第41話 ハザルのカガン

 マルクスは、銀細工工房を経営するヨハネスに、どうしてハンガリーの銀貨にはヘブライ文字が刻印されているのか、聞いてみた。

 ヨハネスは頭をかきながら言った。

「なんだ、旦那は俺と同じだったのか。しかも文字が読めるんだ。旦那はラビの子かい」

マルクスは正直に答えた。

「私はユダヤ教徒じゃないよ。でも妻は文字が分かる」

ヨハネスは、まあいいかと言った上で、

「俺の家名はカガンだ。ハンガリーではハーンって言っている。もちろんタルタルではカガンとかハーンは皇帝しか名乗ってはいけないが、うちは昔からそうなんだから仕方がない」

自分が、トルコ系ユダヤ教徒の名族の家系につらなることを、誰かに知ってほしいというのは人情というものだろう。しかも、マルクスはクリミア総督のビチクチ(書記)である。教養ある人なら、この家名のすごさをわかってくれると期待した。そして反応は予想以上だった。

「ハザル王家の末裔か」

そういったマルクスに、今度はヨハネスの方が驚いた。

「俺は王家の子孫なのか」

「おそらくそうだろう。もともとクリミアはガザリア、つまりハザルの地と呼ばれていた。タルタル人はクリムと言うようになったが。あなたの祖先がもともとクリミアを支配していたんだ」

「俺の先祖はエルサレムから来たと聞いてたんだがなあ」

と言いつつ、ヨハネスの顔には自信と誇りがにじみ出ていた。そして、マルクスに、もし西に行くことになったら必ずこの工房に寄ってくれ、と言ったのだった。

 天幕に帰ったマルクスは、遅めの昼食をとりながら、ヨハネスとの会話の内容をアンナに話した。

 アンナは微笑みながら、少し皮肉を言った。

「私はあなたの妻になったのね」

マルクスは大真面目に応えた。

「私はおまえを奴隷だと思ったことは一度もないよ」

そう言われたアンナは、少し涙ぐんでいたようだが、突然ケペクが初めての寝返りをしたことにびっくりしたので、涙も引っ込んだらしい。

 マルクスは、ノガイの末子トライと、トクト大王の弟サライブカが治める地域に関する情報収集のため、カッファに戻ることになった。

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