第10話 黒海縦断

 マルコが本国ジェノヴァを出たのは1297年冬で、ガラタを出発したのは翌1298年の初夏だった。まず、黒海南岸にあるシノペの港に向かい、その後、南風を利用して黒海の中央を突っ切ってカッファに行くのである。とはいえ、必ずしも目的地に直接着けるとは限らず、クリミア半島南岸に西から並んでいるチェンバロ、スダク、カッファ、ケルチの4つの港の内、どれかに着ければ問題なしだ。

最初、マルコは船酔いがひどかったが、今では吐くのに慣れたこともあって、苦にならなくなった。

 ピエトロ船長はマルコに言った。

「先生、黒海に入るとヴェネツィアの船と一戦交えることになるかもしれない」

マルコは質問した。

「海路が危険であれば、トラキアから陸路で向かいますか」

船長は難しい顔をした。

「ブルガリアは混乱状態で、セルビア王が西から狙っているなど、海路以上に危険だ」

マルコは申し訳なさそうに言った。

「戦いになったら、石けん水を撒くことぐらいしかできませんが」

当時の海戦は砲撃戦ではなく、敵船上に乗り移っての白兵戦であり、相手の足元をすくうために、石けん水を撒いたのだった。

「先生を使うのは申し訳ないが、その時はよろしく」

と船長はマルコに頼んだ。

 シノペには少し長めに停泊する。ガレー船は帆を張って風も利用するが、基本的には櫂をこいで進む。ガラタからシノペまでは陸地を右手に見ながらの船旅だが、シノペからカッファまでは、外洋を突っ切って行くことになるので、休めない。特に今回の場合、敵ヴェネツィアの海賊船が襲ってくる可能性もあることから、漕ぎ手の体力に気を付けねばならなかった。

 ヴェネツィアの場合、漕ぎ手は自由民であり、いざとなれば全員戦闘に参加する。これに対して、ジェノヴァの船の漕ぎ手は囚人や捕虜で、この船にはヴェネツィア人は載せていないが、ピサ人やナポリ人などの漕ぎ手でも寝返るかもしれないので、戦力にならない。そのため、ジークフリート率いる40人の弩兵を雇ったのだった。

 一応、マルコは綿を詰めた戦闘用の上着と兜を被ってみたが、たまらなく暑い。しかも、似合っているとは、到底思えない。歩兵の標準装備である鉄斧も持ってみたが、重くて扱えない。

 着替えを手伝ってくれた船員は、後はマリア様に祈るしかないなと、あきらめとも、なぐさめともつかない声を、マルコにかけたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る