第3話 原子の炎2
1945年7月16日
オッペンハイマーを始めとするマンハッタン計画の関係者は、ニューメキシコ州カリゾゾ近郊に集まっていた。人類初の大規模な核分裂実験、トリニティ実験をする為に。
トリニティという名称は、オッペンハイマー自身が付けた。それはターニャが口にするジョン・ダンの詩によく出てくる言葉であったし、なによりアメリカ西部の山や川に使われる極めてありふれた名称だったからである。
そう、ありふれた名前で無ければならない。
他国に、この実験の詳細を知られる事は避けなければならない。とは言えオッペンハイマー自身にも、どの程度の規模の爆発になるのか判らなかった。使用する原料から、おおよその規模は計算できたが実際にやってみなければ判らない。なにしろ、人類初の大規模な核分裂実験なのだ。
実験にはプルトニウム爆縮タイプを使用した。本来なら投下予定の爆弾と同じウラン235を使用したかったが、制作に手一杯で核分裂を起こす程のウラン235は用意できなかった。とにかく核分裂を起こす、という結果さえ得られれば良い。
実験場所から南西に16km離れたベースキャンプの中で、オッペンハイマーは実験の成功を願っていた。
ベースキャンプの中は、大勢の人で溢れかえっていた。同じ研究所で働く研究員達はもちろん、陸軍の上級将校や国会議員、軍の報道機関に機密保全機関など様々な人々が来ていた。
無理も無い。230億ドルのプロジェクトなのだ。今日の実験だけでさえ、数億ドルの金が吹き飛ぶだろう。もし失敗したら、野党議員達はルーズベルト大統領に対する糾弾を始める事であろう。陸軍にも、批判の声が集まるだろう。いくら機密実験と言えども、この手の事はすぐに広まる。それはオッペンハイマー自身もよく判っている。
もし失敗したら ?
オッペンハイマーが汗だくになっているのは、外気温のせいだけでは無かった。
「大丈夫ですよ」
そんな彼の手を少女の手が優しく握った。隣に座っていたターニャだった。
「必ず成功します」
「し、しかし」
オッペンハイマーの声はしゃがれていた。
「私が成功させてみせます」
何の迷いもなく言い切るターニャの横顔を見て、オッペンハイマーも
「俺は不発だね。核分裂は起きない」
「俺はTNT火薬に換算して18ktの爆発は起きると思う」
「俺は、このニューメキシコ州が壊滅するに賭けるぜ」
「ふっ、俺は大気が発火して地球全体が焼き付くされる、だな」
そんな彼らも、いよいよ実験の秒読みが始まると真剣な顔つきで押し黙った。皆が望遠鏡や双眼鏡で16km先の実験場を見つめた。
オッペンハイマーの手は震えていた。彼は隣にいるターニャの瞳が妖しく光り始めた事に気付かなかった。
実験場には高さ20mの鋼鉄製の塔があり、その最上部にガジェットと名付けられたプルトニウムのコアが内蔵された物体が取り付けられていた。
午前5時10分に爆縮のスイッチが入れられ19分後に最初のプルトニウムの核分裂が始まった。
それは、紫色の閃光だった。
そのあまりの
「やった!」
「成功だ!」
「大成功だぜ!」
研究員達は肩を叩きあって喜んだ。オッペンハイマーは、しばし呆然としていた。彼の口をついて出た言葉は、かつてターニャが呟いていた言葉と同じだった。
「我は死なり。世界の破壊者なり」
そんなオッペンハイマーの肩を研究員達が次々と叩いた。
「やりましたね!所長!」
「成功です!大成功ですよ!」
我に返ったオッペンハイマーは、皆と歓びを分かち合った。今、完成しつつある核爆弾はウラン235を用いたガンバレル型だ。今日のプルトニウム爆縮より、はるかに単純な構造をしている。確実に核分裂爆発をするだろう。彼には確信があった。
後の調査で爆心地には放射能を帯びたガラス質の石からなる、深さ3m直径330mのクレーターが確認された。爆発のエネルギーは研究員の1人が言ったようにTNT換算で18ktと推測された。
皆からの祝福を受けながらオッペンハイマーは、誰よりも歓びを分かち合いたい少女の姿を探した。しかし、ターニャは何処にもいなかった。
「ターニャは ? ターニャは何処だ ? 」
オッペンハイマーは研究員達にターニャの事を尋ねて回った。しかし誰も実験後に彼女の姿を見た者はいなかった。そして、この日を最後にターニャは研究所から姿を消した。
人類初の実戦核兵器、原子爆弾はリトルボーイと名付けられた。
実験の成功により製造された、プルトニウム爆縮型はファットマンと名付けられた。
1945年8月6日 リトルボーイ投下
1945年8月9日 ファットマン投下
オッペンハイマーは夢を見ていた。周りは火の海だった。都市が燃えていた。そして彼は、正視できない惨状を見ていた。
「うわあぁぁっ!」
彼は自分の叫び声で目を覚ました。身体中が汗びっしょりだった。
「・・・・またか」
彼は呻いた。あの日以来、頻繁に見る夢だ。あの8月6日以来。
オッペンハイマーは人影を感じた。闇の中に目を凝らすと、1人の少女が立っていた。亜麻色の長い髪だった。
「タ、ターニャ!」
オッペンハイマーは息を飲んだ。それは間違いなくターニャだった。数年前と全く変わっていなかった。
「・・ターニャ」
オッペンハイマーが話しかけようとするのを遮るようにターニャは言った。
「何故、都市に落としたの」
「え ? 」
「戦争を終結させる為なら都市に落とす必要は無かったはずよ。海に落としても良かったはず。あの爆発力を見れば敵の戦意は完全に喪失するわ。何故、都市に落としたの」
「あ、あれは軍がやった事だ!私は、ただ開発しただけだ!」
ターニャはしばらく無言だった。
「そう。では何故ファットマンを投下したの ? それも軍の命令? あなたはリトルボーイが投下された都市がどうなったか、報告を受けていたはずよ。それ以前に完成していたとしても、軍に止めさせる事はできなかったの ? 」
「そんな事が出来る訳が無い。軍に逆らうなんて」
「違うわ」
ターニャの言葉にオッペンハイマーは、びくっと身体を震わせた。
「あなたは見たかったのよ。知りたかったのよ。自分が作った新兵器が、どの程度の威力で都市を破壊するのか。どのように人を殺すのか。放射線が人体にどれ程の影響を及ぼすのか」
「ち、違う」
「違わないわ」
ターニャの声は、あくまで静かだった。
「あなたはウラン235の破壊力と人体に与える影響を知った。そしたら、たまらなく知りたくなったのよ。これがプルトニウムだったら、どうだろうって。そう考えたら試してみたくて仕方がなくなったのよ」
「違う!違う!わたしは」
「違わないわ」
ターニャは繰り返した。
「夢中になって作っているうちは良い。しかし、いざ出来てしまえば使ってみたくて仕方が無くなるの。科学者としては当たり前の事だけど。特に今回のような前例のない破壊兵器の場合はね。それが、どれ程の破壊力で都市を壊して人を殺すのか。試してみたくて仕方が無くなるのよ」
オッペンハイマーはベッドに突っ伏して泣いていた。
「それ以外にファットマンを投下した理由は無いわ。あなたの中ではね」
「お、お前はどうなんだ。お前だって核兵器を開発したじゃないか。お前には、その欲望は無かったのか ? その繰り返しで人類は科学は進歩して来たんだ!それによって人類は便利で快適な生活を手に入れたんだ!」
その問いに、ターニャは初めて悲しげな表情を見せた。
「私は人間を超越した存在だから。人間の行く末を見守るだけよ」
「何を言っている? 」
今度はターニャは淋しげな表情になった。
「あなたには理解できないわ」
そう言うとターニャは元の無表情に戻った。
「いずれにせよ、人間はまた1つ禁断の果実を食べた。あなたの言う科学の進歩が人類を何処へ導くのか見届けさせて貰うわ」
そう言って、亜麻色の髪の少女は音もなく去って行った。オッペンハイマーは声も無く、それを見送った。そして、いつからか流れていたラジオのニュースを聴いていた。
「本日、ソビエト政府は水素爆弾の開発に成功したと発表しました。繰り返します。ソビエト政府は水素爆弾の開発に成功したと・・・・」
第2賞 完
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