第42話 大きすぎて潰せない

 ノガイの末子トライの冬営地は、ドナウ河下流域のサクチ(イサクチャ)にあった。ここにトクト大王は弟サライブカを派遣して、戦後処理とブルガリア方面への対処を命じていた。

 トライの継承したノガイ中軍はほとんど無傷であり、北のヤッシーにいるアス人軍団も健在である。しかも、トライの兄チャカはブルガリア皇帝となった。トライからすれば、遠く離れたサライにいるトクトに唯々諾々と従わねばならない理由はない。現に、ノガイ勢力は大きすぎて潰すことができなかった。ノガイの諸子に分配するのではなく、すべてを末子トライに渡さざるを得なかったではないか。

 若きノガイ家当主トライは、目付であるサライブカにゆさぶりをかけた。

「もしあなたが大王になりたければ、われらは総力をもって支持するでしょう。トレブカも、今の大王も、そうやって即位したのです」

 サライブカは怯えた表情を見せたが、次のように言った。

「サライには兄ブルルクがいる」

トライは、しめたと思った。

「そうであれば兄上に手伝ってもらえば確実です。ドン河はあなたが、イティル(ヴォルガ)河はブルルク殿が取ればいいのです」

悪魔のささやきとはこのことだろうか。庶子でしかないブルルク・サライブカ兄弟が権力を持つためには、反乱以外ないだろう。その武力を今、自分は握っているのである。

 トライはドナウ河を通じてハンガリーから武器・防具を買い始めた。こうした商品を持ってきたのがヴェネツィア人である。ヴェネツィア出身のハンガリー国王アンドラーシュ3世が国内をまとめきれないと判断すると、1300年にわずか12歳のカルロ・ロベルド・ダンジョをザグレブまで連れてきてクロアチア王に即位させ、ついでハンガリー王にしようと画策していた。トライはヴェネツィアと組むため、カルロ・ロベルトの即位を認めた。

 これに対し、ノガイの旧臣や従属地域の領主、そしてジェノヴァ商人は反発した。彼らからすれば、ハンガリーとその周辺の利権を削られてしまうからである。スラヴォニア太守のゲルトルドは密かにトクト大王に、トライに謀反の兆しがあると報告した。

 トクト大王の動きは素早かった。すぐさまトライとサライブカを捕えるよう、コムラトに駐留しているフウシン部族軍に命じたのである。ヤッシーを本拠地とするアス人軍団も、動かせる最大限の軍を動員してコムラトのフウシン部族軍と合流しようとした。とはいえ、冬に動かせる数はたかがしれており、まだ雪が融けきっていないため、ぬかるみがつづく道を行軍するのは困難を極めた。

 フウシン部族長は、クリミア総督ヤイラクに後方支援を求め、クリミアから物資や兵員を供給することとなった。もちろん陸上輸送は難しい。

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