第44話 タルタルとしてのジェノヴァ

 その夜、マルクスはひさしぶりに馬商人アンドレア=ダ=ピサとロドリーゴの3人で飲みに行った。昼間のマルクスの仕切りを見て、アンドレアは感動したらしい。

「マルコさんはジェノヴァをタルタルにくっつけてしまった。こんなことはヴェネツィア人にはできないでしょう」

アンドレアの側で、いつもの長身の女が酒を注いでいる。

 一方、ロドリーゴは女に胸を当てられながら、難しい顔をして言った。

「フウシン部族軍は2,000騎だ。頼りはアス人部隊だが、トライと完全に関係が途切れたわけでもない。トライに密告する者もいるだろう。奇襲は成功するのだろうか」

マルクスはゆっくりと説明した。

「トライ様はノガイ様の中軍を継承し、北のアス人軍団は無傷、南には実兄のブルガリア皇帝チャカがいます。後方支援はヴェネツィアがおこなうという、万全の体勢です。それゆえ、秋までは動きません。有利な状況であるにもかかわらず、夏に動こうとすると牧畜ができないため、部民は怒るでしょう。突然、夏営地が襲われ、サクチから這う這うの体で逃げ出す。ヴェネツィア人は薄情ですから用済みと見て、トライ様もサライブカ様も見捨てるでしょう」

アンドレアは、酔いも手伝って、少し興奮気味だ。

「カッファ、スダク、ケルチで集められた輸送船と、馬専用の平底船、これにザッカリーア団のガレー船が加わる。壮観ですな」

長身の女はマルクスに聞いてきた。

「旦那様はその後、いかがおすごしですか」

マルクスは、男の子が生まれたと言うと、女はアンドレアに、私も早く生みたいとねだった。

 この夜マルクスの横についた、まだあどけなさの残る娘は、旦那はどうしてそんなにジェノヴァの言葉が上手いのか聞いてきた。ロドリーゴは爆笑したあと冗談を言った。

「マルクス=ビチクチ様は、異族の女を抱いたら、その女の言葉をすぐに覚えてしまうのさ」

ここで働きはじめてまだ3か月の娘は、今日の客がいつも相手をしている船員たちとは雰囲気がまったく違うことにとまどいつつも、楽しい夜を過ごせた。船員たちは金払いがよく、娘に追加でこづかいをくれた。商売女は金にしか興味がないと船員たちは割り切っていたからだが、船員たちの方も体にしか興味がなかった。ところが、このマルクス=ビチクチという人は、娘の話が聞きたいと言うのだ。

 娘は、カッファに来てはじめてマカロニを見て、白くてプニプニして気持ち悪いと思ったが、食べてみるとおいしかったこと、最近、市場でマカロニの値段が安くなっていると感じたこと、そんな他愛もない話をしたが、マルクスは熱心に聞いていたのだった。

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