第27話 通訳アブドラ

 通訳としてマルコについてきたアブドラに、ヤイラクはジェノヴァ軍とともに行動するよう命じた。

 マルコは、別れを告げに来たアブドラと一緒に早めの昼食をとりながら、どうして通訳になったのか尋ねた。

「私はマングプの近くにあるブハラ村の出身です。村では女たちが綿織物を織っていて、男たちがそれをクリムやサライに運んでいます」

ブハラは中央アジアの都市である。第4代モンケ・ハアンは、自身の即位に協力してくれたバトにブハラの民5,000人を与え、バトはその一部をクリミア半島に移住させた。彼らは貴重な織物を作る職人たちである。

「私は子どものころから言葉が好きで、ゴート語、コマン語、そしてギリシャ語も勉強しました。でも普段はペルシャ語を話しています。読み書きもできるので、クリム総督府に書記として雇われ、その後、カッファ領事館に通訳として出向したんです」

綿織物の原料は綿花から紡いだ糸と、金糸である。綿花の栽培には多くの肥料が必要で、肥料を運ぶのは重労働である。また綿花の収穫もたいへんな作業だ。アブドラは、そんな仕事は嫌だと言って、故郷の村を飛び出したという。

「今もブハラ村に母親はいるんですが、もうずいぶん会っていません」

アブドラはマルコに、ジェノヴァ本国は恋しくないかと聞いてきた。マルコは言った。

「それが自分でもよく分かりません。普段はジェノヴァや家族のことなど、まったく考えていないのに、ふとした瞬間、思い出すこともあります。でもここでの生活や仕事は、張り合いのあるもので、楽しいです」

アブドラは、しみじみ言った。

「私の両親がここクリミアにやってきた時、何もなくて大変だったそうです。織機と綿の種だけは大事に持ってくるよう、強制されました。子ども頃から、自分たちはどうしてこんなに苦労をしなければならないのか、という愚痴を聞かされつづけてきました。親たちが一から作った綿花畑で、私も小さいうちから働いてきました。でも私は、生れた村を、故郷だとは思えない。本当のブハラに戻ることもできない」

 アブドラはどこにいても自らを異邦人だと思っていることが、マルコには分かった。

 アブドラの天幕には、つねに商人たちが出入りしているようだ。コンスタンティノープルやタブリーズといった、遠方からの客人も多いらしい。彼自身は多くを語らないが、おそらくマルコと同じく、集めた情報を誰かに送っている。

 アブドラの主観的には、故郷もなければ家族もおらず、祖国もなければ仕える君主もいない。彼は自由なのだ。

 だが、それは果たして幸せなことなのだろうか。

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