心分離方を見直してみては ？ 」

「え ？ しかし、これ以上は」

　ターニャは机の上に、遠心分離装置の図面を広げ出した。

「このスクープの構造を変えるんです」

　オッペンハイマーは、ターニャが図面上に書き込んで行くのを真剣な眼差しで見つめている。

「こうすれば向流（こうりゅう）が励起（れいき）されます。また回転軸方向に温度勾配（おんどこうばい）をつける事でも向流を励起させられます。それによって」

　ターニャは図面上にすらすらと線をひいたり、数式を書き込んでいく。

「っと。こうすればウラン２３５の濃縮率を上げる事ができると思うんです」

　今や、食い入るように見つめていたオッペンハイマーはターニャの肩を掴（つか）んだ。

「素晴らしい！どうすればこんなアイデアを思いつくんだ！」

　ターニャは微笑んだ。

「私はただ、この戦争を早く終わらせたいだけですわ」

「さっそく実験に取り掛かる！」

　部屋から走り出そうとするオッペンハイマーをターニャは呼び止めた。

「プルトニウム爆縮（ばくしゅく）の方は、どうなさいますか ？ 」

「あれはガンバレル型には使えん。いずれ、核分裂実験をする時に使用する」

　そう言い残すと、転がるように走り去って行った。

　太平洋戦争中のアメリカは１９４２年に、ルーズベルト大統領により正式にマンハッタン計画を発動した。人類初の核兵器の生産と使用である。アメリカは、この計画に当時の金額で２３０億ドルの巨費を投じた。

　これは第２次大戦後の国際社会で核兵器というカードを握り、他国より優位な立場に立とうとするアメリカの思惑でもあった。

つづく