第38話 ガザン・イルハン

 1298年にチャカたちが攻めてきた直後に、トクト側が反攻を始めているのは、不自然である。前年から各地で戦闘準備がおこなわれていたのだろう。また、クリミアの北側に家畜を集め、わざと略奪されやすい状態にしていた。先に立たず、先に攻めず。実戦経験がないにもかかわらず、トクト大王は戦というものを本質的に理解していたといえる。

 翌1300年、終始中立を守ったイルハン朝のガザンに、トクトは使者を送り、内戦の顛末について、自分がノガイ側をはめたことは一切書いていない書簡を渡した。

 ガザンは宰相ラシードゥッディーンに命じた。

「とりあえず、この書簡のまま書いておけ。ノガイ殿を裏切ったマジ、スタン、サングイといったアス人軍団の将官の名は分かっているから、そこだけ付け加えよ」

1300年、ガザンは宰相に、世界史の本の執筆という課題を与えた。目的は、モンゴルによる世界支配の正当性の証明、そして、ガザンがイルハン朝の君主であることの正当化である。チンギス・カンの子孫であるガザンはとても記憶力がよく、モンゴルの歴史について熟知していた。こうした記憶や新しい情報をまとめるのが、宰相に新たに付け加わった仕事だった。

 ノガイはガザンに非常に友好的だった。そのノガイが亡くなった今、トクトがアゼルバイジャンを狙って軍を南下させてくる可能性は否定できない。ただし、ノガイはマムルーク朝とも懇意であったため、ノガイを討ったトクトをにわかに信用しないだろうから、トクトとマムルーク朝から挟撃される心配はなさそうだ。

 コンスタンティノープルの皇帝アンドロニコス2世にもう少し能力があれば、ノガイを助けられたかもしれないが、使えない奴だと、ガザンは心の中で毒づいた。

 先帝ミカエル8世はノガイに惨敗した後、娘をノガイの後宮に送り込んで誼を通じ、今度はノガイを利用してブルガリアを間接統治下に置こうと画策した。おかげでブルガリアは混乱したが、ローマ帝国からすれば、北からの脅威がなくなったのであるから軍事外交的には成功だと言える。

 これに対して、アンドロニコス2世は無策だった。一応、娘をトクトに嫁がせたが、北方草原の君主をローマ皇帝の義子にするという、昔からの慣例にしたがったまで、という意味でしかない。トクトは公主(チンギス・カン家の娘)をローマ皇帝にやって附馬(チンギス・カン家の娘婿)にするつもりはない。歴代ジョチ家当主だけでなく、ガザンを含め、タルタル全体がローマ皇帝は一地方君主にすぎないと見下していた。

 ガザンはマムルーク朝からシリア・パレスチナをとろうと戦をはじめていた。最初は調子が良かったものの、戦線は徐々に膠着状態におちいっていた。本当は親征したいのに、冬営地であるバグダッドにとどまって北をにらんでいなければならない状況に、ガザンは歯噛みするしかなかった。

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