第51話 東欧を作った男たち

 トクト大王は、クリミアにいた将軍トクテムルをサクチのバスカク(総督)に任じ、マルクスを財務長官とした。これは、40年にわたり諸王ノガイの私領となっていた国境地帯が、内地化されたことを意味する。国境鎮守軍8,000騎はドニエプル河東岸にまで後退し、サクチの防衛は基本的には在地の領主に任せられた。ハンガリー国王の親征に対しても、地元諸侯の軍だけで十分追い返せる実力を持っていた。

 マルクスはクリミアの商人たちに呼びかけ、ドナウ河、ドニエストル河、プルート河の流域に居留地を作り、道や港を整備し、交易を活性化させた。各地で銀貨や銅貨が発行されるようになった。ノガイ時代の貨幣にはギリシャ文字が刻まれていたが、マルクスはハンガリーからユダヤ人を呼んできて貨幣を作らせ、その際、アラビア文字を使うよう命じた。東へ戻ってきたトルコ系ユダヤ人のハーン(カガン)家は、その後、カガノヴィッチと名乗るようになる。一方、西のフランクフルトに移った者は、ロスチャイルドという姓を使うようになる。

 また、マルクスはカルパチア山脈に住むラテン語を話す牧民に、平地への移住をうながした。アス人やキプチャク人の千人長に領地を与え、牧民を入植させ、小麦やブドウの栽培を広めた。ちなみに、トクテムルの子孫がバサラブ家の始祖であり、ベッサラビアという地名のもととなる。また、バサラブ家からドラキュラ伝説で有名なワラキア公ヴラド3 世が登場し、彼の血は現在も英国王室に流れている。

 こうしてドナウ北岸はワラキア、ドニエストル河流域はベッサラビア(モルダヴィア)、そしてカルパチア山脈の西側にはシビウ(トランシルバニア)というかたまりが形成され、現在のルーマニアになっていく。

 黒海交易で忙しいジェノヴァ商人に、もはやヴェネツィアの商船団を襲う暇などなく、ヴェネツィアも商売に専念するようになった。また、ヴェネツィアがハンガリー、セルビア、ボスニアで銀山開発を進めること、そのために地元勢力を取り込んでいくことに、マルクスは干渉しなかった。各国が定められた量の貢物をもってくればよしとした。タルタルにとっても、銀は必要だからだ。ただし、ハンガリー国王がタルタル系諸侯に圧力をかけた場合は、陰に陽に諸侯を支援することは忘れなかった。

 マルクスの統治により、サクチはタルタルの最西端として繁栄する。西欧から来た商人たちは、財務長官マルクスを「タルタルのマルクス」と呼ぶようになった。

 マルクスは最期までジェノヴァには帰らなかったようである。ジェノヴァ人でありながら、タルタルの官僚となり、ユダヤ教徒を妻としたマルクスは、三者を融合させることに成功したといえる。

 ユダヤ系を含むジェノヴァ商人は、タルタルとともに、この後も黒海沿岸で何世紀も時を刻むことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る