第22話 クリミア総督ヤイラク

 マルコがカッファに来、アンナと一緒に暮らし始めて4か月が経った。マルコのコマン語能力は飛躍的に伸び、日常生活にまったく支障はない状態となった。とはいえ、通訳は必要であり、ギリシャ語とコマン語の両方が分かる現地採用職員のアブドラを加え、正使ロドリーゴ大尉、マルコ調査員、アブドラ通訳の3人が、1298年秋、クリムの総督ヤイラクの下に向かうこととなった。

 こうしたあわただしい中、うれしいことがあった。アンナが妊娠したのである。マルコは、必ず帰ってくると約束した。

 大きな馬車が用意され、3人はクリムに赴いた。ヤイラクは、カッファからの使者を自身の天幕に迎え入れた。

 ヤイラクは、タルタル全体を見渡しても、きわめて地位の高い人物である。彼はコンギラト部族の一員である。一族の男は、公主、すなわちチンギス・カン家の姫をもらい、附馬(キュレゲン)と呼ばれる。また、コンギラト家の娘が諸王に正妻として嫁ぐのである。

 ヤイラクの父はサルジウタイ附馬であり、母はケルミシュ・アガ・ハトンである。ケルミシュはチンギス・カンの末子トルイの子クトクトの娘である。また、ヤイラクの妹はトクト大王の正妃であり、ヤイラクはトクトと義兄弟なのだ。しかも、ヤイラクの正妻は諸王ノガイの娘である。

 最初、トクトとノガイの関係は良好であったが、徐々に悪化した。この関係が決定的に決裂したのが、ヤイラクの家族問題である。ノガイはムスリム(イスラーム教徒)で、娘もそうだったが、ヤイラクは仏教徒だった。ノガイの娘はヤイラクが改宗しないことを、妻に対する虐待であると難じた。シャリーア(イスラーム法)では、ムスリマと結婚できるのは、夫がムスリムの場合に限られるのだ。これを口実にノガイは、ヤイラクの父サルジウタイと、トクトを支える南部国境鎮守軍、探馬軍総司令官タマトクタイに対し、自身の下に来て敵対行為に対して釈明せよと、トクトに求めた。

 これに対し、トクトは、義父を引き渡すことなどしないと答え、もはや戦闘不可避となっていたのである。

 ヤイラクは密かにノガイ軍のクリミア侵攻を防ぐ方策を練りつつ、クリミアで遊牧する民の長であるケレイト部族の万人長ギレイに徴兵を求めていた。ヤイラクは総督として派遣されているだけで、自身の手持ちの兵力はたかが知れている。それゆえ、クリミア全土の各種勢力にトクトへの忠誠の確認をしているところだった。

 マルコはクリムでタルタルの役人から様々な情報を得た結果、テオドル国主のガブラス公はヤイラクに付くことが分かった。カッファを初めとするジェノヴァ居留地も、態度を決めなければならない。3人はカッファへの帰り道を急いだ。

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