第31話 ノガイとトクト

 ノガイは、ジョチ家当主の正統な継承者であり、かつきわめて有能なトクトに期待した。ところが、トクトはまったく外征をしないのである。軍事に関心がないのではない。トクトは、東のカイドゥや南のイルハン朝との関係を重視し、欧州方面はノガイに委任すると言ったのだった。

 トクトは北コーカサスに屯する探馬軍を率いる諸王イルキジとタマトクタイに対し、いつでもイルハン朝が不法占拠しているアゼルバイジャンに攻めこめるよう指示をだしていた。また、義父サルジウタイ附馬を中央アジアのホラズムに派遣し、チャガタイ家のドアを牽制しつつ、さらに、5万騎を有する諸王バヤンにカイドゥ王国とイルハン朝の内偵をすすめさせていた。場合によっては、旧都カラコルムにいる懐寧王カイシャンとともに、中央アジアへ派兵することも考えていたのである。トクトは、世祖クビライ崩御後の帝国の混乱に対処する必要があった。欧州に回す戦力はなかったと言える。

 これにノガイは不満だった。イルハン朝とは友好関係を結び、アゼルバイジャンを事実上放棄すれば、北コーカサスの大軍を欧州に振り向けることができる。また、中央アジアの混乱には、諸王バヤンの5万騎があれば十分に対処できる。タルタル内部で争うのではなく、一致団結して征西を行うべきだ。

 しかしながら、アゼルバイジャン放棄は、ジョチ家当主にとって自殺に等しい行為である。ジョチ家全体にとって、欧州侵攻はアゼルバイジャン奪還よりも優先順位が低い。アゼルバイジャンにはのどから手が出るほど欲しい優良な牧地があるが、欧州にはなかったからである。

 また、野戦ではタルタル軍に到底かなわないことが分かりきっているため、欧州各地に堅固な城塞が多数建てられ、タルタル軍の進路を阻むようになっていた。戦争という投資の収益性が著しく低下していたと言える。

 そんなことはノガイにも分かっているので、ハンガリー国王クンラースロー、ガリチ・ヴォルニィ公レフ、セルビア国王ステファン、そしてブルガリア皇帝ゲオルギ・テルテルといった君主を自らの服属下に置こうとしたが、うまくいかなかった。

 セルビア国王は人質として王子を送ってきたが、ハンガリーではクンラースローが暗殺され、陰謀家のレフは反覆常ならない。ノガイに外交の才はなかった。

 そして、ブルガリアは混乱の極みにあった。結果論であるが、ノガイの晩年はブルガリア問題に翻弄されることになる。

 ノガイは、とにかくトクト自身を欧州までひっぱり出してきて、征西に関心を持たせること、そのためには自らを犠牲にして構わないと思っているのではないか。

 マルクスは、自ら導き出した推定あるいは妄想に恐怖した。そこまでしてノガイはタルタルを拡大させたいのか。これが愛国心なのか。

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