第49話 サライ

 その人の地位がその人を作る場合がある。在カッファ・ジェノヴァ共和国領事館の調査員だったマルコは、黄金のパイザ(査証)を持つマルクス=イルチとなり、サライへの旅では、当然の如く護衛が付き、各駅でもてなしを受けた。誰がどう見ても、高級官僚である。しかも、ブルガリアで軍を指揮したことで、軍人の風格さえただよってきた。

 タルタル帝国では外交官は、文官としてはかなり高位である。牧民ではなく、おもにサルト人(中央アジアのムスリム)がイルチ(使者)となり、そのまま派遣先のバスカク(代官)になる場合も多い。フランク人の使者もいて、バトの征西の際、ハンガリーの調略に当たったのは、イギリス人の元修道士だった。彼はウィーン郊外で捕まり処刑された。

 クリムからサライの行程は、次のようになっている。まず、クリムからペレコプ地峡を越え、右手に腐海を見てから北東に進み、ドン河に至る。この河川港にはルーシ人が入植させられ、舟で対岸に渡る手伝いをしている。その後、ヴォルガ河の拠点ウケクでやはり舟で東に渡り、後は南下してヴォルガ河最大の支流アフトバ河口にある首都サライに向かう。

 キプチャク大草原はきわめて豊かな草地で、飼葉はいらない。馬は自分で雪を掘って草を食べる。息子のケペクは馬車の中では退屈そうだが、駅に止まると真っ先に這い出て雪の中を走り回っている。

 1301年12月、マルクスは首都サライ郊外に広がる大天幕群に到着した。まず、マルクスはトクト大王の第一王妃であり、クリミア総督ヤイラクの妹コンギランの天幕に向かい、あいさつをした。

 コンギランは、マルクスが家族同伴であることを知り、マルクス一家の保護者になりますよ、と言った後、明日、大王に会いに行くよう命じた。

 次の日、マルクスはトクト大王の天幕に向かった。大王の天幕は、ハンガリー国王から贈られた豪奢なものだった。マルクスが中に入ると、王侯が左右に並んで座っていた。そのすぐ後、大王とコンギランが入室し、ディヴァン(ソファ)に2人で座った。

 大王は、マルクスに遠路ご苦労と声をかけ、黒馬乳酒を取りに来るよう手招きした。マルクスは大王のすぐそばまで行き、大王の手酌で黒馬乳酒をいただくこととなった。これは臣下に対する最高の褒賞である。

 近くで見ると大王はマルクスより若干年上の、35歳ほどにみえた。

 大王はマルクスに言った。

「ヤイラク義兄を助け、トライの反乱を早期に静めたと聞いている。汝は情報を集め正確に次の手を読めるようだ。そこで問うが、今後サクチはどう治めればいいか」

タルタル人はある地域を、その地域の首都の名で呼ぶ。旧ノガイ領の首都はサクチなので、大王はその地域全体をサクチといったのだった。

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