第16話 アゾフ海と腐海

 アゾフ海は黒海の北東に位置する内海である。クリミア半島とクバン半島に挟まれたケルチ海峡より北がアゾフ海で、その北東にはドン河口、反対側の北西には腐海がある。ドン河口には低地が広がっており、地元のコマン語でアザク、すなわち低地という。この河口には寄港地として最適な場所があり、ジェノヴァ人やヴェネツィア人はターナと呼んでいる。

 ターナの反対側には、腐海という、海抜が低い低湿地が広がっているが、ここは天然の塩田である。腐海はトクト大王の所有で、塩の生産から莫大な税収が得られた。製塩に携わるコマン人は核家族単位で働いている。海水を含んだ泥を積み上げて池を作る作業は、きわめて重労働だ。こうしてできた海塩を麻袋に積め、ジェノヴァやヴェネツィアの船に売る。また、北のルーシ(ロシアの旧名)から商人たちが買いに来る。ルーシ人は腐海で買った塩をターナに持ち込んで、ドン河で採れた魚を塩漬けにしている。

 塩の売買の決済は木綿でおこなわれ、この収入の一部を税として納めるのだが、徴税はハンセン病患者が担当した。差別され、生計手段の断たれがちな彼らに、タルタル人は職を与えていたのだった。

 以前から、ターナに港や居留地を作りたいと、ジェノヴァもヴェネツィアもジョチ朝に申請していたが、許可が下りないでいた。もしターナに拠点ができると、クリミアにある港は、寄港地にすぎなくなる。これに対して現状は、クリミアの港でしか、カタイ(華北)産の絹織物や、ルーシ産の毛皮・蜜蝋、キプチャク草原の馬、そして奴隷の売買はできない。ノガイはターナでの取引に反対していた。また、トクト大王自身、クリミアの権益が損なわれることを嫌った。

 後に、ノガイもトクトも亡くなった1315年に、ターナ居留地の建設が認められる。

 マルコは、東方からの物産は、陸路カッファまで運ばれていることを知った。ケルチ、カッファ、スダクといった港湾は、すべてガザリア(クリミア)の首都クリムにつながっていた。すべての商人は、クリムで10%の関税を現物で払っていた。例えば、クロテンの毛皮を10枚輸出する場合、1枚を税関に収めるのである。もちろん、この毛皮はあとで買い戻す。しかもクリム1か所で払えば、もう税関はなく、二重三重の支払いは必要なかったのである。この関税の額は、ヨーロッパから見るとかなり安かった。ヨーロッパでは、通過する都市すべてで関税をまきあげられ、しかもその率は非常に高かったのである。

 クリミアの商業権益はトクト大王とノガイが持っており、トクトの任命した総督ヤイラクの下に、トクトとノガイの代官がいた。この総督を、コマン語ではウルグ・バスカクと呼んでいた。後にガザリアがクリミアと呼ばれるのは、モンゴル(タルタル)人が、首都クリムのある領域全体をクリムと言ったからである。

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